【平成二十三年三月】の定例法話会・テキスト
未曾有(みぞう)の、東北関東」地方太平洋沖地震
≪再会した家族は、生きていただけでいい!。と手を取り合い抱き合った。≫
それにしても、自然の猛威は驚異的な破壊力だと、心底、恐れさえ感じさせる『東北関東太平洋沖地震』が、三月十一日の昼、2時50分、突然三陸沖を襲ったのです。今回の津波を伴った大地震は、観測史上世界でも4番目のマグニチュード≪9≫を越すと云う、私達の想定をはるかに越えた巨大災害で、かって六千人もの犠牲者を出した『阪神淡路大地震』をもしのぐ、我が国が初めて観測記録を取りはじめて以来の、最大最強で想像をはるかに越えた巨大地震でした。
そこで(3月14日の産経新聞のコラム(産經抄)を見ると、被災後の日本人の秩序ある冷静な行動を、ある中国紙が称えていたのには、少々背中がムズかゆくなる思いがしないでもありませんが、それはさておき、その全文を転載し皆さんと共に読んでみたいと思います。では、以下がその全文です≪阪神大震災が起こったとき、(筆者は)米国に滞在していた。その時、故郷、神戸の炎上を映し出すテレビ面面を、ただ惚(ほう)けたように見つめていた記憶がある。
CNNテレビに、小紙ワシントン総局の、古森義久記者が招かれ、キャスターの質問に答えていた。▲「なぜ、日本人はこれほどの惨事の中で、暴動も略奪もなく、冷静、沈着に行動出来るのですか」。古森記者がどのように説明したのか、忘れてしまったが、小欄なら、「日本人だから」としか、答えようがない▲マグニチュード9.0という世界最大級の東日本大震災に見舞われた日本に、世界の耳目が再び集まっている。ある中国紙は、「多くの中国人が、地震発生後の日本人の秩序ある行動に敬服している」と伝えたという▲一方で、福島第1原発の爆発には、一様に衝撃を受けたもようだ。各国のメディアは旧ソ連のチェルノブイリ原発事故や、米スリーマイル島原発事故を引き合いに出して報じている。東京電力は、廃炉も覚悟の上で海水を満たす非常手段に踏み切った。
世界最高水準の日本の原子力技術が、事故による放射能漏れを最小限に押さえる面でも、発揮されることを期待したい。▲ただ政府の対応ははなはだ心もとない。爆発の事実を発表したのは、2時間以上たってからだった。退避指示の範囲を徐々に広げるのは、かえって周辺住民の不安を募らせるばかりだ。12日朝の菅直人首相の現地視察が、現場の作業を遅らせた原因の一つとすれば何をか言わんや、である▲有史以来、地球上で起きた大地震の2割が、日本列島を襲ったといわれる。日本人はその過酷な宿命を受け入れつつも、立ち向かってきた。その真価が試されている。≫以上が3月14日のコラムの全文ですが、さらに同月17日の産經抄は次のように書いています。≪政治家の皆さんは、「命がけ」という言葉が大好きだ。事あるごとにロにする。
東日本大震災を受けた記者会見でも、菅直人首相が「全身全霊、命がけで取り組む」と大見えを切っていた‥・。(中略)一方、消防士や警察官のように、平均寿命が短いわけではないものの、ときに生命の危険を伴う仕事もある▲いまこの人たちは、誰からみても、「命がけ」の仕事に取り組んでいる。爆発事故や放射能漏れを引き起こした福島第1原子力発電所の現場で、東京電力や協力会社の職員ら、事態収拾に当たっている人たちだ。大量の放射線を浴びる恐怖と闘いながら、原子炉を冷やすための注水作業を続けてきた、肉体的にも精神的にも厳しい状況だろう。▲(中略…)平成11年に茨城県東海村の核燃料加工会社ICOで起きた臨界事故では、現場に乗り込んだ原子力安全委員の指揮により、社員18人が被爆覚悟で突入して事故を終息させた▲今回は事故発生後、自ら志願して、福鳥第1原発の現場にやってきた人もいる。約40年にわたり原発を運転し、現在は、別の電力会社で定年間近という男性もその一人だ。原発の未来のために、やむにやまれぬ気持ちだったという。安全な場所にいる人間に限って、「命がけ」といった勇ましい言葉をもてあそぶ・‥。≫と17日の「産經抄」は結んでいますが…。この、最後の「命がけ」という一言を菅さんは、どうお聞きになりましたか?
続いて同じ「産經抄」の同月20日のコラムの中程から…≪▲東北地方での津波と言えば、明治二十九(1896)年の三陸大津波である。3万人近い被害者が出たが、このときは夏祭りの準備中で逃げ遅れた人が多かったという。小泉八雲がこの話と安政年間の和歌山地方での地震を結び付けて書いたのが、「生神」という作品である▲戦前は「稲むらの火」として教科書にも載った。地震が起きた直後、津波が来ることを予感した村の庄屋の五兵衛が自分の田んぼの稲むらに火をつける。そのことで祭りの準備で気付いていない村人を高台にまで導いて助けたという話だ。▲今回の地震は平日の午後に襲った。「稲むらの火」のように祭りの準備などに追われていたわけではないが、みんなが仕事で走り回っている最中だった。テレビで津波警報が出ても、揺れに対する恐怖で気づかず、高いところに逃げる余裕がなかった人もいるかもしれない。≫
そして、さらに3月20日の同欄では大正12年の9月1日の午前11時58分の昼時に起きた関東大震災にも次のようにふれています。≪死者・行方不明者10万人あまりを出した関東大震災は政治的には間が悪い、というより最悪の時に起きた。大正12年8月末、首相の加藤有三郎が急死、28日に山本権兵衛が後任に指名された。ところがゴタゴタで組閣もできないうちに9月1日の大地震に見舞われたのだ▲つまり日本の首都が壊滅的打撃を受けたとき事実上内閣が不在だったのである。それでも発生から2時間後の午後2時、官邸で臨時閣議を開いている。
翌2日には臨時救護費の即時支出を決定するなど、あわただしく救護や復興に乗り出す▲新閣僚の中でも出色の動きを見せたのが内務省の後藤新平だった。何と地震の5日後には「帝都復興の議」を提案、帝都復興院を設置し、自ら兼任で総裁に付く、ここに内務省から優秀なスタッフを引き抜き、猛烈なスピードで復興案を練りあげる▲後藤は恐らく近代日本では最も優れた行政官だった。台湾総督府の民政長官として台湾統治を軌道に乗せ、初代の満鉄総裁となってその礎(いしずえ)を築いた。言うことが気宇壮大(きがまえ・こころのひろさが大きい)で「大風呂敷」とのあだなもあったが、国民からの人気は抜群だった。▲その帝都復興案は100m道路など東京を欧米の最新都市のように造り変えるものだった。国家予算が15憶円ほどの時代に40億円はかかるといわれ、議会の猛反発を受け、最後は大幅縮小される。だがその前向きな案は、後藤の人気とも合わせ、被災者に大きな希望を与えた▲今回の大震災でも菅直人政権は、復興も視野に閣僚増や野党からの入閣を求めている。だがその前に17人もいる現閣僚の中に後藤のように、「オレに任せろ」という人はいないのか。任せられる人材も乏しいとすればこれはまた悲劇だ≫と、同欄は現内閣への不満を、関東大震災の後藤新平を例にして言う。
次に、今回の大震災の呼び名についてですが、朝日新聞の朝日川柳に『震災の一つに、いくつも呼び名あり』とあるようにマスコミ各社によって、その呼び名が変わるようですが、未勒館では高野山の呼び方にならい、表記タイトルのように『東北関東太平洋沖地震』と呼ぶことにしました。
さて次は3月27日の、天皇皇后両陛下のありがたい御心と、ご皇室のご先祖でもある、仁徳天皇の民を想う御心を取り上げた「産經抄」を読んでみましょう。
それは≪『日本書記』に「民のかまど」の話がある。第16代仁徳天皇が難波の高津宮から外を見ると、かまどを炊く煙が見えない。「民は食事を作ることもできないのか」と嘆いた天皇は3年間課役を免除するとともに、自らもぜいたくを絶ち、宮殿は荒れるにまかせた▲3年後再び高殿(たかどの)に立つと、こんどは多くの煙りが見え、天皇は「これで私も豊かになった」と満足する。「宮殿は荒れ放題ですのに」と不満げな皇后に「民が豊かになるのが私が豊かになることだ」と答えた。
この「民のかまど」の精神は歴代の天皇に脈々と受け継がれてきたようだ▲昭和天皇は戦後間もなく全国を巡幸された。着ていかれる洋服がみすぼらしいと、周囲は新調を勧めたが「みな着るものにも不自由しているのだから」と、断られた。学校の板の間にゴザを敷き、黒いカーテンをかけお休みになったこともある▲今の天皇、皇后両陛下が、大震災の後に「自主停電」されているという話にも鼻のあたりがツーンときた。15日から「第1グループ」の計画停電の時間に合わせ皇居・御所の電気を切っておられる。実際に停電にならない日も、予定通り続けておられるそうだ▲天皇陛下は77才のご高齢である。以前には前立腺がんの手術も受けられた。それなのに「寒いのは(服を)着れば大丈夫」と、その間は暖房も使われない。ろうそくや懐中電灯を使いながら、暗い中で夕食をとられたこともあるという▲それほどまで国民に思いをはせておられる。そのことを知れば、被災地で苦難の生活を強いられたり原発の修復にあたったりしている人々にこれ以上にない励ましとなるだろう。身勝手な買いだめなど決してできないはずだ。≫と書いています。
ところで、この天皇ご一家の国民を想う御心や、仁徳天皇「民のかまど」を読んでみて思うのは、先の朝日川柳にある『子のいない親が競って水を買い』と比較してみると、せっかく日本人の心を高く評価してくれた『中国のマスコミ』や、世界の人々に対し、何と情けない人が居るのかと恥ずかしくなります。そこで最後に3月29日の「産經抄」を皆さんとご一緒に読んでみましょう。
≪「何十年後の未来人は『1970年代の人類は原子力に対してなぜあんなにビクビクしたのだろう。』と首をかしげるかもしれません」。手元に東京電力の広報紙、「東電グラフ」の昭和51年1月号がある▲(中略)当時、東電のキャラクターだった「ビカちゃん」の電気社会学というコーナーでは、東電の福島第一原子力発電所が取り上げられている▲超耐震構造であるとか、原子炉を監視するチェック装置が設けられているとか、安全を最優先して電気を送りだしている仕組みを説明している。
それに読くのが、冒頭に引用した文章だ。東日本大震災を経験した「何十年後の未来人」としては、首をかしげる代わりに、開いた口が塞がらない▲(中略)震災発生直後の12日早朝に、菅直人首相が現地視察を強行したことが、現場の作業を遅らせたのではないか、との“疑惑"である。(後略)≫と、ありますが、小泉さんは自民党をぶっこわすと言って壊しました。『菅さん』あなたは、まさか日本を壊すつもりではないでしようね…!。
厄除け厄払いお祓い除霊護符呪詛返しの未勒館「密教と四柱推命」
厄除け厄払いお祓い除霊護符永代供養呪詛返しなど未勒館に!密教の加持祈祷・供養「四柱推命」
Copyright © 2008 Mirokukan All Rights Reserved.