【平成二十年九月】の定例法話会・テキスト
寒さの夏を『オロオロ』歩いた福田さん
≪国技・大相撲も『大麻汚染事件』で《バタバタ・ウロウロ》身も細る≫
若くして≪法華経≫に深く帰依し、仏教の教えにふれた詩人で童話作家の『宮沢賢治』は、その代表作である≪風の又三郎≫や≪銀河鉄道の夜≫で有名ですが、なかでも今回の「晴天の霹靂(へきれき)」とも言える『福田首相』の突然の辞任の報に接し、ふと心に浮かんだのが、『宮沢賢治』の代表作の中でも、もっとも有名な作品≪雨にもまけず≫でした。
それは、なぜかと云えば、≪安心実現内閣≫の看板を掲げた福田内閣のかなりの部分がこの≪雨にもまけず≫の「正」と「逆」の双方が当てはまるように思ったからです。
それを理解して頂くために、まず、本文の最初と最後の部分を読んでみましょう。尚、原文は、カタカナと漢字で書かれていますが、読みやすいように平かなと漢字にしました。
では本文です(引)「『雨にもまけず/風にもまけず/雪にも夏の暑さにもまけぬ/丈夫なからだをもち/欲はなく/決して瞋(いか)らず/いつもしづかにわらっている/(・・中略・・)/ひでりのときはなみだをながし/さむさのなつはおろおろあるき/みんなにでくのぼうとよばれ/ほめられもせず/くにもされず/そういうものに/わたしはなりたい。』」となりますが、これを安倍内閣に引き続き、またも政権を投げ出した福田首相に当てはめて読み変えてみますと、ご本人には失礼かも知れませんが、その実力はともかく、それ以外のところに、陰湿ないじめとも取れる、党内や連立与党の中に対米政策や国際問題などで足を引っ張れる行為によって問題は頓挫し、総理自身が行動を起こそうと思っても、身内に横を向かれ、八方塞がりの状態に追い込まれた結果と理解していますので、それに免じてお許しを頂くとして、作者の『宮沢賢治氏』にも名作を勝手に改偏させていただくことをお詫びしつつ、皮肉を込めて次のように書き替えてみました。
(引)「『雨にも負けて/風にも負けて/雪にも夏の暑さにも負けて/丈夫な体だけはもち/欲は秘め/
瞋(いかり)は最後まで取っておき/いつも不気味に笑っている/(・・中略・・)/日照りのときはトコトコ歩み/寒さの夏はおろおろ歩く/皆んなにでくのぼうと呼ばれ/ほめられもせず/相手にもされず/そういうものに/私はなった。』」・・・となります。
しかし、よく考えてみますと、辞任のたった一月前に内閣改造をした際に掲げたキャッチフレーズが≪安心実現内閣≫だったはずです。しかも9月9日の産經新聞の産經抄によると首相に就任後には『(拉致問題を)私の在任中に自分の手で解決したい。そんな大見えを切ったことを忘れたかのように、福田康夫首相は政権を投げ出した。きょう9月9日、建国60周年を迎える北朝鮮は、日本に約束していた拉致事件の再調査を延期すると、伝えてきた。被害者の家族にとって、やりきれない日々が続く』とあります。と云うことは、この問題も含め声高らかに宣言した、公約を守ったのか、守れなかったのか、と云う問題の検証があとに残されたのではないでしょうか。
そこで勝手に独断と偏見で再検証してみますと、今回の電撃的な辞任劇は、父親である元総理が熱心な仏教徒であり、高野山東京別院再建の落慶法要の際、代表幹事の重責を勤められたほどですから、その影響かどうかは分かりませんが、辞任の記者会見の際に云った(引)「『私には、あなたと違って自分を見る目があるんです!』」と記者団の最後の質問に答えた一言に、総理は「キレタ」と受け止めた人もいるでしょうが、9月10日の「天声人語」に次のような言葉がありましたので、参考のためにその一部を引用させていただきますと『福田首相は能が好きかどうか知らないが、世阿弥(ぜあみ)(室町時代の能の芸術としての完成者)の書いた能楽の秘伝書≪花鏡(かきょう)≫に「離見(りけん)の見(けん)」と云う言葉がある。舞台で舞う自分を見物人として冷静に眺める、もう一つの目が必要という意味だ▲「(私は)自分自身を客観的に見ることができる。あなたとは違う」と辞任会見で見えを切った福田さんは、だから能役者向きかも知れない。ならば辞任表明後、記者団の「ぶらさがり取材」に1週間も応じなかった沈黙は、自身の目にどう映っていたのだろう▲・・・中略・・・▲福田さんが総裁に選ばれた時、小欄(天声人語)はやはり世阿弥の≪風姿花伝(ふうしかでん)≫から一説を引いた。「たとえ跡取りでも、不器量の者には奥義(おうぎ)を伝えるべからず」。そして増えつつある世襲政治家の志や責任感を案じた。1年たって、不安は当たったようである。▲「一寸先は闇」は何も政界の専売ではない。災害あり、経済不安あり、国際問題あり。国民生活のいたる所で、あす何が起こるやも知れない」。とありますが、福田さんは、ご自分のことがよくお分かりとのことですが、いかがお考えでしょう。
ところで、今回の辞任劇は、父親譲りの『仏智(仏の智恵)』を備え、ご自分を見る目もお持ちの福田さんですから、より高い次元からご判断された結果だったのでしょう。
いずれにしても、誰に相談するでもなく、あるいは誰一人相談できる人もいなかった中で、たった一人の孤独の中での決断だったのかも知れません。しかし、一般の人々の受け止め方としては『無責任だ!』と云う評価が大半を占めるでしょう。でも、ある意味では福田総理は公約を守ったと、云えなくもないと言う部分がなくもありません。
それは、野党だけでなく、党内にもくすぶっている≪反福田≫陣営に加え、連立与党である公明党の最近の非協力的な態度の裏に、何か不気味な空気を感じるからです。
何れにしても、地元群馬県の人々にとっては残念だ、と云う思いが強いでしょう。でもここは我慢してください。あなた達にはソフトボールの金メダルがあるじゃないですか、と云うのも、今、アメリカの大リーグのレッドソックスで大活躍中の松坂投手の横浜高校時代に演じた甲子園での快投を彷彿とさせる、驚異的な連投に耐えて金メダルを掴んだ鉄腕上野投手が居るじゃないですか、この快挙は、もしかして今の日本にとって、総理の椅子より金メダルの方が価値があるかも知れないからです。
優勝の翌日には、朝日新聞の朝刊一面トップに『鉄腕上野耐えて413球』『ソフト悲願の金』の見出しが誇らしく躍っていました。一方、産經新聞一面の本文記事は次のように書いています。『金メダルをかけた戦いだというのに、試合前の球場には、寂寥感(せきりょうかん)(ひっそりしているさま)が漂っていた。ソフトボールにとって、北京での決勝戦は五輪競技としてのラストゲーム。3試合連続で先発した上野由岐子(ルネサス高崎)にも、悲壮感があった。26歳。たとえ2016年に五輪競技に復帰できても34歳になっている。ライバル米国を倒し金メダルをとる最後のチャンスだった。』
前日には2試合328球を投げ抜いている。・・まだまだ投げられる感覚はあります・・と強がったものの、体は思うように動かない。
前日、上野に連投を命じた斎藤監督は「心中するつもりだった」と語り、決勝戦にエースを送り込むのは当然。米国に勝って五輪最後の試合を飾りたかったので、上野しかいなかったと言う。3試合で、合計413球もの粘りの投球で掴んだ金メダルは、本当に立派でしたよね・・・福田さん!そうお思いになりませんか・・・?
それにしても、またもオリンピックでドーピング問題が起き、これで室伏選手の二大会連続の繰り上げメダル授賞の可能性が出てきましたが、一方、国技大相撲の世界にも、誰もが予想さえしなかった≪大麻疑惑≫が起きたのです。それも、ロシア力士だけが3人連続解雇になると云う≪薬物災禍≫がついに、国技と云われている相撲の世界にまで魔の手を延ばしてきたかと思うと、柔道に見るあまりの行き過ぎたルールの国際化によるレスリング化とともに、今後の『国技大相撲』の世界への、日本の精神的伝統文化を知らぬ外国人力士による、国技大相撲への席捲(せっけん)は、やがて国技の看板を降ろす日が来なければよいがと≪はらはら・ひやひや≫しながら見守るしかないのかと心配です。
ところで、これらの薬物事件に使われる『薬』と云う字の起源は『呪術師の振る鈴の音』だと言う説もありますが、今回の北京オリンピックで数々の感動をくれた選手のすべてが、呪術師の振る鈴の音の誘惑に打ち勝っていたと信じたいものです。それにしても、話は少々不気味な内容になりますが、もし、その鈴を振る手が悪魔の魔の手に移っていたら、その音は間違いなく悪魔の囁きに変わっているでしょう。そうなった時、今のように国の威信と権威のみを追い求める≪プロパガンダ≫としての最近の≪オリンピック≫に対し、近代オリンピックの創始者であるクーベルタン男爵は、お前達は何をしているんだ!と、あの世で激しくお怒りになるとともに、心の底から落胆されるでしょう。
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