【平成十七年十一月】の定例法話会・テキスト
二年間の闇から戻った、命の奇跡・・・
《吉友嘉久子の著書『世界でたった一つのカレンダー』が語る、美しい家族愛》
今月も、ある《一冊の書籍》を皆様と一緒に読んでみたいと思って取り上げました。それは《テレビで感動を呼んだノンフィクション!》として評判の『世界でたった一つのカレンダー』と云う、元北日本放送のラジオパーソナリティとして18年間活躍し、朝の生放送番組を担当した《吉友嘉久子氏》が、肌で感じ、心で書いた人間の強さと弱さと、二年に及ぶ意識が戻らぬ妻を支える夫と二人の子供が織りなす家族愛によって現代医学に見限られた妻が、二年の時を経て奇跡的に意識を回復した感動溢れる一冊です。
ところで、この本の第一章は『目覚め』と云うタイトルで始まり、夫と子供達の願いが天に通じ二年間の眠りから奇跡的に意識を取り戻した妻の次のような言葉で始まります。『子どもたちは?』くぐもった声で雅世まさよさんは言いました。ぼんやりとした意識が、ヴェールをはがすように戻りつつありました。最初に言った言葉、それは無意識の内に口をついて出た、母の習性であったかも知れません。目が覚めきらず、もう少し寝ていたい、体が重い。でも、子供の世話をしなければ、という母親の使命感は二年もの間、途絶えていなかったのです。『大丈夫だよ。元気だよ』聞き慣れた夫の声がします。『そう・・』・・・・はじめはボンヤリと夫の顔が見えました。夢うつつの彼女には、どうして寝ているんだろう、でも眠いな、そんな感じでした。しばらくして、『おかあさん』『ママ』そんな声がしたような気がしました。その時、ベッドの傍そばでは夫の隆司たかしさん一人が彼女を見守っているだけでした。しかし、二人の子供の声が、遠い昔に聞いた子供の声が、母親である雅世さんの耳の奥で確かに聞こえたのです。
※部分的に引用抜粋しております。
(引)「
その時から、彼女の頭は再び活動を始めたのです。しっかり目を開きました。・・・心配そうに見つめる夫の顔がそこにありました。回りを見ると、どこかの病院のようです。腕には点滴の針が刺さっているらしく、薄い掛け布団から伸びている何本かのビニールの管が見えます。・・・『私、どうしてここに?』
そこで、夫はこれ迄のことを、かいつまんで話しました。
《針治療に行った直後、雅世さんが意識を失ったこと。突然、容体が急変したので近所の救急病院jに運ばれたこと。そこでは治療が無理なので、東京の大岡山にある、この総合病院に移ったこと。危篤状態になって一週間もつかどうかとお医者様に言われたこと。でもその後二年間も酸素テントの中で眠り続けていたこと等》をです・・・・・。
しかし、二年ぶりに意識が戻ったと云っても、体の自由がききません・・・。
『私、私、起き上がれない。手も動かせない。どうして・・・? 眠り過ぎたから・・・? 足もどこにあるか分からない、足がなくなってしまったの・・・? 貴方、ねっ、助けて!イヤ、こんなのイヤ! 貴方の顔は見えるけど、首もどこも動かせない、どうして、どうして・・・? ねえ、貴方、お医者様を呼んできて・・・!』
《雅世さんは泣きそうになって夫に訴えました。》
夫は『雅世、落ち着いて、ここは病院なんだよ。君は二年間、ずっと眠ったままだった。やっと目が覚めたんだ。あちこち感覚がおかしいのは、そのせいさ。さっき、お医者様も来られて、静かに寝ているようにって。だから、じっとしていれば、そのうち良くなるよ』・・・しかし『だめ、そんなの耐えられない、今すぐ何とかして、お願い!』と雅世さんは取り乱して泣き出しました。溢れる涙は止まることを知らず、後から後から頬ほおを伝います。けれど、流れる涙を拭ぬぐおうにも、手が動かないのです。
こんな顔は夫にも見せられない、そう思っても、横を向くことも出来ないのです。
そばにあったタオルで涙を押さえてくれる夫の眼も潤うるんでいます。
『雅世、とにかく命を取りとめられたことだけでも、有り難いんだから。これから時間をかけて、ゆっくり身体を治していこうよ・・・』と雅世さんを元気づけようとします。
しかし、夫の隆司さんは知っていたのです。《奥さんは、万が一、意識が戻られても多分、全身マヒで、一生涯寝たきりだと思います。悪くすると記憶障害や、その他、脳への障害が残る恐れもあります。》と、お医者様から宣告されていたことを・・・。
しかし、雅世さんは奇跡的に命を取りとめ、万に一つと言われていた意識を取り戻したのです。それだけでも隆司さんは嬉しかったのです。
そして、この雅世さんがこのような悲劇に見舞われたのは、昭和四十六年六月十六日の事でした。二人の子供にも恵まれ、家庭的な雅世さんは家事が大好きで、洋裁や手芸も得意で、つい熱中して手芸をやり過ぎると肩凝りが出てしまうのが玉に瑕きずでした。その前夜も夜遅くまで刺繍ししゅうに夢中になっていたので、又、肩の痛みがひどくなってきました。そして、いつも行くハリの先生のところに出かけました。
ハリの治療が始まりました。肩から首にかけてのハリで、次第に楽になってきた頃です。「チクッ」その時、雅世さんは少しだけツンとくるような違和感を覚えました。
《いつもの感じと違うのかなあ・・・今日は肩が、だいぶ固くなっているのかな・・・》
しかし、なんということでしょう! そのたった一針、その針が、誤って雅世さんの頚椎けいついに刺されてしまったのです。雅世さんの肩のせいでは勿論ありません。ハリ治療で一番あってはいけないミスです。頚椎けいついは首の後ろにあり、頭と背骨をつなぐ骨で、その骨の中に身体の動きを司つかさどる神経が通っているのです。
たった一本の針が、雅世さんの幸せだった人生を、百八十度転換させてしまいました。
おかしいなと感じてから十五分後に気分が悪くなりました。そして、四十分後には全身麻痺に襲われたのです。危篤状態になって運ばれた神奈川県内の救急病院では設備も足りず、翌日、東京の大岡山にある東急病院に移りました。
最初は一週間もつかどうかと言われ、意識を失ったまま、生と死の狭間を行き来していたのです。四ヶ月間、酸素テントの中で二十七歳の雅世さんは眠り続けていました。生命の危機を脱した後も意識は戻らず、毎日、四本の点滴だけで命をつないでいたのです。夫は、二人の娘を雅世さんの両親にあずけ、一人暮らしをしながら、それから二年間、毎日のように病院へ通いました。こんこんと眠り続ける雅世さん。誰もが、もう彼女はこのまま起きないかも知れないと半なかばあきらめていました。それでも夫の隆司さんは必ず奇跡が起こることを信じ、仕事でどんなに遅くなっても出来る限り彼女を訪れ、眠ったままでいる妻に声をかけました。『雅世、今日はだいぶ寒くなってきたよ・・・。そう言えばゆうべ公美子と真由美から電話あったよ。二人とも楽しそうにキャッキャと笑っていたよ。今にきっと、四人で前みたいに楽しく暮らせるようにんさるさ。でも、雅世、必ず目を覚ましてくれ。どんな事があっても、あきらめないでお前が目を開けてくれるのを待っているから・・・・。じゃ又来るよ、お休み・・・・』と言ってから、夫の隆司さんは病院を出ると、それから一時間半かけて神奈川の自宅へ帰って行きます。
その甲斐あってか、ある日、本当に奇跡は起きたのです。雅世さんは、ようやく二年間もの長い夢から覚めたのです。すぐに病院から連絡を受けた隆司さんは職場で受話器を握りしめ『えっ?ほんとにっ?すぐ行きます、はい、すぐに・・・』と、電話を切るなりすぐに会社を飛び出し病院まで駆けつけました。
しかし、雅世さんには、お医者様に言われていたように全身マヒが残りました。でも、雅世さんは負けませんでした。数々の苦難を乗り越え次のような境地に達したのです。《私が不自由なのは、神様が私ならきっと耐えられると思ったからです。私は選ばれたのです。》この時、雅世さんは自らの身の上に起こったすべてを受け入れ許したのです。
雅世さんは、その時から、気持ちの上ではしっかりと立ち上がっていました。
『私にとって、一番大切なのは、子供たち。私はこんな体になってしまったけど、
子供たちさえ、幸せに育ってくれるなら、それだけで、いい。
私のことは、もう、構わない。
目があるから、子供の姿が見られる。耳があるから、子供の声が聞こえる。
口があるから、子どもと話す事が出来る。それで充分じゃない・・・?
一日でも長く生きて、私の子どもたちを見守っていこう・・・』
」
ついに雅世さんは仏の光に接したのです。
注)現在のハリ治療では技術が進み、このような事故は起こらなくなりました。
※この本の発行所は潟_イナミックセラーズ出版です。
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