【平成十九年九月】の定例法話会・テキスト
都知事は『文明の衝突』が誘因と言うが
≪『朝青龍と親方と協会の確執(かくしつ)』は ≪国技≫ の名に胡坐(あぐら)をかいた結果では?≫
『相撲会』にとっては、まさに、想定外の驚天動地(きょうてんどうち・天を驚かし地を動かす)の出来事で、その経過と結末は未だに先が見えない状態です。
しかし、この相撲がなぜ『国技』と言われるのかというと、当初は我が国特有の神道を象徴する神殿に鎮座まします神の前に奉納する神事の一つとして行われたのが始まりと言われていますが、その証として相撲界の最高の地位である横綱に推挙されると、必ず明治神宮の神前で土俵入りを奉納する事実を見ても明らかでしょう。
そこへ突如として降って湧いた『横綱朝青龍』事件には、協会も親方もあたふたして、どう収拾しようかと苦悩した結果、出した結論が二場所の出場停止と謹慎でした。
これについて、東京都の石原慎太郎都知事は産経新聞の『日本よ』と云う連載記事の中の≪文明の衝突さまざま≫ で、今回の朝青龍事件にも触れていますので要約しますと・・・『何年か前ハチントンが「文明の衝突」なる歴史原理を提唱した時、ある人々はその論に異を唱えていたが今世界に起こっているさまざまな出来事は論の正しさを証している』と前置きして『信仰もふくめて文化文明の異質さというものには簡単には乗り越えられぬ垣根があるのだ。そしてそれはいかに世界が狭小なものになろうと簡単には乗り越えられぬハザードなのだ。ということでいえば最近の相撲界を動揺させた横綱朝青龍の巡業サボタージュは、本質的になかなか厄介複雑で、かつ少々滑稽な感じがしないでもない。横綱の品格なる理念は極めて日本的なもので、それはそう簡単に情念として外国人力士に伝わり植えつけられるものとは思えない。これがもっと下っぱの力士が起こした事件なら協会は簡単に追放出来ようが、今までもいろいろ顰蹙(ひんしゅく)を買う節があってもなお記録的な成績を上げてきた圧倒的に強い花形であるためにそうもいくまい。協会の面子(めんつ)と営利を天秤(てんびん)にかければ、やはり我慢ということにもなろうが。しかし朝青龍当人にしてみると、日本人ならざる外国人アスリートとしては、この俺よりも強い奴がどこにいるのかという秘めたる自負は当然にあるだろう。彼にしてみれば協会からかなり厳しい罰を食ったが、引き返してきた後、周りの誰かに ≪やってられないよ 』
≫と、こぼしたのか嘯(うそぶ)いたのか、その一言にこめた心情は彼なりにフ雑に違いない。これまた文明の衝突の一つといえそうだ。この国際化の時代に国技という虚名の下で、まして利益をかけたプロの勝負の世界に、口では説明しにくい民族的な情念をからめた感情を、一時滞在の外国人におよぼそうというのはしょせん無理な話に違いない。』と言っていますが、所詮(しょせん)は26才の出稼ぎ外国人に『国技』だとか『品格』とかの心を求め、それを望むほうが無理な話で、それは大関までの彼の言動を見れば、先刻承知のはずなのです。
ところで、モンゴルに帰国した朝青龍の病名は最終的には≪解離性障害≫と診断されたようですが、一般の人々には聞きなれない病名だと思いますが、具体的に言うと『精神が追い詰められたときに生じる心の対処反応の一つで≪自分が自分であること放棄して、突然「いやだ!」と何もかも全てを放り出してしまう解離性障害』と云う精神状態のことだと医学的には証明されています』が、まさに、その後の朝青龍の一連の行動を見ればその通りの症状だと云えなくもありませんが、あれだけの無敵の強さを誇って三年半もの永木にわたって横綱の地位を一人で守ってきた精神的プレッシャーはいかばかりかとは思いますが、時には憎らしいほどのふてぶてしさと、ずば抜けた強さを見せていただけに、それも精神的な病の ≪解離性障害≫になろうとは、誰しもがにわかには信じられず、協会内はもとより巷でも仮病説がまことしやかに囁かれたのは無理もないことでしょう。
それにしても残念なのは、少なくとも、あれだけの強靭な強さと無敵さを誇った大横綱なのですから、ほんとに症状が重いとしても、マスコミや一般ファンの質問に対して無言で遁走するだけの横綱では、今までのふてぶてしいまでの強さと態度で角界の最高位を守ってきた横綱朝青龍にしては、あまりにもひ弱に見えて仕方がないのです。ところで、『平家物語には、 ≪祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の鐘(かね)の聲(こえ)、諸行無常(しょぎょうむじょう)の響きあり、婆羅雙樹(さらそうじゅ)の花の色、盛者必衰(じょうしゃひっすい)の理を顕(あら)はす。奢(おご)れる者もひさしからず、ただ春の夜の夢の如し。猛(たけ)き人も遂(つい)には滅びぬ・・・。 』とあります。』
朝青龍自身も、協会ともどもこの言葉を良くかみしめ、今後のさらなる自重と、一層の精進努力を願うのは、すべての相撲ファンの偽らざる心だと云うことを、お忘れなく・・・。
ところで、禅には次のような言葉があります。(禅問答の名言より・・主婦の友社刊)
(引)「『病気になるときは病気になれ。寒いときは寒さに成りきり、暑いときは暑さに成りきる。これこそ、この世の幸せというもの・・・』」と云う言葉ですが、これは禅の公案としてよく引用されるもので、これを基にして説かれたのが次の問答です。
『ある僧が、中国の曹洞宗の開祖である洞山禅師にたずねました。「寒さ、暑さで苦しい思いをします。どうしたらこの苦しみを避けることができるでしょうか」と問うたところ「寒さや暑さのない処へ行けばいいじゃないか」といわれたそうです。さらに僧は聞きました。「寒さや暑さのない処とはどんなところですか」と、すると洞山禅師は「寒いときには寒さに成りきり、暑いときには暑さに成りきるのだ」と答えられたそうですが、これはまさに≪心頭を滅却すれば火もまた涼し・・』と同じであり、良寛さんの言葉にも(引)「≪病気になるときは病気するがよく候、死ぬときは死ぬがよく候≫とあります。』」
禅では昔から、苦しみへ飛び込み、それになりきることでその苦しみから逃れられると教えています。例えば『うつ病になると≪なぜ自分ばかりがこんなに不幸なのだ』≫≫と考えて苦しみます。(これが特徴です)つまり、周囲の人も自分と同じ苦労をしているとは思えないのです。これを運の法則から考えてみましょう。私達の運は私達の積む業(ごう)により決まります。もし、私達の思いや言葉、行いなどが慈悲の心よりなされるなら、よい業(ごう)、つまり善業(ぜんごう)が積まれます。善業を持っている人の運勢はよくなるのです。反対に、もし私達の思い、言葉、行いが無慈悲なものであれば、悪業(悪業)が積まれます。これは運の借金のようなものですから、当然、運は悪くなるのです。ところで私達の周囲にはずば抜けて幸福な人も、驚くほど不幸な人も、そう多くはありません。だいたい、似たような人生を送っているのは、私達の業が特別によいものでもなく、特別に悪いものでもないからです。たとえば、苦しんでいる人を見て、「お気の毒に」と思っても、優しい言葉をかけて励ますことをする人は多くはありません。実際に経済的な支援をしてあげる人はもっと少ないでしょう。
その結果、私達の業には貯金もあり、借金もありということになり、押し並べて、ほとんどの人が中くらいの運を持つようになっているのです。もし、あまりの幸運に恵まれた場合は、運の貯金を使ったようなものですから、将来は不幸になるかも知れないと昔の人は考えていました。実際、若いときに名声を得た人は長生きしない事例が多いようです。晩年は闘病生活をするような人も少なくありません。しかし、人はいつも幸せではいられないのです。どこかで苦しい思いをするから、別のときに幸せを得ることができるのです。若いときに苦しい思いをしたことが今日の幸せのもとになっているのです。このことをよく考えなくてはいけません。実際、若いときに非常に恵まれた生活をしていたのに、人生でつまずき、失敗してしまった人の惨めさといったらありません。とくに日本では失敗した人の過去の業績はすべて消してしまうようなところがあります。このため、このような人が過去の自慢話をしても、皆あざわらうだけなのです。』と云うことです。
これまで見てきた禅の教えのように、横綱朝青龍の言動や、親方の無策ぶりだけでなく、それを、今まで放置してきた≪相撲協会≫の古い体質に多大な問題があることは明らかで、今日のJリーグの発展を参考に、迅速に組織の変革を図り、古い伝統の上に胡坐(あぐら)をかいてきた過去の努力不測を反省し、今後も進むであろう国際化問題に対し、相撲と云うプロスポーツの世界を、時代に適合した刷新と改革を図り、間違っても『文明の衝突』などと云われないよう、時代に合った相撲協会の思考改革に努力をしてほしいものです。
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