【平成二十年八月】の定例法話会・テキスト
−平和の祭典『北京五輪』の裏で戦乱勃発−
≪グルジアのサルクワゼ選手は『戦争を起こすのも、止めるのも政治家』と言う。≫
10日の産經新聞に≪五輪劇場≫と云う興味深い囲み記事が載っていました。それによると、『視聴率98.1%。このとんでもない数字は、中国の市場調査会社が、国内15都市で行った8日の開会式の調査結果で、テレビ、ラジオだけでなく、インターネットを利用した国民も含まれているが、北京にいると、この数字もうなずける。とにかく、街の至る所に中国の五星紅旗が翻(ひるがえ)り、「加油(頑張れ!)中国」の合唱がどこからともなく聞こえてくる・・・そんな感じなのだ。開会式の時、中継の大型スクリーンの前に座り込んだ数百人の人の輪は、国歌斉唱の時は立ち上がって声を張り上げ、中国選手団が入場すると、どこからか拡声器を持ち出して「加油(頑張れ)加油(頑張れ)の大合唱・・・だ。しかし、このように目を輝かせて映像を見つめる若者達は、この日「ロシア」が「グルジア」にミサイルをぶっ放して、戦争が始まっていたことは知らなかったに違いない。ところで、今回の開会式の主要なメッセージは、環境であり、平和だった。今や、古代ギリシャ時代の≪五輪停戦≫が死語になりつつあるとはいえ ≪平和の祭典≫としばしば称される五輪の開会式当日に、戦争が勃発したケースは極めて異例だろう。・・・』と書いています。
しかし皮肉なことに、今や、近代オリンピックの創始者である≪クーベルタン男爵≫の理想とした平和の祭典とは完全にかけはなれ、たんなる開催国のプロパガンダ(国家の主義思想の宣伝・・・広辞苑)になってしまった感じすらある、この名目だけの≪平和の祭典オリンピック≫の開会式の二日前の8月6日には広島に、その一日後の8月9日には長崎にも原爆が投下され、北京五輪を横目で見ながら慰霊祭は開催されたのです。
しかし、その中で行われた『女子エアピストル』で、銀メダルのロシア代表 ≪ナタリア・バデリナ選手≫と、銅メダルのグルジア代表≪ニーノ・サルクワゼ選手≫が、表彰式の後、互いに抱き合い健闘をたたえ合う姿が話題を呼んだのです。そして『戦争を起こすのもやめるのも政治家。話し合ってほしい』と訴えたグルジア代表のサルクワゼ選手の一言は、世界の人々のすべての人々の心を表している事を、国連もG8も、六カ国協議も成果を期待できない今日この頃、すべての国の政治家達は肝に銘じ、自らの心に問い直し、自分は何のために、そして、誰のために政治家になったかを、胸に手を当てて良く考え、自己顕示の地位欲、名誉欲、権力欲にこだわる事なく、よく考える時が来ているようです。
ところで、今年で広島に世界初の原爆が投下されてから、六十三年目の夏を迎えました。
しかし、いまだに原爆の後遺症に苦しみ悩んでいる人が数多くいることを忘れてはならないと共に、今年も広島の原爆慰霊碑に、新たにこの一年間に死亡が確認された、広島での被爆者5,302人の原爆死没者の名を書き加えた原爆死没者名簿が、慰霊碑に収められました。これで広島の原爆死没者は、25万8千310人になったことを、私達は決して忘れる事はできないでしょう。にもかかわらず、世界は未だに北朝鮮をはじめ、イランなどの国の、核の保有を巡って各国の駆け引きや思惑と共に、その顛末(てんまつ)は依然として混沌(こんとん)とした状態が続いています。まさに世界も混沌(こんとん)日本も混沌(こんとん)の中で、今年もお盆の季節を迎えました。しかし、これではあの世も混沌(こんとん)としているかも知れません。そこで、今月はそのことを肝に銘じながら、今は亡きご先祖様の冥福(めいふく)を祈りつつ、念入りにお盆の供養と施餓鬼会を通じ、祖先の霊のご恩に報いたいものです。
ところで、この『混沌(こんとん)』について先月十日の朝日新聞の「天声人語」に書いてありましたので、その一部を転載してみますと『ものごとが判然とせず曖昧(あいまい)なさまを混沌(こんとん)という。もとは中国の古典『荘子(老子と並び称される中国の思想家)』に出てくる、のっぺらぼうの帝王のことだ。あるとき混沌(こんとん)は、よその帝王二人を招いてもてなした。そこで招かれた二人は返礼を相談する。≪人の顔には七つの穴があって見聞きし、食べ、息をする、混沌(こんとん)にはそれがないから、お礼に開けてやろう≫。そして目、鼻、口・・・と穴を開けると混沌(こんとん)は死んでしまった。曖昧(あいまい)は曖昧(あいまい)のままに、と教える話である。』これは、要するに余計なことはするな、と教えている東洋独自の考え方かも知れませんが、それは≪過ぎたるは及ばざるがごとし≫と云う格言もあるからです。
では、西洋ではこの混沌(こんとん)と云う言葉が、いつどのようにして現れたかと云えば、それは歴史的に見ても、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教を中心とした、一神教生活文化の面から見て、当然第一に上げなければならないのが、これら一神教の根底に流れている旧約聖書の≪創世記≫をおいて他なく、その冒頭にある『天地創造』の中に出てくる≪闇が混沌(こんとん)の海の面にあり≫と云う部分でしょう。
この旧約聖書の『天地創造』を含む≪創世記≫は、ヘブライ人の宇宙創造神話の世界観で、神は6日間創造活動をされ、7日目に安息されたとされています。(それが現在の7日目ごとの週一回の日曜日、又は金曜日の安息日の始まりとも言われています。)
では、ユダヤ教、キリスト教とイスラム教に共通する旧約聖書の、最初の≪創世記≫の中から、神による6日間の『天地創造』の、その第1日目の部分を読んでみますと・・・。『はじめに神は天と地を創造した。地は空漠(くうばく)<秩序も生命もない創造以前の状態>として、闇が混沌(こんとん)の海の面(おもて)にあり、神の霊がその水の面に働きかけていた<神の霊による創造の働きを暗示する>。神は言った、「光あれ」。すると光があった<光は生命と秩序と救いの根源の象徴>。神は光を見て、よしとした<神が見ると、それは実に美しかった>。神は光と闇の間を分けた。神は光を昼と呼び、闇を夜と呼んだ。夕(ゆうべ)となり、朝となった。第一日目である。』とありますが、このように、こと『混沌(こんとん)』の一語だけ取りあげてみても、東洋と西洋の違いは明白で、この違いは東洋の「農耕民族」対、西洋の「狩猟民族」の違いはあるとしても、短絡的には片付けられない歴史的背景も考慮すべきでしょう。ところで、広島や長崎への原爆投下から、63年目の夏を迎えた現在、未だに世界の紛争が終わりを告げる気配さえ見せない今、まさに『混沌(こんとん)』の現状を憂いながら、久しぶりに世界の争いの根源とも言える、一神教「注:唯一絶対の神の存在以外は認めない」。に共通の根本聖典でもある≪旧約聖書≫のお話をしましたので、ついでと言っては失礼かも知れませんが、一日も早い世界の『完全平和と核廃絶』を願いながら、キリスト教の聖典『新約聖書』の中から少し話をしてみましょう。
さて、その前に古来から争いの元凶と相場が決まっているのが、我々人間の持つ、深い≪業≫と≪欲≫だと言われているのですが、この二つをつなぐと≪強欲(ごうよく)≫と云う言葉になって、これを「広辞苑」で調べてみますと、何と『むさぼって飽きることを知らない欲心』とでています。これは、まさに今日の石油利権に群がり、それを独占するばかりでなく、そこに群がる、人間の皮を被ったハイエナのような悪徳ファンドや自分さえ儲かれば他人の不幸などは、われ関せずと云う自己中心の投資家達に、ぜひ聞かせたい新約聖書の言葉があります。ここで金の亡者に成り下がった世界中のお前たちに告げておこう、もし、君が死後の行き先として『天国』を選びたいなら、聖書の次の部分を読みなさい。それはマルコの福音書の10章の17節の≪資産家の危険≫に書いてある教えです。
『イエスが道に出ていかれると、ひとりの人が走り寄って、御前(みまえ)にひざまずいて、尋ねた。「尊い先生。永遠のいのちを自分のものとして受けるためには、私は何をしたらよいでしょうか。」 イエスは彼に言われた。「なぜ、私を≪尊い≫と言うのですか。尊い方は、神おひとりのほかには、だれもありません。戒めはあなたもよく知っているはずです。≪殺してはならない。姦淫(かんいん)してはならない。盗んではならない。偽証を立ててはならない。欺き取ってはならない。父と母を敬え。≫」すると、その人はイエスに言った。「先生。私はそのようなことをみな、小さい時から守っております。」イエスは彼を見つめ、その人をいつくしんで言われた。「あなたには、欠けたことが一つあります。帰って、あなたの持ち物をみな売り払い、貧しい人達に与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。そのうえで、わたしについて来なさい。」すると彼は、この言葉に顔を曇らせ、悲しみながら立ち去った。なぜなら、この人は多くの財産を持っていたからである。』これを聞いて現代の金の亡者たちはどのように考えるでしょう。
中には、そんなバカな事が出来る筈はない。と高をくくる者もいるでしょうし、このような欲の塊のような金の亡者は、神の存在を鼻先で薄ら笑う者もいるでしょう。
そのような、愚かな人間に限って、最後には欲と欲のぶつかり合いの結果、財や金の奪い合いに発展し、ついには訴訟合戦になったり、報復合戦になったりするものです。
このような、愚かな報復や裁きについて、聖書には≪マルコの福音書≫の12章の17節の中で次のように書かれています。
『誰に対してでも、悪に悪を報いることをせず、すべての人が良いと思うことを図(はか)りなさい。あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい。愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。≪復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる≫』
このように書かれているキリスト教の国で、実際に復讐を神に任せている国がいくつあるでしょう。おそらく一つもないかも知れません。なぜなら、その国の大統領や首相達の大部分は、自らが神に代わって報復をしているからです。これでは、いくらオリンピックをやって、表面だけ平和と友好を装ってみても、それは所詮(しょせん)はモナカの皮に過ぎないからです。事実、今回の北京の異常とも思える厳戒態勢を見れば明らかでしょう。
もはや、自国の利益を優先せず、混沌の世界の平和と平等と安定を願うには『光あれ!』と、全世界に向かって命ずる『真(まこと)の神か如来』が必要なのではないでしょうか。
争いは富の偏りから生まれるのです。例えば地球上のすべての人々が平等に富を分かち合うとすれば、それなりの博愛の精神が必要で、運良く富を得たものは、貧しいものに分け与え、人々が同じような生活をするには、その生活レベルに見合う絶対的な資源が必要です。例えば飢餓に苦しむアフリカも含めて、全世界の人々が、日本人と同じレベルの生活をしようとすれば、水も食料も含む地球全体の資源は、地球一つでは足りず、二つ半も必要だと云われています。とにかく、日本が打ち上げた『月衛星かぐや』から見た宇宙空間に浮かぶ≪水の星地球≫の映像を見るかぎり、漆黒の空に端然として気高く、今にも水がこぼれ落ちんばかりに見える、水の星地球も、私達人間をはじめ、すべての陸上に住む動植物たちが使える≪真水≫となると、たった「2%」しかないと云うのです。
この、たった「2%」の≪真水≫が、海中以外の生き物にとっては『命の水』なのです。それと同じく大切なのが、限られた水だけでなく、地球上の石油や天然ガスや、あらゆる地下資源を含む天然資源で、その貴重な資源を最も浪費しているのが、先進国と云われている国々なのです。中でも世界中の人々が、先進国の代表≪アメリカ≫並の生活を享受するには、何と地球が四つは必要なのです。この現実を、金と権力の亡者達は知るべきで、やはり、仏教の教えにある、必要以上に求めない『足るを知る』の知恵が必要でしょう。
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