【平成十七年八月】の定例法話会・テキスト
外交とは・・・そして国益とは何だ?
《広島の原爆投下を聞いた瞬間、アインシュタインは『オー・ヴェー!』とうめいた》
人類史上初めて原爆が投下された昭和二十年八月六日から六十年、その《原爆の日》が今年もまた巡ってきました。そして、その前日の八月五日に奇しくも放映された、TBSテレビの特別番組《ヒロシマ》は、原爆の開発から投下まで描いたBBCのドキュメンタリー番組を基に『CG(コンピューターグラフィックス)』を駆使して製作され、原爆投下の瞬間に広島の町に何が起きたかを、投下された側と、投下した側からの視点に加え、米国の原爆製造責任者へのインタビューを交えて構成された感動的な番組でした。
しかし、その中で特に気になったのは、この原爆を製作し、投下し同行し、その瞬間を記録撮影していた加害者側の原爆製造担当の博士に、彼が原爆記念館の悲惨な展示資料を見た後、被災者の男女が『原爆投下を謝って下さい』と申し入れた時、彼は『絶対に謝らない・・・むしろ、謝るのはあなた達日本人だ・・・』と言い放ったのは驚きでした。これには被災者である二人の男女も意外だったようで、さらに『なんの罪もない大勢の一般市民が犠牲になったのですよ・・・!』と、強い調子でたたみかけると、彼はその言葉に対し語気を荒らげ(引)「『我々には《リメンバー・パールハーバー》と云う言葉があるんだ・・・!』」と言ったのです。
しかも、彼は対談した原爆被災者に対し、我が国の真珠湾攻撃を執拗にむしかえし、同席した被災者の神経を逆撫でするように、自らの原爆使用の行為の正当性を主張したのです。
しかし、彼が言うように《やったからやりかえす》という不毛の連鎖の考え方では、我が国にも昔あった《武士社会の仇討ち》と何ら変わることなく、しかも、その場合は必ず『仇討ち免許状』の携帯が必要でした。しかし、もし原爆を投下したB29には、当然『仇討ち免許状』などある筈もなく、しかも、もし、この原爆投下が真珠湾の仇討ち報復が目的だったとすれば、当然、通常兵器でも良かった筈で、現実に今現在、原爆投下から六十年を経過したにもかかわらず、今もなお、現実にその後遺症に悩み、日々迫る死を迎えようとしている人が数多くいるのです。そこで博士に問う(引)「『あなたはこれでも謝罪をしないつもりですか・・・?。その考えでは、この地球上から永久に戦争は無くならないと思いませんか・・・?。』」と・・。
しかも、彼ら米国は、当時の連合国仲間でもあった《英国・ソ連・中国》にさえ秘密裏に事を進め、秘かに原爆を開発して、いきなり広島と長崎へ投下したのです。
この様な復讐を正当化する考え方は、彼らキリスト教世界の人間だけでなく、イスラム教やユダヤ教などの《一神教》に共通する(引)「『目には目を!歯には歯を!』」と云う(旧約聖書)の報復思想から来ているのかも知れませんが、この旧約聖書の説く本来の意味は『目をやられたら、目だけにしなさい。歯をやられたら、歯だけにしなさい』と云う《限定報復》としての限界を示しているのであり、決して『もし、相手に目や、歯をやられたら、その報復は相手の目や歯だけではなく、手や足以外も含めて、手段を選ばぬ報復を認めると云う《過剰報復》を容認している訳ではないのです。』と、すれば、昭和十六年十二月八日未明に、日本が《ハワイの真珠湾》に奇襲攻撃をかけたとしても、それは通常兵器の航空機による攻撃だったのですから、仮にそれが彼らの合言葉《リメンバー・パールハーバー(真珠湾を忘れるな)》が報復の大義名分だったとしても、彼らも聖書の教えに従って通常兵器で報復すべきだったはずです。にもかかわらず、彼らが広島や長崎に《悪魔の兵器》と云われる原子爆弾を投下した事は、聖書(旧約聖書)にある(引)「《過剰報復》」に該当する訳で、広島や長崎への原爆投下は、聖書(旧約聖書)の教えに反していたと云うことになり、もし、この違法な原爆投下が無かったとすれば、以後六十年を経てなお、今日に至るまで、いまだ数多くの人々が原爆の後遺症で苦しまなくても済んだはずです。ところで、この《悪魔の兵器》とも言われる、原子爆弾の基になった方程式(E=MC2)は、今から百年前、世界的な天才物理学者《アインシュタイン博士》によって発表され、それによって現代物理学の扉が開かれたのです。
そして、それから四十年、広島と長崎への原爆投下を知らされた瞬間、アインシュタイン博士は(引)「『オー、ヴェー(おお、悲しい)』」とうめき、手で顔を覆い身を震わせたそうです。
それにしても、我が国はなぜこのような無謀な戦争を始めたのでしょう。たしかに当時の我が国は、中国との戦いの真っ最中であり、戦況は有利であったものの、その背後には、利権絡みで劣勢中国を援助する《欧米列強》の姿があり、当時の日本人としては、どうしても前門の虎《欧米列強》に対し、後門の狼にもなりかねない、スターリン率いる《ソ連》と、『日ソ不可侵条約』を結んでおく必要があったのです。この時、ソ連との交渉の代表だったのが、松岡外務大臣で、昭和十六年の四月『日ソ中立条約』の締結を終えて松岡外相が帰国の途につく際、それまでは前例のなかった、スターリン自らが松岡外相をわざわざ駅頭まで見送り、しかも、この時スターリンは『ヨーロッパの問題は、日本とソビエトが協力すれば自然に解決できる・・・』と誰にもはっきり聞こえる様な大きな声で、スターリンは松岡外相に言ったと、元・米国務長官のキッシンジャー氏は、自著の《外交》に書いています。
しかし、外交とはそんなに単純なものではなく、裏ではスターリンが『日ソ不可侵条約締結』の後で(引)「《これで日本は対米開戦に動くな・・・。ならば、我々は対独のヨーロッパ戦線に集中できる》」と側近に語ったと云われていますが、この言葉を思い切って穿うがった見方をさせてもらえば、日米開戦はスターリンの思惑どおりに進んだ巧妙な策略であり、国際外交の緻密で巧妙な交渉戦術の裏に、巧みに隠された罠だったと云えるのかも知れません。
この時、スターリンが云った《ヨーロッパ問題》とは、当然ヒットラーのナチスドイツを指していた事は火を見るよりも明らかですが、スターリンは、この条約締結で《日本は必ず対米開戦に踏み切る》と確信し、自国の兵力を対独戦に集中し勝利を得たのですが、その後《スターリン》は、敗色濃厚な我が国から申し入れた、連合国への仲介を断り、かつて駅頭まで松岡外相を見送った四年後、返す刀で『日ソ不可侵条約』を一方的に破棄して対日参戦し、北方領土を強奪しただけでなく、多数の将兵や非戦闘員である民間人までもシベリアに抑留して過酷な重労働に使役し(これは明かにジュネーブ条約違反です)、しかも卑劣なことに『日ソ不可侵条約』締結の功労者で自ら駅頭まで見送った松岡外相まで、戦後の連合国による一方的な東京裁判に『A級戦犯』として起訴しているのです。
しかも、彼はヤルタの密約と言われる《米国大統領のルーズベルトとソ連のスターリンの間で交わされたソ連の対日参戦密約》に従って、我が国と結んでいた『日ソ中立不可侵条約』をあっさり破棄した上で、我が国に対し突如参戦し、すでに戦闘能力が皆無状態の旧満州に侵攻して漁夫の利を得ただけでなく、国際条約に違反する過酷なシベリア抑留の悲劇を生み、加えて未だ我が国固有の領土《北方四島》の不法占拠を続けているのです。
これが『世界の外交』の真実の姿だと言ってしまえばそれまでですが、その裏に秘められた巧みな駆け引きや策略や罠は熾烈しれつで、それにひきかえ我が国は、政、官、民ともに内政も外交も、目先の利益と大衆の目を意識するあまり、自国の立場でしか事実を見れない人間が多すぎるのが現状で、例えば、今回の北京での六カ国交渉でも、主題の優先順位の各国との意識の違いなど、外交音痴で自国の将来を見据えた真の国益より、ひたすら派閥や利権にうつつを抜かす政治家や、歴史に無知な官僚が多すぎるのではないでしょうか・・・。
最後に、長崎で同じ原爆の被害を受けた《永井隆博士》の著書『この子を残して』の中から、読売新聞の編集手帳が抜粋した感動的な一文を紹介しましょう。
(引)「『小学校から家まで子供の足でも5分とかからない。下校の時間から20分が過ぎている。父は日ごとに衰えていく体を病床に横たえて、1年生の娘茅乃かやのの身を案じていた。長崎の被爆からじきに3年、昭和23年の春である。娘は両手に捧ささげ持ったお椀を一心に見つめ、用心深いすり足で庭先に現われた。給食で一口いただいたら、とてもおいしかったの。お父さん、おあがりよ。お椀の中には〈こぼれずに残ったわずか二口足らずのパインジュースが入っていた〉と、そして、最後に《せめてこの子がモンペつりのボタンをひとりではめられるようになるまで生きていたい》と、博士は結んでいます。』」
ここで、愚かな政治家や官僚のために《後醍醐天皇》の詠まれた一首を添えておきます。
(引)「『よしあしと、人をばいひて、たれもみな、わが心をや、知らぬなるらん』」
で、さらに、大切なのは(引)「『世界の歴史のほとんどは、勝者の論理で書かれている事を忘れるな!』」です。
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