【平成二十二年八月】の定例法話会・テキスト
PK戦を無視した監督『オシム』
≪PKを蹴る五人を決めると、結果も見ずにさっさとベンチから消えた≫
本題に入る前に、今回の南アでの(W杯)の日本代表の監督が、なぜ≪オシム≫から、岡田監督に変わったのかと云う顛末(てんまつ)を書いておきたいと思います。
それは、日本人の岡田監督にケチを付けるつもりはありませんが、もしも監督が≪オシム≫だったら、と云う想いを持っている方も、いまだに数多くいらっしゃると感じたのと、集英社文庫出版の『オシムの言葉(木村元彦著)』を読んだ、私の読後の心を強く揺さぶったのがもっとも大きな理由の一つです。
この本は、著者「木村元彦」によって、当初『オシムの言葉‥・フィールドの向こうに人生が見える』として出版され、2005年度第16回ミズノスポーツライター賞の最優秀作品に選ばれた作品です。この賞の選考委員の一人である作家の「村上龍さん」は‥・〈最優秀の上に<超>をつけたいくらいの「傑作ノンフィックション」だ!≫と絶賛しています。
さて、この監督交代劇の引き金になった最大の理由ですが、巻末の岡崎満義の解説によると、『実はこの<オシムの言葉>の文庫版には、オシムが日本代表の監督になり、2010年W杯南ア大会へ向かって走りだし、着々と準備を進めていた矢先、突然、病気で倒れるまでの一年半、いわば濃密な<オシムの時間〉が新たに取材され、第10章として増補され、その章の出だしが次の言葉です。』
≪オシムは2階でテレビを観(み)ていた。深夜である。モニターはプレミアリーグをライブで映し出していた。妻アシマはその横で読書をしている。試合が終わった。妻アシマはオシムがテレビを消すのを見て、自分も本を閉じて部屋の明かりを落とした‥・。と、ふいにオシムが暗闇で上体を起こした。「どうしたのだろう。またテレビを観るのだろうか?。」そうではなかった。妻アシマは、手首にアクセサリーリングを着けていたが、オシムはそこに指を盛んに引っかけてくる。何か異変を伝えようとしている。妻アシマは慌てて照明を付けた。
と、そこに居た夫の精悍(せいかん)な顔は引き攣(つ)り、唇の左端が下がっていた。≫
『2007年11月16日午前2時20分頃、
イビツァ・オシムは急性脳梗塞で倒れた。』
その結果、ピンチヒッターとして岡田監督が登場することになったのです。
サッカー史上、初めて南アで開かれ、世界中を湧かせた今回のワールド・カップ(W杯)は、スペインが念願の優勝で幕を閉じましたが、さて今回の本当のヒーローはと探してみると≪タコのパウル君≫だったのかも知れません。
そして、まさにこの珍事とも云うべき出来事を、7月14日付の産經新聞のコラム≪産經抄≫は、全試合的中の≪パウル君≫を次のように書いています。
『サッカーのワールドカップ(W杯)南アフリカ大会で、世界的な人気をさらったのは、金髪の本田でも、アルゼンチンのメッシでもなく、≪タコのパウル君≫だった。かつて製鉄業で栄えた、ドイツのオーバーハウゼンという地方都市の水族館で飼われている「タコ」が占った8戦すべての勝敗を当ててしまったのだからすごい▲「タコ」は寿命が3年で物の形や色を識別する高い能力をもっていることを知ったのも「パウル君」のおかげである。日ごろ融通の利かないNHKまで「決勝戦でタコの予想が的中」と大まじめにニュースでとりあげたのには笑った。▲「パウル君」に比べれば、人間の予知能力はゼロに等しい。
(W杯)前、日本の一次リーグ突破とスペインの優勝をともに予測した記者や評論家はいただろうか。スポーツだけでなく、参院選の結果予測もしかりである。‥以下略‥』と、このコラムに書いているようにドイツでは、全問正解でしかもドイツの負けまで的中してしまったため、水族館のあるドイツの国民は、ドイツが負けたのはお前のせいだと、ヒステリックになって、ドイツが負けたのは、『タコ』のせいだから、バーベキューにして食べてしまえと云う人も居たようですが、この『タコ』の寿命はせいぜい平均三年しか無いのだからかわいそうだと云う意見などが出て、てんやわんやの大騒ぎになって、そこへ優勝したスペインから、それならスペインで引き取ろうとか、(W坏)の本番顔負けの賑やかさだったようです。
ところが、この『天才タコのパウル君』とは別に、日本近海で問題になっているのが『悪役の毒タコ』で、これが大量に発生して大騒ぎになっています。
その原因は、世界的な異常気象のせいで海水の温度が上がり、本来、南の海に生息している筈のこの『毒タコ』が、何を血迷ったのか日本近海に大量に進出してきたのですが、何とこの『毒タコ』の毒は≪フグは食いたし命は惜しし≫とまで云われている猛毒の≪フグ≫の、約300倍もの毒を持っているとも云われています。そこで気の毒なのは、この≪毒タコ≫が原因で九州を中心にした西日本各地で甚大な被害が出ているのは漁師達だ、と報道されています。
同じ≪タコ≫でも、どうしてこのような「天才」と「悪役」に別れてしまったのでしょう。 これは何も「タコ」だけに限らず、人間も口に毒をもち、中には心にまで毒を持っている人がいますので、同じようなものかも知れませんが、いずれにしても、自分勝手な人間が作り出した自然破壊や、その結果生まれた異常気象に対する神様の怒りなのか、あるいは神をも恐れぬ天罰なのかと考えた時、新約聖書の『最期の審判』に書いてあるように天から天使が、降りてきて多くの人々を集め、天国へ行くものと地獄へ行くものを、羊と山羊を分けるように選別する、と書いてある部分が、ふと頭の片隅を横切りました。
ところで、この『毒タコ』について「医学大事典」のフグ中毒の項で調べてみますと、先ず『その猛毒の正体は≪テトロドトキシン≫と云って、その中毒症状は、摂取後早い場合は20分くらいで口唇(こうしん)、舌端(ぜったん)がしびれ、次第に四肢末端に広がり、麻痺症状が現われ、呼吸麻痺により死亡する。しかも特効薬はない。』とあります。このような恐ろしい「ふぐの毒」ですが、今西日本に我が物顔で進出してきた強力な『毒タコ』の毒(テトロドトキシン)は、先に書いたように「ふぐの毒」よりはるかに強烈で、一旦噛まれたら処置の仕様がありません。そこで、唯一の対処法として、噛まれた処から毒を搾り出したあと丁寧に水洗いをするしか方法は無いのです。
同じ「タコ」でも、かたや(W杯)の全試合の勝ち負けまでも完全に的中させた「パウル君」に対し一方は恐ろしい「猛毒のタコ」が出現したのです。
さて、悪役の「タコ」の話はこの辺にして、≪オシム≫の話に戻しましょう。
『イビツァ・オシム』は、2003年に、Jリーグのジェフユナイテッド市原・千葉の監督に就任、05年には、このチームをナビスコ杯優勝に導き、翌06年7月には日本代表監督に就任した世界的な名監督です。
ところが、最初のプロローグの部分で紹介したように07年11月16日の午前2時20分頃「急性脳梗塞」と云うアクシデントで緊急入院したのです。
それでは、この『オシム』のこれまでの活躍ぶりを実例のいくつかを挙げてお話ししてみましょう。
まず最初は、日本のJリーグ、ジェフユナイテッド市原・千葉に就任した時のことから始めましょう。 ≪‥・以下「オシムの言葉」より‥・≫
それは、ジェフユナイテッド市原がキャンプを張る韓国・海南の、スポーツシューレの食事会場の扉が突然開いた時だった。クラブ職員が「新監督が到着されたので紹介する」と云った。選手達がいっせいに目を向けると、そこには、何と191cmの『オシム』が仁王立ちで立っていた。
2003年が明けてもジェフの監督はまだ決まっていなかった。すでに開幕まで3ヶ月を切り、指揮官が決まっていないのは、Jリーグでただ一つ、他チームが、すでにキャンプ前から準備に入っている中、ようやく決定の報が入ったのが、1月中旬で、この2月の韓国キャンプで、いきなり合流と云う運びであった。
それにしても『オシム』の登場の仕方からしてミステリアスだった。そして新しい監督と選手達との初顔合わせは、通例通り監督から選手達に向かっての挨拶になると皆が思っていた。MFの佐藤勇人は、この監督は所信表明に何を話すのだろう、と見ていた。共に戦おう、か、あるいは君たちは覚悟してほしい、か。いずれにしても自分を理解させるために、あるいは選手に舐められないための威嚇の言葉で、新しい指揮官の第一声は少し長い演説になるのが常である。
ところが、『オシム』は今まで接してきたどの監督とも異なる行動を取った。通訳を介してスピーチを求められると、身構える選手達を前にひょいと右手を軽く振ったのだ。「ああ、そんなものはいい。いらない‥・」と。
スピーチはいらない、と言った『オシム』は翌日からいきなりチームを鍛え始めた。演説は確かに不用だった。何を語らずとも初日から、方法論が彼の哲学を饒舌(じょうぜつ)に物語っていた。その時、怪我をして、別メニューをこなしていたMFの羽生直剛は、練習を終えて宿舎に帰って来たチームメイトの表情を見て驚いた。彼らは、呼吸をするのも大儀そうに疲労しきった頭で、「あれ、ヤバイぜ」と□々に彼らは訴えた。「あの監督、ヤバイぜ」‥‥・プロ2年目の羽生は前年の経験から、キャンプはゆっくり入り徐々にコンディションを上げていくものと思っていた。
ところが、この監督はやって来るなり、いきなりトレーニングペースをトップギアに入れている。いったいどんな練習をすれば、選手をここまで疲労させることができるのか。『オシム』から徹底して繰り出された練習メニュー、それはどの選手もプロになってから経験したことのない、走りを中心に据えた激烈なものだった。3年目の坂本将貴は『オシム』をよく知る同室のスロベニア代表のDF、ミリノビッチから、「彼に教われば若い選手はすごく伸びる。ただ、とても厳しい監督で、とにかく走らせる」と聞いてはいた。ところが、実際はその想像をはるかに超えるものだった。午前と午後の2部練習が常識となり、2時間ずつ、負荷の強いメニューが連日課せられた。休日は事前には知らされず、前日に告げられるのでいつになるのか分からない。当然のように選手からは、予定が立てられないという不満が起きた。
しかし『オシム』は「君たちはプロだ。休むのはオフになってから、あるいは引退してからで充分だ。シーズン中はサッカー以外のことなど考えるな」と取り合わない。≪ナンダヨ。コノ監督》と呻(うめ)いても不思議ではない。
『オシム』は選手が勝手にプレーを見切ることを嫌った。紅白戦の中で見事なパスを通した選手がいた。と、突然ゲームを止めた。パスを出した選手が、そこで満足して歩いたことを指弾したのだ。「出してから、さらにお前がこちらに流れれば、相手ディフェンスが釣られて出てくるだろう。そうすれば味方がもっと自由に動けるスペースができる。なのになぜ走らない!」と、ボールを出してそこでミスがなければOKという感覚を『オシム』は絶対に許さなかった。
このような『オシム』の厳しさは、何も選手に対してだけではなかった。それを表す20年前のPK戦の結果無視のエピソードが2010年の7月1日の読売新聞の『゙編集手帳』でも、このテキストで取り上げた『オシムの言葉』を同じく引用し、次のように書いています。その内容は≪サッカーのPK戦をめぐる印象深い挿話(そうわ)である。20年前のW杯イタリア大会、イビチャ・オシム監督率いるユーゴ代表の対アルゼンチン戦である。退場者とゴールキーパーを除く9人の中からPKを蹴る5人を選ぶとき、7入が監督に申し出たという。「私を外して」と◆蹴る5人を決めると、オシム監督はプレーを見ずにロッカールームヘ消えた。≪PK戦は、クジ引きみたいなものだから≫。そう語ったと(今回取り上げている)木村元彦氏の著書『オシムの言葉』にある◆おびえるほどの緊張と、運の非情と、それがPK戦らしい。南アフリカ大会の8強入りをかけたパラグアイ戦で女神は日本に微笑(ほほえ)まなかった◆敗退の瞬間、不運にもPKを外した駒野友一選手が泣きじゃくり、その肩をこれも涙の松井大輔選手が抱き、岡田武史監督が抱いた。開幕前は酷評もされた彼らには、寄り添う互いの体温だけを頼りに風の冷たさに耐えた日もあったろう。勝利より深く胸を刺す敗北の情景もある◆戦争にまつわる用語をスポーツに持ち込むのは趣味に反するが、「戦友」という言葉がこれほど似合う集団をほかに知らない。ありがとう。≫と締めくくっていますが、私達も『オシム』の意思を立派に継いだ日本の選手達と岡田監督によくやった。君たちは、勝敗を越えてこれが日本の大和魂サッカーだと、前監督の『オシム』に見せたのではないでしょうか。
そして「岡田監督」も、日本人の心を持った監督へと成長したのです。その点、PK戦を無視した『オシム監督』と、ゲーム終了後の『岡田監督』の勝敗を越え、執着(こだわり)を越えた対応にはある意味で共通点を見いだせると思います
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