【平成十九年五月】の定例法話会・テキスト
その『学力テスト』は43年ぶりだった
《現代日本の子供達の学力低下は『文部科学省のヤマカン教育政策』が原因だった?》
五月五日は『端午の節句』と云って、以前は男の子のための祝いの日でしたが、現在は『子供の日』と云う休日になっています。しかし、板倉晴武(編著)《日本人のしきたり》によると、『もともと日本では、端午の節句は、何と女の子のお祭りだったのだそうです。
そして、その起源は田植えが始まる前に、早乙女さおとめと呼ばれる若い娘たちが「五月忌み」といって、田の神のために仮小屋や神社にこもってケガレを祓い清めていたのが始まりだったのだそうです。つまり、この日は、田の神に対する女性の厄払いの日だったと云うことになります。それが、男の子の祭りに変わったのは平安時代からで、この時代、宮中では馬の上から矢を射たり、競馬などの勇壮な行事を行なうようになっていました。そんななか、端午の節句で使われる「ショウブ」が、武士を尊ぶ「尚武」や「勝負」にも通じることから、男の子が「ショウブ」を頭や体につけたり、「ショウブ」で作った兜で遊ぶようになり、それが、女の子のお祭りであった「五月忌み」と云う行事が、次第に男の子を祝う行事に変わっていったのです。』
さらに、江戸時代になると、五節句《毎年五回ある節句で、正月七日(人日じんじつ)・三月三日(上巳じょうし)・五月五日(端午たんご)・七月七日(七夕たなばた)・九月九日(重陽ちょうよう)》の一つである「端午の節句」と定められ、武者人形を家のなかで飾るようになり、また中国の《龍門を登って鯉が龍になった。》と云う故事にあやかって、子供の出世を願うために「鯉のぼり」を立てるようになり、これで、五月五日は完全に男の子の節句になった。』とあります。しかし、ここで不思議に想うのは、五節句のうち三月は三日で、五月も五日で、七月も七日で、九月も九日なのに、なぜ、一月だけが七日なのかと云うことです。
そこで、その五節句の由来を調べてみますと、正月七日の(人日じんじつ)は、中国前漢の文人「東方朔さく」の古い占い書に、人日じんじつは中国の古い習俗で、正月の一日から六日までは、一日が(鶏にわとり)、二日が(狗いぬ)、三日が(猪いのしし)、四日が(羊ひつじ)、五日が(牛うし)で、六日が(馬うま)、と獣蓄を占い、七日に初めて人を占う、とされているところから、七日が人日じんじつと定められ、我が国でも江戸時代に人日じんじつは幕府の公式行事となり、この日は将軍以下そろって「七草粥ななくさがゆ」を食べて祝い、武家にとっては重要な祝日になったのです。
ところで、五節句のうち残りの三月三日の「上巳じょうし」と、七月七日の「七夕しちせき」に加え、最後の九月九日の「重陽じゅうよう」についても説明しておきたいと思います。
先ず、三月三日の(上巳じょうし)ですが、我が国では「雛ひな祭り」あるいは「桃の節句」として女の子のお祝いの日ですが、古代中国には、三月最初の「巳み」の日に川に入ってケガレを清める「上巳節じょうしせつ」と云う行事があって、それが日本に伝わり、今でも一部の地域に残る「流し雛ながしびな」の風習は、これに習って、子供のケガレを雛人形に移して、川や海に流したことが始まりだそうですが、ちなみに別名「桃の節句」の由来は、桃の木が中国では悪魔を打ち払う神聖な木と考えられて、雛祭りで飾られるようになったのだそうです。
そして、五月五日は前述した通りですが、七月七日の七夕たなばたは、中国の伝説によると、夫婦であった「牽牛けんぎゅう」と「織女しょくじょ」が天帝の機嫌をそこね、天の川をはさんで引き離されてしまい、一年に一度だけ、七月七日の夜に天の川にかかる橋で会うことを許された、と云う有名な伝説に、奈良時代に日本に古くから伝わる、村の災難を除いてもらうため、天から降りてくる神の一夜妻になると云う、悲しい「棚織津女たなばたつめ」の物語が加わり、現在の七夕(七夕祭り)が生まれたと考えられています。
さて、いよいよ最後の五節句の九月九日(重陽ちょうよう)ですが、これは、もともと中国の考え方で、九という陽数(奇数のこと)が二つ重なることから「重陽ちょうよう」と呼び、めでたい日とされてきました。古来、中国では菊の花は不老長寿に結びつくと信じられ、九月九日にはとくに菊の花を浮かべた「菊酒」を飲むのが習わしとなっていたのだそうです。
この習わしが飛鳥時代、日本に伝わって、宮廷の行事として「菊花宴」が開かれるようになり、平安時代には「重陽節ちょうようせつ」として正式な儀式となり、江戸時代になると、これが「菊の節句」として、五節句の一つに加えられ「重陽ちょうよう」として民間に広がっていきましたが、明治時代以降になると、この風習も少しずつ薄れていきましたが、いまでもこの日に、ちなんで、各地で菊の品評会が数多く、開かれるのも、その名残りかも知れません。
ところで、近年少子化問題が話題になって久しいのですが、その間、文部科学省は《ゆとり教育》と称して、土曜と日曜の二日間を連休にしたのですが、おかげで親達は二日も続けて子供達が家にいては、ゆとりどころか、子供達の世話に忙しく、子供達は子供達で男の子に限らず、女の子も含めて、同級生に負けてなるものかと、互いに親の見栄と面つに尻を叩かれながら塾通いに追われたり、親子ともども互いのゆとりどころではなく、これでは誰のためのゆとり教育なのか分からないと云うのが実情のようです。
ところが、その文部科学省の目論見違いと弊害が現れるのにそう時間はかかりませんでした。それは、最近行なわれた世界の国々の子供達の学力テストの結果を見ると明らかで、驚くことに世界の先進国の一つで経済大国を自認していた私達日本の子供達の成績が予想に反し、数字を中心に最下位に近い芳しくない成績だったのです。
これに慌てた《文部科学省》は、急きょ43年ぶりに小学6年と中学3年を対象に4月24日に全国学力テストを行なったのです。と云うことは《文部科学省》は、43年もの間、何を規準に教育の方針や指針を決めていたのでしょう。まして我が国のように資源が乏しく、食料の自給力も先進国中最下位の国である日本が、世界で生き残っていくためには、資源を海外に求め、それを加工し輸出する高い技術力がなければなりません。
にも関わらず《文部科学省》は、この43年もの間、学力テストのデータの裏付けもなしに、何を考え、何を規準にし教育行政を行なってきたのでしょう?。と云う疑問が私達国民の頭の中を駆け巡ったとしても、決して不思議ではありません。
少なくとも、この子供達は、万葉歌人の《山上やまのうえの憶良おくら》が詠んだ『(白金しろがね)も、(黄金くがね)も、(宝珠たま)も何せむに、まされる(宝たから)、(子こ)にしかめやも』と、云う歌の心から見れば、《文部科学省》には、我が国の未来を託す大切な子供達に対し、その大切な人材を預かり育てると云う《責任感》も《使命感》も《行政とは何か》と云う意識も自覚も感じられず、ただ自分達の天下り先の心配のみに明け暮れて居たと云われても仕方がないでしょう。さらに、中国には『敵を知り、己を知れば、百戦して危うからず』と云う言葉があります。この言葉に照らして《文部科学省》の政策・行政を考えてみますと『敵を知らず、己も知らず、百戦してすべて危うし』となるのではないでしょうか。
もちろん、このような状態では、もはや日本の教育行政を《文部科学省》だけに任せておく訳にはいかないのかも知れませんが、父兄側にも責任があることは云うまでもありません。しかも、すべてを学校側や教師側にその責任を押しつけようとする、一部のPTAの存在は、現場を預かる教師達に過大なプレッシャーをかけるのみで、何の役にも立たず協力もしない、無責任で単なる見栄と名誉だけの《PTA》は不要と云うべきでしょう。
そこで、劇評論家の戸板康二氏の著書『歌舞伎ちょっといい話(岩波書店)』の中から、」可愛い子供達を持つご父兄の皆様に、その一部が読売新聞の「編集手帳」にも載っていましたので転載してみましょう。(引)「『パパ、あの先生、私のこと褒めてくださらないのよ。』」長女で女優の「波乃久里子」さんがそう訴えたとき、先代の中村勘三郎さんは、彼女をなだめて語ったという。《あの先生は久里子のことを娘のように思っているんだ。父親ってものは照れくさくて子供を褒めないんだよ。》先生なる人が批評家か、演出家かは分からない。しかし、《パパが先生に文句を言ってやろう》と我が子に加勢すれば、とんだ親ばかになる。まして《褒められるように芸(学力)を磨きなさい》という説教も、建前じみてよそよそしい。これは、いろいろ考えたあげくの苦心の名せりふだろう。また(藤原兼輔)は『人の親の心は闇にあらねども、子を思う道に惑いぬるかな』と、理性を失いがちな親ばかの哀しみを歌に詠んでいますが、中村屋(先代中村勘三郎)のように、光の側に踏みとどまる親もあれば、一方では闇に迷う親も絶えない。』と書いていますが、そこでもう一つ、四月二十三日の「産経抄」に書かれていた《松本清張》にまつわるエピソードを、一部抜粋してみましょう。
それは(引)「『松本清張があの膨大な作品を生み出したエネルギー源は、学歴コンプレックスだったといわれている。九州・小倉の高等小学校で成績がよく、人一倍向上心が強かったのに、経済的な理由で中学進学がかなわなかった
▼電気会社の給仕として働いていたとき、中学の制服姿の同級生と出会うのが辛つらくて、いつも横道に逃げていたと書いている
・・・中略・・・
▼大学全入時代といわれながら、受験戦争は続いている。私立中学入学のために、塾通いする小学生は増える一方だ。こうした《二極化》を含めて、子供達の学力低下の問題は複雑にからみあっている。それをほぐし解決につなげるには、全国規模の詳細なデータが欠かせない。』」
とありますが、さぞ文科省の役人や、今の親達には耳の痛い話かもしれませんが、参考になれば幸いです。
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