【平成十七年十月】の定例法話会・テキスト
感動の『心訳・般若心経』を読んで・・・
《僧侶でも、仏教学者でもない『生命科学者』が、生死を越えて訳した経典》
最近、魂が語る『生きて死ぬ智慧《心訳・般若心経》』と云う本に出会いました。この本の始めには、本論に入る前に《ひとはなぜ苦しむのでしょう・・・ほんとうは 野の花のように わたしたちも生きられるのです あなたが 目も見えず 耳も聞こえず 味わうこともできず 触覚もなかったら あなたは 自分の存在を どのように感じるでしょうか これが「空」の感覚です》と書かれていますが、この本の著者『柳沢桂子さん』は、厳しい修行を積んだ僧侶でも、仏教理論に精通した仏教学者でもない、一人の女性生命科学者で、三十六年にも及ぶ難病による、全身の痛みと苦しみの中から、生死を越えた壮絶な闘病生活と云う体験を通して到達した、彼女自身の魂の息吹でもあり、この本を読み終わった時、これは宇宙からのメッセージであり、言い換えれば、直接『大日如来』の説法を聞いているような感動を覚えました。その時の感動的な印象は『生きて死ぬ智慧』と云う「タイトル」そのままに、真実の魂の奥底を揺さぶられるような感覚を覚えました。
この本は、先にも書いたように、著者『柳沢桂子さん』と云う、修行を積んだ僧侶でも、仏教学者でもない、一人の生命科学者が、まさに筆舌に尽くし難い苦しみの中、想像を絶する闘病生活を乗り越えた結果、悟りの境地に近い、大自然や宇宙との対話の中から感得した、真実真理への道を深遠なる教えの『般若心経』の中に見出した珠玉の一冊で、従来の般若心経とは異なった視点から、宇宙の真理と一体になり到達した、無我の境地の魂が語る『般若心経』ではないかと感じ、心の底から感動した一冊でした。
ともすれば、今まで私達は仏教哲学の哲理を重視した解釈を尊重して《般若心経》を読み解き理解しようとして来ました。もちろん未勒館の法話会でも、何年も前から仏教理論を中心に、仏教各宗祖や高僧達の『般若心経』に対する解釈の違い等を比較しながら、多角的に学んできましたが、これが最も基本的な方法として現在でも続けています。
しかし、この『生きて死ぬ智慧《心訳・般若心経》』を読んで、この経典には別な意味で、直感的、且つ感覚的な解釈の受けとめ方があると云う事を知ったのです。
しかも、その内容が先般NHKの《生活ほっとモーニング》や、教育テレビの《こころの時代》の放映で大反響を呼び、さらに、去る十月三日に再び、NHKのハイビジョン特集『いのちで読む般若心経・深遠な空の世界』に生出演された、著者の《柳沢桂子さん》と臨済宗の僧侶《松原哲明師》との宗教対談で、彼女自身が自ら語った次のような壮絶な闘病体験は『病気が進行して点滴だけで生活している時、身体中が起きていると我慢できないぐらい痛いので、ベッドで横になりますが、またすぐに身体中が痛くなるので、起きてしまいます。そんなことを繰り返していると、一秒がとても長く感じるのです。こんなに苦しいのなら、いっそ、点滴を外してもらって楽になりたい。』と、一度は死を願った闘病三十六年の体験談を聞いて、仏教者以外の生命科学者が、仏陀釈尊の六年の苦行をはるかに超える、三十六年にも及ぶ、壮絶な苦行とも云える闘病生活の末到達した、生命科学者『柳沢桂子さん』の、生命とは、生きていく事とは何か、と云う真理に到達した境地を考える時、ふと、二つの事が頭をよぎりました。それは、一つ目が文殊菩薩をはじめ諸菩薩との問答に打ち勝った《維摩経ゆいまきょう》の主人公《維摩居士ゆいまこじ》の事でした。この《維摩居士》は、在家の身でありながら、釈尊の高弟や菩薩達を遥かにしのぐ高度な教理を会得したことは、維摩経の中にも書かれているように、知恵第一と云われた《文殊菩薩》の問答挑戦を『維摩の一黙、雷の如し』で退けた在家の修行者で、二つ目は、チベット仏教の『死者の書(バルド・トドウル)』の中に出てくる一節です。それは、死に直面した「ツェリン・バルダン」に語りかけるように読む「チョザン」の『バルド・トドウル』の一節です。彼もまた、先の『維摩居士』と同じように、正式に出家した僧侶ではなく、農業の傍ら、時に応じて僧侶の代役を努める立場で、その一節とは《ツェリン・バルダンよ、よくお聞きなさい。ツェリン・バルダンよ、よくお聞きなさい。今こそ、あなたが道を求めるときです。まもなくあなたの呼吸が止まるでしょう。そのときに、最初のバルドの強烈で美しい光が現れるのです。この光が、あなたの命を作っていた本質です。その光と一つに溶け合うのです。》と云う部分ですが、この、今まさに死を迎えようとする人の枕元で唱える『バルド・トドウル』の冒頭の言葉の『よくお聞きなさい』の部分が、次の柳沢さんの『生きて死ぬ智慧、心訳・般若心経』の中にも共通しているように頻繁に出てくるのです。その『柳沢桂子さん』の、話題の著書『生きて死ぬ智慧、心訳・般若心経』には《観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空》の訳『すべてを知り 覚った方に謹んで申し上げます 聖なる観音は求道者として 真理に対する正しい智慧の完成をめざしていたときに 宇宙の存在するものには 五つの要素があることに気づきました お聞きなさい これらの構成要素は 実体をもたないのです・・・後略』
これ以後、この《お聞きなさい・・・》が五回も繰り返し出てきますが、これ以後の全文は『生きて死ぬ智慧』(小学館発行)を直接読んでいただくとして・・・。次に、この書物の中から、特に最後に心に残った26頁の部分を書いておきます。
それは、(引)「『真理を求める人は まちがった考えや無理な要求をもちません 無常のなかで暮らしながら 楽園を発見し 永遠のいのちに目覚めているのです 永遠のいのちに目覚めた人は 苦の中にいて 苦のままで 幸せに生きることができるのです 深い理性の智慧のおかげで 無常のほとけのこころ ほとけのいのちは すべての人の胸に宿っていることを悟ることができました このように 過去・現在・未来の三世の人々と 三世のほとけとは永遠に存在しつづけます 深い理性の智慧もまた 永遠にわたって存在するということです それゆえに ほとけの智慧は 大いなるまことの言葉です いっさいの智慧です これ以上のまことの言葉はありません いっさいの苦を取りのぞく 真実で偽りのない言葉です その真実の言葉は 智慧の世界の完成において次のように説かれました』
羯諦(ぎゃてい) 波羅羯諦(はらぎゃてい) 菩提薩婆訶(ぼうじそわか) 般若心経(はんにゃしんぎょう)
(行くものよ 行くものよ 彼岸に行くものよ さとりよ 幸あれ これで智慧の完成の言葉は 終わりました) 」
と結んでいます。
次にこの本の著者『柳沢桂子さん』ご本人の《あとがき》から、その一部だけですが転載させていただくと(引)「『私は現在六十六才です。一九六九年から病気をしていますから、三六年も病んだことになります。激しい嘔吐と腹痛、頭痛、めまい、傾眠と非常に苦しい症状が一週間もつづき、次の一週間は寝たり起きたり、第三週目でやっともとに戻れるのですが、この周期が一ヶ月に一度ずつ巡ってくるのです、ということは、月に二週間しか起きられないということです。病気の原因がわからないので、どの医師にかかっても心因性のものと診断されました。家族にもそのように説明されました。勤務先に出す書類にもそう書かれました。けれども、嘔吐発作は正確に一ヶ月に一度なのです。それも排卵期に決まっていました。そのように医師に告げても、ますます気のせいにされるばかりでした。《中略》この三十六年間私は苦しみました。孤独でした。人間であることの悲しみを存分に味わいました。科学の限界を知らされました。病は悪くなる一方でした。ところが一九九九年に金沢大学の佐藤保先生が、ご自分の研究されている病気と非常によく似ているというお手紙を下さり『周期性嘔吐症候群』という脳幹の病気だと教えて下さいました。この病気は、抗うつ剤が効くことがわかっていましたので、私は嘔吐や腹痛から開放されたのです。《中略》さて、『般若心経』について、どうしてこのような現代語訳が出てくるのかといいますと、私は次のように考えました。これは私の解釈であって、絶対に正しいというものではありません。みなさんにはみなさんの解釈があるのだと思います。《中略》このように宇宙の真実に目覚めた人は、物事に執着するということがなくなり、何事も淡々と受け容れることができるようになります。これがお釈迦様の悟られたことだと私は思います。現代科学に照らしても、釈尊がいかに真実を見通していたかということは驚くべきことです。』」と書いていますが、この『柳沢桂子さん』の心をさらに深く知るには、彼女の《いのちの日記(小学館)》をお読みください。
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