【平成二十二年四月】の定例法話会・テキスト
『秘密の教えを感得し完成させた空海』
≪釈迦の『心して完成させなさい』と云う教えの心を顕現した、お大師さま≫
(お釈迦様‥・その10)
前回もお話ししたように、今だに千二百年の時を越えて慕われている『お大師さま』は、お釈迦さまがお示しになられた教え『真実真理秘密の法』の心を受けて、この世のすべての人をお救いになろうとお考えになりました。
これを≪真言密教≫では『即身成仏(そくしんじょうぶつ)』と云います。
私達人間は、決して最初から凡夫なのではなく、折角自分が仏であるにも係わらず、それに気付かず、自らの行ないによって、自らを凡夫にしてしまっているのです。そこで今一度、お釈迦様がその時ブッダガヤーで感得され、お覚りになられた真理の理法について、振り返って考えてみますと、次のようになります。
世の全ては無常であるからこそ、この世の全ての苦も又無常である。無常であるが故に苦も滅する事が出来るのである。
我々は、己の持つ欲望や煩悩の働きで起こる、自己中心的な自我の働きによって、否定や拒絶を際限なく繰り返すから苦を招くのであって、むしろ、その苦の原因をあるがままに受け止めることが、苦を滅する道であり、それが苦を滅する唯一の道なのである…。と云うことは、要するに、このお覚りの肝要なところは、たった一度しかない、かけ替えのない人生の「今を生きる」ことの大切さを見極められた事であり「あるがものを、あるがままに観て、それをあるがままに受け入れなさい。」と教えておられることです。
これと同じような事は、キリスト教でも次のように云っています。如何に多くの人々がこの人生の現実を認めたがらないか、そしてそのことで、どんなに自らの肉体や精神を損なっているかを知って驚いた。その反抗が彼らの苦痛をさらにかきたてる。受け入れてしまえば苦痛も軽くなり、時には病気すら直るというのに、人生も、年齢も、肉体も、性も受け入れるのだ。両親も、配偶者も、子供達も、みんなありのままに受け入れるのだ。試練も、病気も、喪(も)も受け入れ、自分自身の性格も、挫折も失敗も、すべて自らが受け入れるのだ。」
これは『正純真言密教』で行なう≪ガン患者≫や、医者に見離された≪難病の患者≫や、≪精神的な病気≫や、≪悩みを抱えている人々≫に対する、加持祈祷の施法の時の心の持ち方と驚くほど類似しています。
ここで皆さんに一言申し上げたいのは≪新聞の折り込みチラシ等で誇大広告をしたり、すぐに先祖の霊の崇リとか、水子の霊の災いを持ち出す邪道の密教や、悪徳宗教法人にはくれぐれもご注意下さい。多額のお金や財をいくら宗教団体に捧げても、絶対にご先祖や水子の霊は救えないのです。唯一救うことができるのは、あなた自身の心の持ち方とあなた自身の生き方だけなのです。≫
悩みや苦しみを乗り越えるのに最も大切なことは、いかなる病気であろうと、いかなる争いや悩みの原因であろうと、その事実をあるがままに認識して、逆らわず、こだわらずそのまま素直に受け入れることです。
すべては、あなた自身の自我と云う意識が、『足るを知る』の教えの原理原則を、意識的あるいは無意識的に忘れ、又は気づかずに『天地自然の絶対真理の法』に逆らうことから苦しみを生むのです。そして、その自然の理法を拒絶するからさらに悩むのです。そして、あれも・これも、失うまいと執着しこだわるから悲しいのです。≪あらゆるものは移り変わり、その姿形を変えて行くのです。≫
これが般若心経で言う≪五蘊皆空=色受想行識の五蘊は空なり≫であり、色即是空、空即是色で、永遠なるものは一つも無く、地球も宇宙も我々も、全ては移り変わるのであるから、執着こだわりを捨てなさい、と云う教えなのです。
従ってすべての「苦」も有限である、有限であるから、その「苦」もやがては消え去るのに、必要以上にその苦にこだわることから「苦」が継続するのです。
お釈迦様のお覚りと、四十五年の長い間、多くの人々に説かれた、数々の教えの根本は、すべての「苦」の原因と、その「苦」を滅するための方法として「四諦八正道」の法門を示されたのです。(八正道の第一を「正見しょうけん」と云って、正しく物事を見る事で般若心経にも『正見五蘊皆空』と書かれています。)
私達は日常、物事を正しく見ることが出来ず、自分だけの勝手な判断や憶測や周囲の片寄った情報を鵜のみにし、更には、他人に対する、そねみ・妬み・嫉妬や勝手な願望によって自らの心を汚し、目がくもり、そして歪んでいきます。
私達もこの事を肝に銘じて真実を在るがものを、在るがままに、色眼鏡などを通さず欲や思い込みを捨て素直に真実を見る努力をしたいものです。
最後に、この心を詠んだ「古(いにしえ)の俳聖」の名句を記しておきます。
≪散る桜、残る桜も、散る桜≫…≪裏を見せ、表を見せて、散る紅葉≫
なんとも時空を超えて私達の心の眼を開かせてくれる名句でしょう。
以上で、長い間お話ししてきた、お釈迦様の、前世・お誕生・お悩み・ご出家・苦行・解脱。そして、お覚リの根本までのお話しを終わります。
さて、それでは三月と四月の「法話会テキスト」の中の難しい用語の説明をしたいと思いますが、その前に『仏陀釈尊』の最後の教えをお大師さまは見事に感得され、それまでの奈良時代や平安時代を通じて、唐(中国)から引き継いだ、南都六宗や天台宗と違って、新しく日本独自の宗派として、《真言宗》を立宗され、高野山にその教えを伝えるための≪一大伽藍≫を造られたのです。
その日本独自の宗派「真言宗」の中で、お大師さまが説かれた数々の教えの中でも最も基本的で大切な教えとは、次の二つの教えではないでしょうか。
それは『秘密曼陀羅十住心論(ひみつまんだらじゅうじゅうしんろん)』と『声字実相儀(しょうじじっそうぎ)』でしょう。
では、この二つの教えとはどう云う教えなのか簡単に述べてみますと、まず最初に『秘密曼陀羅十住心論』についてお話ししますと、真言密教の二大経典の一つ≪大日経≫の真言門住心品(しんごんもんじゅうしんぼん)の内容に基づき、人の心を、宗教意識の発達に応じて分類した次の十段階に分類し、その第一を≪悪事のみをなす最低の人の心≫。第二を≪ふとした動機で善心がおこり道徳的にめざめた人の心≫。第三は、≪いろいろな仏教以外の宗教を信奉してしばしの安らぎを得ている人の心≫とし、この第一から第三までを≪世間心≫として、苦と迷いの世界に住する心としています。また、第四と第五の心は、菩提心に目覚め、自ら小乗の自分自身が最高の悟りに達しようとする阿羅漢の修行に励む心を示し、第六と第七は大乗の心で衆生を救い上げ彼岸へ導こうと利他行に勤める菩薩の立場を現しています。そして、第八は天台宗の修行をなす人の心で、第九は、華厳宗の修行をなす人の心で、それぞれ仏の心を良く理解している人の心を現しています。そして第十が秘密荘厳心と云い、真言宗の修行をなす人の心である。と言っているのですが、なぜ第八天台宗と第九の華厳宗は、第十の真言宗と違うのかと言うと、第八天台宗と第九の華厳宗は仏の教えは良く理解しているが、その教えを行動し実践していないと言っているのです。
しかし、第一から第九までの心の間には、第十の『大日如来』の目から見れば、いずれも≪秘密荘厳心≫に近づくための一段階であるから相対的な差異はあっても、決定的な差異は無いとして基本的には平等であるとしています。
それでは、次に『声字実相儀(しょうじじっそうぎ)』のお話しに入りましょう。
この『声字実相儀』は、声字儀とも云われ、平安時代の初期に、真言宗の開祖≪弘法大師空海≫がお書きになった著作で、(声)は音声・言語を表し、(字)は文字を表し、(実相)は真実・真理を表しています。
私達の普通の考え方では、言語や文字では、仏の教えの深遠な真理(悟りの深い内容)は表せない、とされていますが、これは、お釈迦様がブッダガヤーで悪魔の執拗な誘惑を退けて、明けの明星をご覧になった際、宇宙全体か輝き、最高の悟りを得られた後、この深遠な悟りの境地を、どう云う言葉でどうやって多くの迷える人々に伝えようかとお考えになっているとき、天から梵天が降りてきて≪そのお悟りの内容を大勢の人々にすぐに教えてください≫と頼んだのです。
これを(梵天勘請ぼんてんかんじょう)と云います。これと同じように、空海も四国の室戸岬の洞窟(みくろどうと云います)で修行中に、お釈迦様が御覧になったのと同じ明けの明星が、今度は空海の口の中に飛び込んできたと言われています。
この時、ご自分の名を『空海』と改める決心をした。と伝えられています。
そこで、先にお話ししたように、通常の言語や文字では真実真理の「悟りの内容」を表現することは出来ないとされていますが、この『声字実相儀』では、真実の仏≪法身(ほっしん≫は自らの働き≪身(しん)と口(く)と意(い)≫の『三密(さんみつ)』として言語と文字を示すから、真実の仏の『声・字』そのものが真実を表すと説くのです。
これを≪声・字(しょうじ)≫すなわち『実相(じっそう)』と云い、真言宗で説く真実、すなわち≪真言ダラニは真実語≫であると云う思想から、法身説法を明らかにした言語思想哲学なのです。
今月も少し難しい話になってしまいましたが、それでは、いよいよ三月と四月分の法話会テキストの中の≪用語解説≫を始めたいと思います。
まず三月のテキストのタイトルにも書いてある『自繩自縛(じじょうじばく)』は、本文中の≪自分本位に行動した結果、自縄自縛になり≫と書いてありますが、これは自分の自我とこだわりから自らの心を縛り身動きできないことを示しています。
次に『業(ごう)』についてですが、この言葉には≪宿業と三業≫があります。この最初の≪宿業≫は、過去の生存中(過去世)においてなされた善悪の行為の現在に及ぶ潜在的な力で、三月のテキストの後半に書いてある「十二因縁」の中の過去世を表す「無明と行」のうち「行」が≪宿業≫とされています。
そして、つぎの≪業≫は、現世での自らの行為の在り方により身体にかかわる行為を「身業(しんごう)」。言葉にかかわる行為を(口業くごう)又は(語業ごごう)と言い、さらに意思にかかわる行為を「意業」と云って、この三業に分かれます。
また、釈尊が今まさに法華経を説かれようとした時の言葉として伝えられている『四十余年未顕(みけん)の真実』とは、「未顕」すなわち 未(いま)だ顕(あきら)かにしていない真実の教え。と云う意味ですが、この言葉は法華経の序品(じょぼん)の中に書かれていますが、これは後年中国で書かれた偽経(ぎきょう)と云う説もあります。
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