【平成十九年一月】の定例法話会・テキスト
『天の声』と『悪魔の声』は違うのです
《この世の雑音に惑わされず『真実の声』を聞き、ベートーベンに学びなさい》
年末恒例の《ベートーベンの第九の合唱》に送られ、新しい平成十九年の朝を迎えました。それは、太陽が東から昇り西へ沈むように、いつも自然の摂理に基づき、新しい一年が始まったのです。しかし、権力に溺れ、欲の虜とりこになった一部の人間は違います。
そのような人間達に世の中を任せたことが、今日の世界の平和を乱し混乱を招く事になったのです。太古の昔から人は自然の声を聞き、天地のリズムに逆らうことなく、過去から現在まで、私達人類はあるがものをあるがままに受け入れ生きてきたのです。
なのに、愚かな人間達は自我の求めるままに、私利利欲の中に潜む誘惑に負け、地位や名誉や金欲に溺れ、それを見た若者はそれを真似し、昨今のように堕落させ、それが、今日のような世界の混乱を招く要因にもなったのです。特に昨年天の声と称する命令を発した三人の知事達には、天の声というその言葉とは裏腹に、彼らの汚れた耳に聞こえていたのは、おそらく天の片隅の魔王か、心中の悪魔の誘惑という囁きだったのでしょう。
ところで、冒頭に述べた「楽聖ベートーベン」の永遠の名曲《第九交響曲》の逸話をかいつまんでお話ししてみますと、皆さんも、すでに御存じのように、彼が、この《交響曲第九(合唱付)》の作曲に取り掛かった時には、彼の耳はほとんど聞こえなくなっていました。その彼は作曲に際して天が与えてくれた音楽的才能に感謝しつつも、聴力を奪った天を恨み《神よ!私から音を取り上げるなら・・なぜ、私に才能を与えたのか・・》と言ったと伝えられています。しかし、その時、天がベートーベンに言ったと伝えられる言葉は『神は愛するものを試される。君は深く愛されているのだ・・・その神の手となって音楽を奏でる君が、神に背を向けるのか・・・』と叱責したと伝えられていますが、その『天の声』に対しベートーベンは《それなら、なぜ私の耳は聞こえないんだ・・・。》と天に向かって言うと、天は『それは君が、人が今まで聞いたことがない音楽を聞くためだ。それは、歓喜と信頼と信仰の歌、天上で天使たちが歌う歌を聞くためだ。友よ、神はこれからも、ずっと君の側にいる。一番苦しい時に人は神を知るのではないか・・・。』と答えたと言う。
この天の声を聞いたベートーベンは、さらに以前にも増して自分の中で、いっそう強く鳴り響くようになった内なる天の声に、じっと耳を傾けるようになったのです。そして、次第に地上の声でなく、清らかな天使の声に魅せられていった彼は、今作曲に取り組んでいる第九の構想の中に、十代の頃から、いつか曲を付けたいと願っていたシラーの歓喜に寄せての詩の(引)「《我が抱擁を受けよ・・・100万人の人々よ!》で始まる歓喜の歌の前に、第四楽章の冒頭にバリトンで歌われる《おお友よ、このような調べではなく、もっと心地よい歌を・・・さらに最高に喜びに満ちた歌を・・・》」で始まる感動に満ちた、とても地上の声とは思えぬ、素晴らしい歓喜の歌の独唱のパートになったと伝えられています。
しかし、そのベートーベンが、第九の初演に際し、聴衆の前に着ていく服さえ買えないほど、貧乏だったことを知る人は少ないでしょう。(天才は死して後、名を残したのです。)
ところが、最近の世相は、あたかも自分の力で太陽を西から出して見せるとでも言いたげな、驕おごり高き輩やからが増え、彼らは常識も、倫理も、道徳も、相互の協調性も無視した、自分さえ良ければという、日本人の美しい心の原点でもある『《和をもって尊しとなす・・》と云う聖徳太子の十七条憲法』の冒頭の言葉が示す、日本人としての協調と和と云う精神性の原点の爪の垢さえも残さず、ひたすら欧米型狩猟民族の《作らず育てずただ奪うのみ》という競争原理に走った結果、長年我々農耕民族の心の中で育んできた《互いに助け合い、共に育て収穫する》と云う美しい心を次第に失い、これでは、安倍首相の云う『美しい日本』の構築には、もっとも必要な《美しい心》があってこそ初めて可能な筈なのに、彼ら金の亡者たちは、何一つ社会の役に立つ生産性にも、貢献せず、単なるマネーゲームに狂奔きょうほんし、心の卑しい拝金主義者に成り下がり、本来の日本民族の美しい精神を忘れた『美しい日本』には不用な狂った人間が増えつつあるのは、真に残念な事です。
こうして見てくると、ベートーベンがすでに聴力を失った耳のはるか彼方で高らかに歌われていた《天使の声》の崇高で清らかな『歌声』に比べると、逮捕された三人の知事や地方の長たちの《天の声》は、何と卑しく貧しい『天の声』だったのでしょう。
ところで、仏教の開祖である『お釈迦様』が、ブッダガヤでまさにお悟りに入られようとされた時《今まで多くの人々に、迷いや、争いや、混乱の心を植えつけるなど、悪事の限りを尽くして来た天の魔王は》今ここで、お釈迦様に悟られては、人々の心を正しい方向に導かれてしまう。それでは、今後、自分たちの仕事がやりにくくなると考え、千人の息子と三人の娘たちに相談したのです。すると五百人の息子は父魔王の意見に賛成し、残りの五百人の息子たちは、お父さんもういい加減に人々を惑わすようなことは止めましょう。と言ったのです。そこで父魔王は三人の娘たちに、お前たちはどうすると問うと、私達はお父さんの考えにお任せします・・・。と答えたので、魔王はそこでお釈迦様が悟られるのを邪魔しようと考え、息子たちには、妖怪変化や悪魔の姿でお釈迦様を脅し、お釈迦様が悟られるのを邪魔させ、三人の娘たちには色仕掛けで誘惑させたのです。しかし、お釈迦様の心は少しも動ぜず、右手の指先を右膝の前に置き、静かに大地に触れられ『我大地と共にあり』と《降魔印(触地印とも言います)》を示され、これを見た魔王は、とても我々の太刀打ち出来る相手ではないと考え、悪魔たちは退散し、その時、お釈迦様は深い真実の悟りを得られ、その教えが今でも多くの人々の心を救い続けているのです。
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