お盆の法要と施餓鬼会(せがきえ)について

 毎年お盆の季節になると、お寺では≪お盆の法要≫と≪施餓鬼会≫が行なわれます。しかし、この≪お盆の法要≫と≪施餓鬼会≫の違いが分かっている方は、意外に少ないようです。
そこで、このコーナーでは、その違いと、その成り立ちについて、簡単にお話ししてみようと思います。

●≪お盆の法要≫
 まず皆さんにとって最も馴染みが深いご先祖供養の代表格とも言える、お盆の法要からお話ししますと、このお盆とは、本来「孟蘭盆会(うらぼんえ)」と云 い、原語は「ウランバ-ナ」と云って≪逆さ吊りの苦しみ≫を意味します。その起源はお釈迦様の弟子の中で神通力第一と云われた「目連尊者」が、ご自分の亡 くなった母が、今あの世でどのように暮らしているかと覗いてみますと、餓鬼道に落ちて食べるものも食べられず、骨と皮だけの痩せ衰えた姿で苦しんでいるの を見て、ただちに食べ物をもって母のところへ行き、食べさせようと母の口まで持っていくと、せっかく痩せ衰えた母のために用意していったその食べ物が、焔 (ほのお)となって燃えてしまい食べさせることができません。
 そこで目連尊者は、お釈迦様のところへ行き、どうすれば母を救うことが出来るか教えを請いました。すると、お釈迦様は目連尊者に次のように言われたのです。
『今、大勢の僧侶達が夏安居(げあんご)の修行をしているが、間もなく終わるので、その僧侶達とともに、お母さんのために供養をしてあげなさい。必ずお母 さんは救われるでしょう』と言われたのです。やがて大勢の僧侶達の修行が終わると、目連尊者は大勢の僧侶達と一緒に母のために供養し祈りました。すると餓 鬼道に落ちて苦しんでいた母は救われ、浄土へと旅立つことができたのです。
 この故事に習って、今では全世界の仏教徒達が、あの世で苦しんでいるかも知れない先祖達や縁者達のために、お盆の供養をするようになったのです。

●≪施餓鬼会≫
 一方、施餓鬼会の仏事の始まりは、目連尊者と同じ十大弟子のなかの一人で、多聞第一と云われた「阿難尊者」があるとき深い河の上流の渓谷で修行をしている とき、突然恐ろしい形相をした焔口餓鬼が現れ、阿難尊者に次のように告げたのです。『阿難よ!今すぐ、お前のできる限りの供物を差し出し、私に供養をしな さい。さもないと、お前の生命はただちに失われるだろう』と言ったのです。
 そこで阿難尊者は、その餓鬼だけでなく自らの先祖やその後ろについてきた無縁の餓鬼達をも手厚くもてなし供養したのです。そして、自分も先祖もそして、有縁・無縁の餓鬼も救うことが出来たのです。
 それから、この『阿難尊者』の故事にならい、施餓鬼会の法要が行なわれるようになったのです。

なお、この≪施餓鬼会≫の法要は、お盆の仏事とは異なり、原則として期間を定めず、いつでも行なう事が出来る、ご自分の難を逃れる法要でもあるのです。

高野山真言宗大本山元教師
真言密教祈祷道場 未勒館

館主 松代 真章
マハーシュリー沙羅

施餓鬼 (せがき)
餓鬼道にあって苦しむ一切の衆生(しゅじょう)に食物を施して供養することで、特にその法会(ほうえ)をいう。〈施餓鬼会(せがきえ)〉の略。 期日は特に定まらないが、年中行事の一つとして※孟蘭盆会(うらぼんえ)に行われることが多い。
盆には家の先祖の精霊(しょうりょう)を祀るほか、ともに訪れてくる無縁仏や餓鬼のためにも施餓鬼「精霊棚」をつくって施しをしなければならなかった。一 般に餓鬼は供養するもののいない無縁仏とか、祀るもののない霊魂として観念されたので、御霊(ごりょう)信仰に通じる性格をもつ。
中世には、飢饉や戦乱などの折に 河原に数万の群衆を集めてたびたび営まれたり、近世に入っては大火の犠牲者の追善のために大寺院で修されたりした。両国の回向院で営まれた明暦3年(1657)の江戸大火(振袖火事)の際の死者供養などは、その代表例である。
施餓鬼は浄土真宗をのぞく各宗派で行われる。また禅宗では、生飯(さば)といって食事のたびに飯を数粒施す習慣も施餓鬼の作法だとしているが、これも民間の御霊の一種である、ひだる神に対する作法と共通するものがある。

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