【平成十九年三月】の定例法話会・テキスト
『千の風に・・・』は、《仏の慈悲の心です。》
《同時テロの追悼の地や、NHKの『紅白』で歌われ、日本中が涙した、心の歌・・・》
世に《レクイエム》と言う言葉があります。この言葉は、本来『彼らに安息を・・』の意味で、カトリック教会で行なわれる死者を弔うためのミサ典礼の曲で、いわゆる『鎮魂曲』のことですが、死者の魂が天国に迎え入れられるよう、神に祈る《鎮魂ミサ曲》であり、それは今まで私達のように、この世に生き残っているものが、一足先に来世へと旅立った人々の魂を鎮める鎮魂の曲なのです。それは、同時に自らの心をも癒すための曲でもあって、例えば、自分が最も愛する人との別れ(仏教の四苦八苦の中の愛別離苦)で、心に大きな風穴が開いてしまった時や、心ならずも大切な人に先立たれてしまったときなどに、その悲しみや苦しみを乗り越えながら、必死に心の痛みに耐え、一人で静かに聴きたい歌、それが《千の風になって》と云う歌なのです。そして、この歌は今でも私達の記憶に新しい、四機のハイジャックした民間旅客機を使って、ニューヨークのマンハッタンをはじめ、多数の乗客を道連れに、同時に四ヶ所を襲った多発テロの目標の一つでもあり、多数の犠牲者を出した『ツインタワービル』の跡地《グランド・ゼロ》で犠牲者の追悼慰霊のために、この《千の風になって》が歌われ、その後、世界の各地に広まり歌い続けられ、我が国でも昨年末の『NHK紅白歌合戦』で歌われて以来《千の風ブーム》現象が起き、最近ではミュージカルにもなるほど、今も、静かにしかも確実に広がっています。
しかし、ここで皆さんにちょっと考えて欲しいことがあります。と云うことは、これまでの《レクイエム(鎮魂曲)》に対する私達の解釈を、もう一度ふり返ってみたいと云うことです。それは、私達は今まで《レクイエム(鎮魂曲)》は、この世に残された者が、一足先に旅立った人達への鎮魂のための歌や曲として受け止めて来ましたが、この《千の風になって》は、今までとは異なり、一足先に旅立った人達から、この世に残った私達への癒しのメッセージであり、神仏からの《慈悲の心》に満ちた、応援の詩うたなのではないでしょうか。それでは、この『千の風になって』を、ご一緒に読んでみましょう。
(引)「
『 私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 眠ってなんかいません
千の風に 千の風になって
あの大きな空を 吹きわたっています
秋には光になって 畑にふりそそぐ
冬はダイヤのように きらめく雪になる
朝は鳥になって あなたを目覚めさせる
夜は星になって あなたを見守る
私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 死んでなんかいません
千の風に 千の風になって
あの大きな空を 吹きわたっています
千の風に 千の風になって
あの大きな空を 吹きわたっています
あの大きな空を 吹きわたっています
」
そこで、この詩の中の(引)「《私のお墓の前で泣かないでください。そこに私はいません・・・眠ってなんかいません》」の部分と、(引)「《そこに私はいません・・・死んでなんかいません。》」に挟まれた(引)「《秋には光になって・・・から・・・夜は星になって あなたを見守る》」の部分を読んでいるうちに、『お大師さま』の教えを詠よんだ『四国八十八ケ所御詠歌』の冒頭にある《高祖弘法大師御詠歌》の第三番の『阿字あじの子が 阿字あじの古里ふるさと立ち出でてまた立ち還かえる阿字あじの古里ふるさと』と云う部分が心の中をよぎりました。
それは、この最初の『阿字あじの子が』は《仏の子》と云う意味であり、続く『阿字あじの古里ふるさと』が《仏の世界》を意味し、しかも私達が日常《あの世》と、呼んでいる来世をも暗示しているからです。そして、さらに続く『立ち出でて』は、私達が、仏の世界から《この世(娑婆しゃば世界)》へ生まれ出ることを意味し、最後の『また立ち還かえる阿字あじの古里ふるさと』とは、私達が天から与えられたこの世での命を全うしたとき、私達は死ぬのではなく、自分が生まれた故郷(仏の世界)へ、再び安心して帰ると云う意味なのです。
しかし、一般常識や通常の仏教(顕教けんきょう)などでは、人は死ぬとあの世という見たことも行ったこともない《未知なる世界》へと旅立ち、そこには、閻魔大王をはじめ、十王経にある十人の大王が、手ぐすね引いて待ち構えていて、自分の過去を裁かれると信じられていますので、自らのこの世での行ないを振り返り、自分が直接裁かれることへの不安を感じ、しかも、万一『閻魔大王』に嘘の自己申告をしたとすれば、容赦なく、閻魔様に舌を抜かれ、即座に地獄へと送られ、そこに待ち受けている、代表的な恐ろしい地獄《八熱地獄》や《八寒地獄》や《無間地獄》と云う筆舌に尽くし難い苦しみの世界に突き落とされる、とされていますので、それが、死後の世界、すなわち来世への恐怖につながり、死への不安や恐れや恐怖への意識として増幅し、心の中の重圧になるのです。
しかし、一般仏教(顕教)にも救いはあります。それは仏への心からの懺悔です。人は悪いと知りつつ罪を犯すことも、悪いと知らずに罪を犯してしまうことも、このくらいなら良いだろう。とか、ばれなければ大丈夫と軽く考えて罪を犯すこともあります。
それについて、曹洞宗の開祖『道元禅師』は、修証義の第一章で『徒いたずらに邪見じゃけんに堕おちて虚むなしく悪業あくごうを感得かんとくせん、惜おしからざらめや、悪あくを作つくりながら悪あくに非あらずと思おもい、悪あくの報ほうあるべからずと邪思惟じゃしゆいするに依よりて、悪あくの報ほうを感得かんとくせざるには非あらず』と心の持ち方の大切さを説き、さらに第二章の『懺さん悔げ滅めつ罪ざい』では、懺悔の大切さを説いています。
仏教では、自ら犯した罪の中で《気づかずに犯した罪》が、最も重いとされます。それは、そこからは罪の意識も、反省の心も生まれないからです。そこで、その無意識に犯した罪も含め、あらゆる罪の許しを願うため、仏に懺悔文さんげもんを唱えるのです。
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