悲しすぎると、涙さえ

更新日:2015/03/03

今日3月3日は母の祥月命日
あの日も今日のように少し寒くて晴れてた
私が21才の時でした

人間は、悲しすぎると涙もでない、
頭がフリーズするんだ。
と、知った日でもあります

今考えたら 悲しいより 何が起きたのか?
思考が働かず ただ、お通夜の支度を手伝い。
無表情だったのは記憶してます

友人たちが心配して
代わるがわる泊まってくれて、
一人にさせないように気を配ってくれたのも
今もハッキリ覚えてます
別に何にも会話せず
ただ隣に居てくれたこと覚えてます

一番大事な人を失い 壊れそうになっても
変わらず日が暮れて 夜が明けて
トイレにも行き 腹も減る
自分にとって どんなに苦しい時も
地球の営みは変わらないんだなぁと
薄情なくらい無情だな。
と無常を覚えた日でもあります

また、避けられない苦しみってあるんだな、と思ったり
そのわりに、変に冷静だな。と、自分の事を思ったり
「気丈なしっかりした娘さん」
と言いながら号泣する参列の皆様を眺めながら
この人たちは、何を言ってるんだろうか?
と眺めていたり
まるで時間が、思考が
スローモーションになったようだった感覚。
今でもありありと覚えてます

毎年思うのですが
かぁさん 私、こんなんだけどいいかなぁ?…
と位牌に問い掛けます

母は秋田県出身
なまりながら
「んた。んだ。人生そんなもんだ。」
と言いそうだなぁ

まだまだ、しばらく
そっちには行かないつもり
もう少し娘でいたいから
見てておくれね
と少し寂しい風が吹く
気持ちを抱えながら
朝。お勤めさせていただきました

母さんは高野山奥之院に分骨されてます
何だか奥之院を父さんと仲良く散策していそうだな

少し寂しい甘えん坊の娘より

母さんへ(*´ω`*)