【平成十七年一九月】の定例法話会・テキスト
沖縄には『もう一つの地獄』があった
《『積み木くずし』の少女一家の悲劇は、母が長崎で被爆した事から始まった。》
かつて、驚異的なベストセラーとして《積み木くずし》と云う本があったのをご存知の方も多いと思います。この一世を風靡ふうびした本の第一刷が発行されたのは、1982年9月20日ですが、何とそれから僅か半年後の1983年の4月には、二百五十刷の増刷を重ね、間もなく三百万部まで達すると云う驚異的な売れ行きを示したのです。その内容は、この一見平和な芸能人一家が、ある日突然音を立てて崩れはじめ、家族三人が地獄の底へ落ちて行く家庭崩壊への悲劇から、家族が再生していく姿をまとめた、壮絶な心の葛藤を記録した本でした。
ところが、この前作の《積み木くずし》の内容が、主人公の《由香里ちゃん(当時13才)》と云う女の子の、心の奥底に秘められていた真実の姿を、正確に伝えていなかったとして、由香里ちゃんの切切たる真実の声を書き残した文章をもとに《積み木くずし終章》として出版された『由香里の死・そして愛』をもとに、関係者の話も加えて《ドラマ》として放映されましたが、その内容は『由香里の死・そして愛』を読んでいただくとして、久々に魂の奥底まで揺さぶられる、人の心の奥底に潜む内面を伺い知る事の難しさを描く感動的な作品でした。
ところで、この芸能人一家の個人的な心の地獄に対し、九月六日放映の《NHKスペシャル》は、全く信じられない事ですが、終戦末期の沖縄の読谷村(よびたんそん)の村民が、同じ日本人の兵士の手榴弾攻撃によって集団殺戮さつりくされたと云う事実を伝えたのです。この番組は、私達には全く考えられない凄惨せいさんな地獄絵図に至る経緯を、その時奇跡的に生き残った二人の生き証人の言葉を交えて伝えていましたが、前者の個人の地獄とは別に、我々が今まで知らされていなかった、この世の生き地獄が現実に存在したと云うことを比較して見る時、この世の地獄には、個人が造る地獄と、国家や集団が創る地獄とがあると云うことを知ったのです。
終戦から六十年と一ヶ月、たとえそれが上官の命令であったとしても、何の罪もない女子供を含む民間人に対して行なわれた『集団殺戮さつりく行為』が、本来民間人を守るべき立場の日本兵によって行なわれたと云う事実を《NHKスペシャル》は番組を通じて、人間の愚かさを訴えていましたが、いまだにその事実が信じられず、戦争の狂気を思わずにいられません。
そこで、この非人間的な事件の顛末を詳しく検証してみますと、それは沖縄戦の末期、協力な援護に守られて上陸した米軍に追われた日本軍は、読谷村(よびたんそん)の住民に沖縄本島の北部のジャングルへの移動を命じたのです。そして、彼らは着の身着のままで、数ヶ月以上もの間、昼なお暗い、道なきジャングルへの逃避を強いられた村民は、食料もなく野草を食べカエルを捕まえては唯一のタンパク源として飢えをしのいで頑張ったものの、疲労と恐怖と極度の緊張から、次第に体力も消耗して次々を死んでいったと云うのです。しかも、その原因の70%から80%の人々は《栄養失調》と云う名の『餓死』だったと云うのですから悲惨です。
しかも、この読谷村(よびたんそん)の人々の悲劇はそれだけでは終わらなかったのです。それは、米軍に追い詰められた村民は、武器を持たず戦う術もなく止むを得ず米軍に発見されてしまったのです。その時の村民達の絶望感と恐怖感は想像に難くなく、当時の日本の教育は、徹底した《鬼畜米英思想》であり、捕まったが最後、煮て食われるか、焼いて食われるか、はたまたどのような残酷な仕打ちを受けるか分からぬ、と云う教育を受けてきたのですから、その時の村民の心理状態は、現在の私達の想像をはるかに超えるものだったと思います。
ところが、この絶望の淵に立たされた読谷村(よびたんそん)の人々を、さらに恐怖のどん底に突き落としたのは『鬼だ・鬼畜だ』と教えられていた敵の米兵ではなく、本来、自国の民間人を守ってくれる筈の日本人だったと云うのですから、村民はショックで身も心も凍り付いたことでしょう。しかも、この地獄のような恐怖の体験を奇跡的に生き残った、当時、四才と八才の二人の少女の証言によると、日本軍がある日突然、村民が隠れていた場所にやって来て、女子供も含めて村民全員に海岸に集まるように命令したのです。その理由は、栄養失調状態で米軍に発見された村民を見た米兵が村民達にくれた食料を、日本軍の隠れている場所を教えた代償に米軍からもらったと決め付けた日本軍による集団殺戮さつりく事件だったのです。
やがて村民達は浜辺に付くと、全員四列に並ばされ『お前達は俺達よりいいものを食いやがって!』と、日本兵から罵倒されたあと、兵達は手に手に手榴弾を持ち、上官に命令されるままに四列に並んだ女子供を含む読谷村(よびたんそん)の人々に投げ付け爆殺したのです。村民達にとっては、この様な悲劇が自分達の身に起こるとは、夢にも想像しえなかったでしょう。
しかし、この誰もが予想も考えもしなかったことが現実に起きたのです。そして、その恐怖の殺戮さつりくの実行を命じたのは、その部隊の上官だそうですが、やがてその部隊は全滅し、当然その上官も死んだ筈ですが、それでもこの《上官》は『靖国神社』に祀られ、国家のために死んだ英霊となるのでしょうか・・・?。もし、そうだとすれば、私達国民は、今後この悲劇の村民、読谷村(よびたんそん)の人々も含め、どのような心で靖国神社を参拝すればよいのでしょう。
ところで、この件とは別に、靖国参拝について石原東京都知事が、九月五日のサンケイ新聞の連載記事《日本よ》の中で、次のように書いていますので、その一部を紹介しますと(引)「『私は毎年何度か靖国に参拝しているがその度、念頭から私なりに何人かの、あの戦争の明らかな責任者を外して合掌している。それはそうだろう、靖国が日本の興亡のために身を挺して努め戦って亡くなった功ある犠牲者を祭り鎮魂するための場であるなら、彼等を無下に死に追いやった科を受けるべき人間の鎮魂の対象とされるのは面妖めんような話である。死者の丁寧な鎮魂を民族の美風とするにしても、罪を問われるべき者たちの鎮魂は家族達の仕事であって公おおやけに行なわれるべきものではありはしまい。太平洋戦争に限っていえば、あの戦場における犠牲者の過半は餓死したという・・・。』」と書いています。
ところで、今回の選挙で圧倒的な勝利を収めた小泉首相の靖国参拝も、石原知事と同じように、A級戦犯や、読谷村(よびたんそん)の同胞を殺戮さつりくする事を命じた上官や、多くの若者を特攻という無為な死に追いやった人間を、心の内から外して靖国参拝をしているのでしょうか・・・?
さて、最後に、この《積み木くずし》の悲劇の始まりは『由香里ちゃん』が生まれる以前の今から六十年前にさかのぼるのです。それは、長崎に落とされた一発の原子爆弾でした。
その時『由香里ちゃん』のお母さんは長崎にいて被爆していたのです。そして、そのお母さんから生まれたのが『由香里ちゃん』だったのです。当然お母さんは原爆症の影響を受けて病弱でした。その母から生まれた『由香里ちゃん』は、片方の卵巣が異常に大きい卵巣奇形で生まれ、取り除かなければ命の危険もあると満三才の時に摘出手術を受けたのです。
ここに、著者の《父・穂積隆信》の第二章の最初に書かれた詩の冒頭の部分を書きます。
(引)「『美千子(妻)は、長崎の生まれだ。原爆が落とされたあの日。
ナガサキの町の一角に美千子がいなかったら。
美千子が被爆しなかったら。積み木くずしは存在しなかった。・・・後略』 」
次に『由香里の死・そして愛』に話を戻して、父がこの本を出版する「きっかけ」になった『由香里さん(当時三十五才)』が残した、遺書とも云える一文を別紙として添えます。
そして、この家庭崩壊から再生和解への感動的なドラマの最後の締めくくりは、この本の、タイトルにもあるように、まさに《積み木くずし・終章》にふさわしく、その内容が関係者の話なども交えてドラマ化され、九月初めに、二夜連続で放映された『由香里の死、そして愛』と云うかつて社会現象にもなった《積み木くずし》の続編とも云える作品をもとに、関係者の証言を交えて、前作では明らかにされなかった、十代前半の女の子が転落していく心の奥底の真実の姿を克明に描き切った感動的なドラマでした。
このドラマを見て感動したことは、一人娘の『由香里』が、医師のカウンセリングの助けを借りながら、上級生や他校の女子生徒からの卑劣で陰湿ないじめや、それまでは、決して言うまいと、心に秘めていた、他校の男子生徒からの性的リンチによる『トラウマ』から、精神的に立ち直っていく過程や、さらに『由香里』が腎臓を病み、もはや腎臓移植の他に助かる道がないと云う状態になったとき、なかなか移植適合者が見つからず、半分諦めかけていた時、病院から適合ドナーが見つかったと連絡があり、急いで駆け付けてみると、そこに居たのは、長崎での被爆後遺症で、よれよれになった、離婚し別れた母の姿だったのです。医者は母の体調から考えて、移植は無理だと言うのを、母は『私には、今《由香里》にしてやれるのは、もうこれしかないんです。』と、必死で医師に頼み込み、ついに移植を承諾させ『由香里』の命を救ったのです。
※テキスト内の「別紙」につきましては、穂積隆信著『積木くずし終章〜由香里の死・そして愛』潟Aートン出版の86頁〜95頁を参照して下さい。
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