【平成二十二年六月】の定例法話会・テキスト
『地球人よ!自我欲を捨てなさい…』
≪その欲とは、心に巣食う、貪(とん:むさぼり)、瞋(じん:いかり)、癡(ち:おろか)の三毒です≫
日頃、皆さんに人間は《失敗する動物だ》と、お話ししていた張本人の私が、またまた以前の失敗を危うく繰り返すところでした。それは、今までの数多い失敗を数えれば切りが無いほどですから、何回目かは数えないことにしていますが、せっかく準備をしていたこのテキスト用の原稿を「プリントアウト」しようとして、ウッカリ操作を間違えそうになり、せっかく打ち終わった原稿を間一髪、全部消してしまうところでした。しかし、不思議なことに以前失敗したときには、それを打ち直すたびに、自分勝手な感想かも知れませんが、内容も消去する前より、ナニクソッ!と言う気持ちがあったせいか頭も冴え渡り、皆さんへの説明も、不思議な事に前回より良くなっていたような気がするのです。
そう言えば、私がまだ小さいころから、何かに夢中で何回もチャレンジしているとき、よく親や先輩から≪お天道(てんとう)様が見ているから大丈夫≫と云う言葉もあるから諦めずに頑張りなさい。と、言われたことを思い出しました。
それは、なぜかと云えば、一流のスポーツ選手も、著名な芸術家達も、沈思黙考(ちんしもくこう)のうえ、思考錯誤(しこうさくご)しながら、不言実行し、次第にその実力を高めながら超一流の選手や作家や芸術家や社会人や政治家?に育っていったのです。
ところで、もし、今回もその時そのテキストの全文が消えてしまったとしたらどうだったでしょう。恐らく、消えてしまったテキストの内容に執着してイライラしたか、ヨシッ!今度はもっと良いテキストを書いてやろう…と頑張ったかのどちらかでしょう。以上自戒の念も込めて冒頭に付け加えさせていただきました。 さて本題に入りますが、お釈迦様は、このように自分の思うようにならないことは「苦」である。とおっしゃっています。しかも、世の中ですべて自分の思う通りになることは、何一つないのだから≪人生は苦である≫と、おっしゃっています。このお釈迦様の言葉からすれば、今、目の前のワープロの両面から、私の意思に反してデーターが消えないで良かった…。と想うべきか、又は、もしワープロの文章が全部消えてしまい、最初からすべて打ち直したほうが、もっと皆さんに分かりやすい説得力のある文章になっていたかも知れない…と、今でも自問自答しています。これは、今だに心の中でそのように思い続けていると云うことは、少なくとも私にとっては、未来へ繋がる大いなる「苦」であり、心の中の『空』に気づくまでは「苦」以外の何ものでもなかったでしょう。
しかし、考えてみれば私達の身の回りには、自分の思う通りにならない事がたくさん有ります。例えば、男が女に生まれ変わりたい、女が男に生まれ変わりたい。そして、もっと誰よりも美しくなりたい、さらに、いつまでも若々しく年を取りたくないとか、その他、欲を言えばきりがありません。
しかし、そのほとんどが実現不可能なことばかりでしょう。
そこで、仏教の世界では「山川草木(さんせんそうもく)、悉皆成仏(しっかいじょうぶつ)」と云って、凡ゆるものに仏は宿り、この世の中に無駄なものは一つもない。全てが大日如来の御心の顕現であり、それぞれが「因」により「縁」の助けを借りてこの世に顕われたものであるから、それぞれがお互いに関わり合いを持ってこの世に存在するのである。と、説法されているのです。
したがって、私達は何事も程々のところで我慢をし、他人とのかかわりの有るものは、お互い譲り合わなければなりません。
とにかく地球は一つしかないのです。しかも太陽の光以外は宇宙のどこからも、私達の地球には資源やエネルギーとしてのプレゼントは無いのです。
それは、我が国が打ち上げた月探査衛星≪かぐや≫からの映像を見ればお分かりの通りです。その限られた資源を先進国はもちろん、今や発展途上国も参加して、浅ましくも、我先にと奪い合っているのが現状です。これでは経済的に恵まれない後進国や、貧困にあえぐ国々の人達はどうやって生きて行けばよいのでしょう。まさに富と資源の奪い合いの中で、彼らは「ゴミ」の山の中で、それこそ野良犬よりひどい生き方を強いられているのです。
しかし、もう宇宙人の鳩山さんに頼もうにも、首相の地位を菅さんに譲ってしまった後なので、今さら頼むわけにも行かないことは、誰が見ても自明の埋で、仮に宇宙人の神通力があったとしても、もはや「後のまつり」でしょう。
なぜなら、この地球の限られた資源は、地球上のすべての人類がアメリカ人と同じ生活をしようとすれば、あと三個、全部で四つの地球が必要になり、一歩譲って我が国日本と同じ生活をしようとしても、地球は二個半必要だと云われています。しかし、地球は一個しかないのです。こうなれば、私達は宇宙の彼方から無限とも云える太陽エネルギーを、ありがたく頂くとともに、地球上にある使っても減ることのない風カエネルギーの利用を真剣に考えるべきで、そうなれば今問題になっているメキシコ湾の原油汚染と自然破壊など起きないのです。
おりしも、サッカーのワールド・カップに加え、政界のゴタゴタも一応は形の上では収まったように見えますが、まだまだ予断を許さない状態が続いている中、6月12日の、朝日新聞朝刊に載った《天声人語》に実にタイムリーなコラムが載っていました。それは『 目標を高くかかげると「非現実的」と言われ、現実的になれば「覇気がない」などと腐(くさ)される。人間永遠の矛盾かもしれない。「ベスト4」を掲げたサッカーW杯の岡田ジャパンはさしずめ前者となろうか▲自民党は後者らしい。谷垣総裁の語る「40議席台」という参院選目標に、党内から「士気が上がらない」といった声が聞こえているそうだ。以前なら「敗北」の水準という。今の身の丈なのだろうが、しぼんだ体躯(たいく)がどこか寂しい▲中国の俗諺(ぞくげん)に「世情 冷暖を看る」と云うそうで「人面、高低を逐(お)う」と続く。その勢力や地位の高低しだいで、人はなびき、そっぽを向くと。「2位ではだめなのか」は蓮舫(れんほう)さんの名せりふだが、1位転落の悲哀を噛みしめているのが下野した自民かもしれない▲夢よもう一度、の思いか。参院選に向けたポスターに「いちばん」の文字を大書した。…中略…▲かつて英国経済が斜陽にあったとき、サッチャー元首相は立て直しを担(にな)った。「下りのエスカレーターを駆け上がろうとしていたようなもの」だったと回顧している。政治信条や手法は措(お)いて、強烈なリーダーシップには目を見晴らされた▲与党も野党も、日本の政冶にそれが欠ける。きのうの所信表明で菅首相も認めていた。下る川を漕ぎ上がる力は、まだ日本にあるはずだ。ともに汗をかきたくなるリーダーとなるか。 』と、書かれています。
ところで≪沢庵和尚≫は、これらの事について、次のように言っておられます。
『≪人生万事争いあり≫として、凡(およ)そ、生きとし生ける者、争わずと云うことなし。空をかける翅(つばさ)、地をはしる獣(けもの)、螻蟻蚊虻(ろうぎぶんもう)に至るまで、争わずと云うことなし。然(しか)れば人にして争わざること難(かた)し。』と云われていますが、その意味は≪およそ、生きとし生けるもので、争わないものはなく、空をかける翅(つばさ)(鳥)、地を奔(はし)る獣(けもの)、螻蟻蚊虻(ろうぎぶんもう)(ケラ、アリ、カ、アブ)などの昆虫に至るまで、争い続けている。このようであるから、人が争わないということはむずかしい。≫という意味ですが、沢庵和尚はこの言葉の直前に、--≪人として、人のために、善かれと思うことは、誠にむずかしいことだ。≫と、述べています。その通りだと思います。特に現代のように、個人主義が徹底してくると、「小さな親切、大きなお世話」という言葉になって返ってくることさえ覚悟しなければなりません。さらに、若い人の一部からは、
≪ウゼえんだよ!》という悪態(あくたい)が返ってきて、下手すると
≪インネンつけんのかよ!≫となるかも知れません。
沢庵和尚は続けて、--≪心底では争うといえども、外見は争っていないと装うのが“礼”であって、これができるのを“人”と言うのだ。この礼を欠いたまま人と人が向かいあうときは、すぐに争いとなる。これでは、姿は人であっても、心は禽獣(きんじゅう)にちかいものだ。≫と言い、その意味は次のようになります。--≪心底では争うといえども、外見は争っていないと装うのが“礼”であって、これができるのを“人”と言うのだ。この礼を欠いたまま人と人が向かいあうときは、すぐに争いとなる。これでは、姿は人であっても、心は禽獣(きんじゅう)に近いものだ。≫と云うことになります。
争いが個人の場合は喧嘩であり、国対国の争いとなると戦争に変わります。
戦争も、第三次世界大戦となれば、核爆弾の使用は必死で、地球は破滅するでしょう。地球を破滅させてよいという権限は、どこの国にもないはずです。
戦争は多くの人間はもとよりのこと、何の罪もない動植物も殺生します。
戦争は、勝っても負けても、こうした動植物に対して、ものすごい罪を犯しているのです。人間は戦争の犠牲になった動植物に対して、慰霊祭一つ行なったことはないのです。なんたる傲慢(ごうまん)さと言うべきでしょうか。人間も、動植物も、同じ地球号に乗って、宇宙の太陽系の軌道を周回している仲間です。
地球を、人間の勝手気ままな判断で破壊して良いという許可を誰からもらったのでしょうか。地球上の誰もが、沢庵和尚の言う“礼”を知った方がいい。そして国益よりも地球益を考慮すべきです。』この69話に続き、次の70話の内容を要約すると『≪遅くはない、今日より改めよ≫の中で、誰かに「それは身のためにならないから、改めなさいよ」と諫(いさ)められたのだけども、「なに、わしはもはや60歳を過ぎておる。この年まで、こうやって生きてきたんだ。もう少し若ければ改めもするが、ここまできたら、もう、このままでいい」と言ったとする。…その通りかも知れません。しかし、「改めるに、遅いということはない』ともいいます。まして平均寿命からすれば、60歳から先、五年、十年も生きるというのに。(注:現在では、皆さんこれよりも遥かに長生きですが…)
確かに、事を改めるに「まだ早いとか、もう遅い」と云うことはありません。逆に、「善き道へと改めるのに、何歳になったら良いのか」と訊(たず)ねても、誰も、そんなことに答えられる人はいません。』と、書いてありますが、我が国には、≪思い立ったが吉日。と云う素敵な言葉がある事を忘れないで下さい。≫
厄除け厄払いお祓い除霊護符呪詛返しの未勒館「密教と四柱推命」
厄除け厄払いお祓い除霊護符永代供養呪詛返しなど未勒館に!密教の加持祈祷・供養「四柱推命」
Copyright © 2008 Mirokukan All Rights Reserved.