【平成十九年四月】の定例法話会・テキスト
世の中に合わせ、桜前線も狂ったか?
《命とは、旅立った死者からのプレゼント・・・?「千の風になって」の後書きより・・》
四月八日は、お釈迦様の誕生日で《潅仏会かんぶつえあるいは仏生会ぶっしょうえ》とも呼ばれていますが、一般的には《花まつり》として広く親しまれてきました。そのお釈迦様は誕生するとすぐ七歩あるくと右手で天を指さし『天上天下てんじょうてんげ唯我独尊ゆいがどくそん』と宣言したと伝えられています。その時、地上のあらゆる生き物や、空を飛ぶすべての鳥も喜び、天の神々もこれを祝い美しい花を降らせ、竜はお釈迦様の頭上に甘い雨を降らせたと云われ、その言い伝えによって、四月八日の通常《花まつり》の日の『潅仏会かんぶつえ又は仏生会ぶっしょうえ』と呼ばれている、お釈迦様の誕生日を皆で祝い、美しく花で飾られた《誕生仏》の頭上に甘茶をかけ、お釈迦様の誕生を喜び共に感謝の気持ちを表すのです。
ところで、私達日本人が愛する代表的な花は、もちろん桜ですが、いつもの年ですと、桜前線は南から北へと北上するのが常ですが、何と、今年はどういう訳か、東京の靖国神社の標準木の花が、日本で一番最初に六輪開花し、この日、気象庁は東京の開花宣言をしたのです。今年はこのように国内では東京の開花宣言が一番最初でした。ところが月が変わった四月四日には、突然雷鳴を轟かせ雪が降ると云う大荒れの天気になったのです。
これは日本だけではなく世界的な異常気象のせいかも知れませんが、その異常性の裏には、北朝鮮問題をはじめイラン・イラク問題など、なにか世界のアメリカ一極集中に対し反発する勢力の胎動を暗示するようで、不気味さを感じた人も少なくないでしょう。
とくに、四日の大荒れの天気にいたぶられた桜を見て、雪よ雷よお前もか、と感じた人も居たかも知れません。一方いつもは早く咲く地方では地方分権の遅れや計画の頓挫が気になった人が居たかも知れません。しかし、桜が少々早く咲こうが、遅く咲こうが、江戸時代後期の禅僧『良寛りょうかん』が、いたづらに移ろう世相と混迷する人心を見て詠んだ《散る桜、残る桜も、散る桜》と云う名句があります。また代表的な漢詩にも《年々歳々花相似たり、歳々年々人同じからず》というものもあり、どちらも目先の小さな物事にこだわり右往左往する大衆に対し、それぞれの心の持ち方の大切さを教えているのです。
そこで、お釈迦様は、人々の生きざまを見て『生しょう老ろう病びょう死し』の現実的な四苦と『怨憎会苦おんぞうえく(憎い相手と会う苦しみ)・愛別離苦あいべつりく(愛するものと別れねばならない苦)・求不得苦ぐふとっく(求めるものが手に入らぬ苦)・五陰盛苦ごおんじょうく(現実を構成する五つの迷いの世界の要素)』の四つの心を合わせて四苦八苦を説かれ、その苦を乗り超える方法として『四諦八正道・十二因縁』を中心に八万四千もの法を説かれたのです。
そのお釈迦様は、すべての人々は皆平等であるとして、すべての人に慈しみの心で接し、あらゆる人を救うために、すべての人の理解力に合わせて、深遠な教えを分かりやすく説かれたのです。この説法のやり方を『機根に応じて法を説く』と言いますが、この機根の《機》とは、その人の先天的な能力と理解力を表し、一方、機根の《根》とは、後天的な努力を示しています。そして、それらの教えの集大成の一つが『般若心経』なのです。
そして、この教えを通して《天から》そして《仏さま》から頂いた命の大切さを想い、自分のためだけでなく、すべての人々のために平等に生かしたいと思います。
ところで、先月の法話会でお話した《千の風になって「ちひろの空」》ですが、この作者不詳の原作の日本語の詩を書いた《新井満あらいまん》氏の、巻末の『あとがき』に代える九つの断章の中に、心を打たれる部分がありますので、転載し皆さんとご一緒に読んで見たいと思います。それは九つの章の中の《4》の初めの次の部分から始まります。
(引)「『大黒柱であった父を失って、我が家は一挙に貧しくなりました。助産婦をしていた母は、父の分まで働かざるをえなくなり、その苦労は並大抵のものではなかったと思います。
母をこんなひどい目にあわせたそもそもの原因は何かといえば、それはまぎれもなく父の急逝でした。我が家に不幸をもたらした犯人は父なのです。・・・《中略》・・・
しかし、いくら責めてもいくら訴えても、仏壇の奥にいる父は返事をしてくれません。ただ黙って虚空を見つめているばかりです。『お父さんなんか大嫌いだ!』いつしか私は早死にした父のことを嫌悪し、うらむようになりました。
歳月が流れました。早死にした父のことを恨みに思いながら、私は少年から大人へと成長しました。父に対するそのような心境に、根底から変化が生じたのは、小説を書くようになってからのことです。ある雑誌社の依頼で、様々なジャンルの人々と対談することになりました。さて、その日の対談相手は、禅宗のある老師でした。歳のころは、七十代後半でしょうか。初対面ながら、その老師とは気が合いました。つねに微笑を絶やさない老師のおだやかな表情を眺めていると、固く閉ざされていたこころの扉も開放されるような気がしました。
《ああ、この人物ならば、心の秘密をうちあけてもよいかもしれない・・・》
話題が教育問題から父親の役割論に及んだ時、実は早死にした父のことを恨んでいるんですよ、と正直に告白したのです。
老師は私の話をじっと黙って聞いてくれました。しばらくしてから口を開き、《あなたの気持ちはよくわかりました。よくわかりましたが、少しだけ見方を変えてみると、こんなふうに考えてもよいかもしれませんね・・・・・》老師は一呼吸おくと、話をつづけました。《もしかするとお父さんは、早死にすることによって、早死にしたその分のいのちを、息子のあなたに託したのかもしれませんよ》『託す・・・・?』《つまりプレゼントですよ》『なんですって!』私は驚いて絶句しました。《あなたは今、お父さんは死ななくてもよいのに死んでしまったとおっしゃった。その時、仮にお父さんの余命がまだ三十年あったとしましょうか。不慮の事故で心ならずも生涯を閉じなければならなくなった時、お父さんは死の床で必死に考えたに違いない。自分の余命を誰かに譲ろう。ではいったい誰に譲ればよいのか・・・?そうだ、息子だ、死の瞬間、お父さんの末期の眼には、幼いあなたの姿が映っていたのではありませんか・・・?》
『ま、まさか、そんな』
《お父さんは、さぞかし無念であったことでしょう。新しい事業を始めたやさき、志し半ばにして逝くのですから。しかしそれ以上に気がかりだったのは、まだ幼いあなたを残して逝くことだったと思いますよ。きっとお父さんは断腸の思いであの世へ逝き、天上の星になったのではありませんか。星になって、あなたが病気になったりしないよう、すくすく丈夫に育つよう、いつも天上からあなたのことを見守ってくれたのではありませんか》
『眼からうろこが落ちるとは、まさにこのことでした。言われてみればなるほど、思いあたるふしが少なくないのです。生まれつき虚弱な体質だった私は、何度も大病をしては何度も死にかかりました。ところがそのたびに奇跡が起きて、なぜかいのちが助かるのです。それは、誰かに命をもらったおかげなのでしょうか。老師が言うように、父は死の瞬間、余命を私に譲り、死後は天上の星となって、幼い私の成長をじっと見守りつづけてくれたのでしょうか。〈お父さん・・・・・〉胸の底からこみあげてくるものがありました。あふれ出るものを止めようとするのですが、どうしても止めることができません。』
〈ごめん・・・・・〉
涙をぬぐいながら、私はようやく気がついたのです。早死にした父をうらんできたのは、大きな大きな間違いであった。そして一刻も早くしなければならないことは、ただ一つ、心から父に謝罪し、感謝することだったのです。
老師と対談してから、死と死者に対する私のイメージは大きく変わりました。さらにその変化を決定的にしたのは《千の風になって》との出会いでした。誰が書いたのかわからない、この不思議な英語詩の主人公は、なんと死者なのです。死者が、あとに残してきた生者の耳元でやさしく語りかけるのです。
「自分はたしかに死んだ・・・」そう言いながら、
「たしかに死んだのだけれど、今は風に生まれ変わってけっこう元気にしているよ・・・」
だから、「どうか、わたしのお墓の前で嘆き悲しむのは、そろそろやめてほしいな・・・」
つまり死者が、生者をはげましているのです。そればかりではありません。
「朝は鳥になってあなたを目覚めさせるし、夜は星になってあなたを見守っているよ・・・」と生者の無事を祈っているのです。
ありがたいことではありませんか。もったいないことではありませんか。
生者としては、死者のこの祈りとはげましに対して。ちゃんと答えてあげなくてはなりません。」
《以下略》
ここまで読んできて、私は思わず自分の過去の生い立ちを振り返ってみました。たしかに私は、未勒館のホームページの『私と仏教との出会い』の中でも書いているように、四才の時に母を亡くしました。しかし、そのホームページには書きませんでしたが、実は私が六才で、妹は三才の時、二人とも同時に法定伝染病の《腸チフス》と云う重い病気にかかり、病院の隔離病棟に入院したのです。しかも、この災難はそれだけでは済みませんでした。と、云うのも何と病院に入院してから、今で言う院内感染かもしれませんが、これも法定伝染病で幼児にとっては命取りとも言われていた《疫痢えきり》と云う病気に感染してしまったのです。それは、医学大辞典によると《幼少期にみられる細菌性赤痢の重症型》と云うことで、まだ、幼く体力も抵抗力も弱い私達にとっては、二つの法定伝染病に感染し発病したと云うことは、今から七十年近くも前の医学の治療技術では、死の宣告にひとしく、それでも担当医は懸命に治療に専念してくれる毎日でした。後で聞いた話ですが、当時の医学のレベルから見て、医者も半分諦めていたらしいとのことでした。
ところが、信じられないような奇跡が起こったのです。あとで父や親戚の叔父叔母達の話を聞くと、治療を受けはじめてから三ヶ月程の日時が過ぎたころから、私も妹も、日一日と薄皮を剥ぐように快方に向かい始めたと云うのです。
やがて退院した私は、元気に小学校の門をくぐり無事に一年生の春を迎えることができたのです。しかし、当時もそうでしたが『千の風になって』と云う本に出会うまでは、自分は運がよかったんだ。懸命に治療してくれたお医者様のおかげなんだ、と思っていました。ところが、この『千の風になって』を読み、著者の新井満氏の《あとがきに代える九つの断章》を読んでみて、今までの考えは間違っていた。今ある自分の命は、三十一才の若さで、今の医学の知識と技術なら直ったであろう《急性肺炎》と云う病気で、私とまだ乳飲み子同然の妹を残してこの世を去らなければならなかった母は、さぞかし心残りだっただろうし、無念だった事でしょう。今になって、その時の母の気持ちを考えて見ますと、母は今で云えば、女性の平均寿命の八十年の使い残した残りの五十年を、私と妹を救うためにあの世から私達にプレゼントしてくれたのだ・・・。と云うことに気づいたのです。
そのことに気がついた私は、今、ここで次の方達に心から感謝とお礼の言葉を述べさせていただきたいと思います。『千の風になって』の本よありがとう。著者の『新井満さん』すてきなあとがきをありがとう。・・・・・そして、私達兄と妹は『母』から二度目の命をもらったことに心から感謝し《ありがとう・・・》と、天国の『母』に伝えたいのです。
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