【平成二十年六月】の定例法話会・テキスト
『料理』に『針』次は何を使い回すか?
≪志賀直哉は『何かが自分を殺さなかった。』と、名作『城の崎にて』の中で言う≫
『船場吉兆』がついに廃業に追い込まれた。牛肉の産地偽装に始まった船場吉兆は、急遽社長を交代し、何とか急場をしのごうとしたが、事もあろうに高級料亭にあるまじき客の食べ残し食材を次の客に使い回しが発覚し、せっかく老舗の再建を応援しようと協力していた常連客にまで見放され、次々とキャンセルが続出し、ついに悲願の再建のめども立たず、世間に見放された結果、ついに廃業となったのです。
そこで、この『船場吉兆』の廃業に至るまでの経過を見ると、作家の曽野綾子さんが、厳しい自然を生き抜いてきたアラブ人の知恵を探ろうと、現地で集めた格言をまとめた『アラブの格言(新潮新書)』の中に船場吉兆の姿が重なって見える部分がありますので、引用しますと、その第一章≪神≫の中に(引)「『もしも罪を犯したら、隠せ』」とあり、また、第五章≪人徳≫には(引)「『あなたには名誉を。私には利益を』」とあります。この格言は、まさに船場吉兆の行為そのものだと、と言えなくもありません。
例えば、≪もしも食材の使い回しをしたら、隠せ≫ ≪あなた達の見栄と接待には満足を。私達には利益を≫と、置き換えると、その共通性にうなずく人も多いでしょう。
この問題に関して、5月9日の≪産經抄≫に、共同通信の記者だった、辺見さんがバングラデシュを訪ねたとき、駅前広場の屋台で、ブリキの大皿に、骨つきの鶏肉が載った、わずか「十数円」の山盛りの飯を二口、三口食べ、次に骨つき肉を口に運ぼうとしたとき、現地の案内人が叫んだ。≪それは、食べ残し残飯なんだよ・・・≫と云われおもわず皿を放り出すと、少年の細い腕が伸びてきて、奪い取っていく。首都ダッカには「残飯市場」があったのです。これは「角川文庫」の『世界各地の、もの食う人々』に出ていますが、我が国でも、昨年、牛肉の産地偽装などが発覚した大阪の高級料亭『船場吉兆』では、客の食べ残しを、残飯市場に出す代わりに、別の客に回していた。しかも、その値段はバングラデシュの「十数円」に対し、何と1人「数万円」もの料金を払ったあげく、盛り直された刺し身や、焼き直しのアユの塩焼きを食べさせられたことになり、これでは接待したほうも、されたほうも後味が悪いでしょう。
さらに『船場吉兆』の女将≪湯木佐知子≫社長の「食べ残しではなく、手つかずの残された料理」と云う苦しい詭弁は通るはずもなく、これでは、せっかく再建を応援をしていた常連客も、さすがに開いた口もふさがらなかったでしょう。
しかし、このような使い回しの誘惑にかられるほど、食べ残しが出ることにも驚きですが、別な見方をすれば、自分のお金で飲み食いしない、接待の客がそれだけ多いということで、まさに日本全国たかりの精神にみちているからこそ、役人の深夜タクシーの中での、ビール接待やリベートまがいの商品券授受とは、(嘆かわしい・・・)。
最近の調査で食料自給率が4割に満たない日本が、年間二千万トンもの食品を破棄している。米や小麦など穀物価格の急騰により、飢餓への不安が広がり、世界のあちこちで暴動さえ起こっているというのに「残飯を食らう者。大量輸入しては食い残す者。食の神様が居たら、間違いなく前者に涙し、後者には飢餓のなんであるかを、思い知らせるだろう」。辺見さんの予言が不気味に響く・・・』。と結んでいます。
ところが、この『船場吉兆』お得意の使い回しが、なんと驚くことに、医療の世界にまで波及していたと云うのですから、人々は何を信じて生きれば良いのでしょう。
裁判では≪疑わしきは罰せず≫と云う原則がありますが、このように多岐にわたって業界に蔓延しつつあう、いかさま行為や詐欺的な行為はまだまだ広がる気配さえあり、日々の生活に及ばす波及傾向が心配され、昨今の我が国の商道徳のモラルの低下ぶりを考えるとき、私達国民生活の基本でもある≪衣食住≫の中の、食と健康に関する問題が私達の見えないところで、ずるずると泥沼にはまり込みつつある気配さえ感じられ、これが≪健康と生命の問題≫だけでなく、政・官・財・民の各界すべてに対する倫理が問われる非常事態に発展する恐れがあると危惧されるのです。
さて、ここで次の新たな使い回しの話に進めてみますと、すでに皆さんもご承知のことと思いますが、5月22日の読売新聞が伝えるところによると、島根県、増田市の診療所『おちハートクリニック』が、3月末から約1か月間、患者37人に対して血糖値測定のために指先などに針を刺して採血する器具を使い回していたことがわかった。県医療対策課によると、クリニックの検査の結果、因果関係は不明だが、うち14人がB、C型肝炎ウイルスに感染していることが確認された。複数の看護職員が自動的に針が交換されると誤解したのが原因という。しかも、厚労省は06年3月に、医療機関に対して、この器具の使い回しを禁じる通知を出しており、今回の器具の添付文書にも「個人の使用に限り、複数の患者に使用しない」「複数の患者に使用しない」「使い捨てで再使用しない」などと明確に記載されているのですから、これは、単なるミスや不注意では済まされない事故と言うべきでしょう。
この二つの事件は、どちらも、一歩間違えば、人々の≪健康や生命≫にかかわる重大な問題になりかねない事件です。この≪命≫について、五月三十一日朝日新聞の朝刊≪編集手帳≫に、作家≪志賀直哉≫の生命に関する作品≪城の崎にて≫を取り上げたコラムが載っていましたので、本文ですと長くなりますので、そのコラムから転載してみますと(引)「『志賀直哉が、山手線の電車にはねられ、重症をおったのは1913年(大正2年)の夏である。養生に訪れた兵庫県の城崎温泉で死と隣り合う生を見つめ、名作≪ 城の崎にて』を書いた。「自分は死ぬはずだったのに助かった、何かが自分を殺さなかった・・・」」と、その一節にある。神にであれ、仏にであれ、“何か”であれ「生かされている」という自覚は、大病を経験した人もときに語るところである。お天道(てんと)さまが見ている。お天道さまに済まない。昔の人が恐れた「お天道さま」も、“何か”だろう。人知を超えたものに「生かされている」と感じたとき、いかに生きるべきかについても想をめぐらすことになる。「自然の中に人間の力を超えた何かを感じることがある」。と、宗教に関する本紙の最新世論調査では、56%「も」とみるか、「しか」とみるか、感想はさまざまだろう。他人の命をためらいもなく奪ったり、、みずから死に急いだり、胸ふさがる世相に触れるたび、志賀直哉の言う“何か”が唇を噛みしめている姿が目に浮かぶ。』と、ありますが、ここで人の心の問題について、中国の格言を書いてみます。
まず、中国の(引)「『過(あやま)ちて、改(あらた)めざる、これを過(あやま)ちと謂う』」のがありますが、これは、間違いを犯しても改めようとしない、これこそが間違いというものだ。これは、 間違いを犯しても改めようとしない、これこそが間違いというものだ。これは≪論語≫に収められた言葉で、失敗や間違いは誰にでもあり、そのこと自体は仕方のないこと。大切なのは、そこから学びとり、同じ失敗を繰り返さないことだ。それができないことこそ、本当の過ちなのだ。失敗や間違いを嘆いている暇があれば、同じ間違いを犯さない方法を考えよう。 ≪改善のないことこそ、真の間違い≫とある。
次に、わが日本には『誤(あや)まれるを改(あら)たむる善(ぜん)の、これより大(おお)きなる無(な)し』と云う ≪愚管抄≫ の中の言葉があります。これは、過ちを犯したなら、改めることが善であり、それ以上の善はない。簡単なことのようだが、案外できていないことのほうが多い。いろいろと言い訳して正当化したり、たいした問題じゃないと無視したりする。また、間違いに気がついても改め方を間違ってしまうこともある。間違いに向かい合う勇気、その間違いを正しく分析する判断力も必要になる。と、高僧慈円は次のように言う。 ≪間違いにまっすぐ向き合おう≫と・・・。
『船場吉兆』その他の女将、社長、に役人諸氏よ、耳を塞がず、この言葉を、真実・心理の天の声と思い真面目に真摯に襟を正してよく聞きなさい。
これは、我々に、神仏から託された ≪真実・真理の声≫と思ってください。昔から国家や企業や集団の危機管理の原則として『悪いことは早く伝え、吉報はその後で良い』と云う言葉があります。』家庭でも同じと思いますので、念のため・・・・・。
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