【平成二十一年十二月】の定例法話会・テキスト
真の教えを求めて旅立った『王子』
≪シッダールタは、パガワ仙人の助言で、アーラーラ・カーラーマのもとへ≫
真の教えを求めて旅立った『王子』
(お釈迦様‥・その6)
王子シッダールタは、父王の許しを得ぬまま、ある夜秘かに城を抜け出し、出家してしまいした。生後たった七日目での母との別れを起因として、次第に深くなる苦悩と試行錯誤の中から「生(せい)・老(ろう)・病(びょう)・死(し)」に付いての度重なる洞察を重ねた結果、母を救い、自分自身をも救い、そして他の全ての人々を救うため、シッダールタは出家を決意し、秘かに城を出て行ったのです。
一人、意を決して出家したシッダールタの心の中には、恐らく幼少の頃から、ただの一度も、母親マーヤ様の想いが途切れることなく、しかも昼夜を分かたずその心の中に甦(よみがえ)り生き続けていたのでしょう。
出家前のシッダールタが、一人静かに瞑想に耽っている時、その心の中には母マーヤ様がたびたび現われ、幼少の頃には元気を出すよう励まされ、さらに、妻ヤショーダラとの結婚後は、シッダールタの昼夜を分かたぬ五欲の快楽を、その神秘的な瞳を悲しみの表情で曇らせながら、優しく戒められた事でしょう、
又、ある時には真剣に母と語りあい、自分を置いて、一人先立ってしまった母を、心ならずも責めた事もあるでしょう。
しかし、その中からシッダールタは、人間の生と死と、出会いと別れを通じて、人が生きる事の難しさと、どう生きるべきかと云う事の大切さを感じ取ったのです。そうでなければ、シッダールタが出家の時、森の傍(かたわら)らまで送ってきた、馭者(ぎょしゃ)に対して残した最後の言葉『私が生まれて、僅か七日目に母は亡くなった。母と子の深い絆の中にも、このように死と生の別れがあるのだから、まして他人同士の間では、死と生の別れがあるのは当然であろう。さあ、お前は白馬カンタカと一緒に城へ帰りなさい。そして、お前も何時までも私のことを心に想ったりせずに、一日も早く忘れなさい。』と云う、これだけの重みのある、しかも冷静で現実をしっかりと見据えた言葉を云える筈がありません。
出家をしたシッダールタは、ごく自然な振る舞いで自分で腰の剣を執り、自らの手で鬚髪(しゅはつ)を剃り落とすと、何事も無かったかのように、大勢の修行者達を従えているパガワ仙人の所へと足早に向かったのです。
パガワ仙人は、シッダールタを快く迎え、丁重にもてなします。
暫(しばら)く、パガワ仙人の弟子達の苦行の有様を観察していたシッダールタは、パガワ仙人に尋ねます。≪あなた達は、どうしてこのような苦行をするのですか?≫と、するとパガワ仙人は答えます。《我等天に生まれんが為なり》
この言葉を聞いてシッダールタは思います。
『彼らは天に生まれると云うが、天は確かに楽しいかも知れない。しかし、何れは六道に再び輪廻して、今と同じ苦を味わう事は分かっている。丁度、欲深な商人が財宝の為ならばと、いかなる危険や困難の待つ荒海でも、必死で乗り越えようとして苦しみ、又、一国の王は、隙あらば自国の領土を広げようとして、隣国と争いを起こしては苦しみ、そして今、目の前で仙人までもが、天に生まれんが為に、自ら進んで苦を求めるとは‥‥・』と、意外な返答に戸惑います。
このパガワ仙人の返事を聞いたシッダールタは言葉を失い、暫くその場に立ちつくしていました。
突然沈黙して、言葉を発しなくなったシッダールタを怪しんで、パガワ仙人はシッダールタに質問します。
≪王子よ、どうして黙っておられるのか、我々の修行が間違っていると云うのか≫
このパガワ仙人の問に対してシッダールタは答えます。
『仙人・‥、あなた達の修行方法では、所詮(しょせん)は、ただ苦しみだけを永遠に繰り返すだけで、これでは苦しみから逃れることは出来ないではありませんか。』
しばらく、パガワ仙人との議論の後、シッダールタは、心の中で思います。
『ここにいる仙人や修行者達は、それぞれの方法で一生懸命、苦しい修行を積んではいるが、この修行法は自分の求めている≪解脱真正の道≫には程遠く、自分はここに留まるべきではない、一刻も早くここを立ち去らねば‥‥・』と。
翌朝シッダールタは、パガワ仙人に別れを告げて立ち去ろうとした時、他の修行者達が集まって来て≪あなたが来て下さったおかげで、私達の徳が増し一派も益々盛んになると喜んでいましたのに、何の不足があって立ち去ろうとされるのですか…?≫と、何としてもシッダールタを引き止めようとして、顔色を変えてその理由を尋ねます。
しかし、その時パガワ仙人は修行者達を押し止め、このお方は我々とは修行の道が違うのだからと云って、シッダールタを引き止めようとはせず、むしろ王舎城へ行きアーラーラ・カーラーマ仙人に逢うように勧められたのです。
その頃、カピラ城では、ようやくシッダールタが居なくなったのに気付き、城中は大騒ぎとなり、父シュッドーダナ王も、養母のマハープラジャーパティも、妻のヤショーダラも、皆どうして良いか分からず、ただ悲嘆に暮れてオロオロするばかりでした。
そこへ、馭者がシッダールタの愛馬カンタカを連れて、力なくトボトボと帰ってきてシッダールタ王子の出家の顛末(てんまつ)を話しました。
馭者からの報告を聞いた父王シュッドーダナは、早速、側近と大臣の二人を、パガワ仙人の元へ走らせ、シッダールタを連れ戻そうとしますが、一足違いで、すでにアーラーラ・カーラーマ仙人を訪ねて王舎城へ旅立った後でした。
パガワ仙人から、シッダールタの行き先を聞いた二人は、すぐに後を追って出発します。王舎城へ向けてしばらく行くと、途中の大きな樹の下で、端座(たんざ)し瞑想(めいそう)に耽(ふけ)っているシッダールタを見つけました。
側近と大臣の二人は、急いで王子の元へ駆け寄り、王をはじめ城中の皆が心配しているので、考えを変えて城へ戻るように懇願します。しかしシッダールタは二人の願いを、頑としてはねのけ、次のように反論します。
『私は、決して父王の恩愛を知らない訳ではありません。私が城を出て出家したのは、全ての苦の原因である≪生・老・病・死≫を徹底的に見つめ、苦の根本を除いて生きる道を探る為なのです。
仮に、私が父王に永遠の恩愛の情を持ち続ける事が出来て、しかも、私の心の中に≪生・老・病・死≫の苦しみが全く無かったら、出家などしていません。私が出家したのは、将来父王と私が、人生の問題について、何のこだわりも無く話し合える道を探る為なのです。父王にしても、時として苦悩の焔が、盛んに燃える事がある筈ですし、今、私がこの苦しみの元を断つ道を探っておかなくては、父王と私に関わりを持つ苦しみは、永遠に消える事が無くなるでしょう。だから、私は急がねばならないのです。』と。
シッダールタに、この様に、はっきりと城へ帰る事を拒絶されては、二人はどうする事も出来ません。
困った側近と大臣は相談し、たとえ出家したとは云ってもシッダールタはカビラ城のシュッドーダナ大王の王子です。もしかしたら、シュッドーダナ大王に怨念を抱いている者がいて、無防備の王子を襲うかも知れない、そこで、シッダールタの身辺を護衛するために、五人の屈強な男達(カウンジンヤ・パドリカ・ワシュパ・マハーナーマン・アシュワジット)を選び、チャンスがあれば説得して、カピラ城へ連れ戻すよう命じました。
五人は言われた通りシッダールタを追い、城へ帰るよう説得しますが、いくら説得してもシッダールタの心は変わりません。
シッダールタの出家の意思が堅いのを見て取った五人は,このままカピラ城に戻ったのでは、何と言って責められるかわからない、もしかしたら自分達だけでなく、一族のものまでが、どのような仕打ちを受けるか分からない。
このように考えた五人は、それならば自分達も、このままシッダールタの側(そば)にいて、思い思いに過ごそうと云うことになり、結果として彼等も出家の道を選んでしまいました。この五人の男達が、後にシッダールタと共に≪前正覚山≫で、六年にも及ぶ苦行を重ねた仲間であり、やがて、ブッダガヤーで成道し覚りを得て仏陀と成られたシッダ一ルタの、最初の説法を鹿野苑(サルナート)で聞くことになる、五人の修行者でもあったのです。
それはともかくとして、なぜシッダールタはパガワ仙人と考え方や求めるものが違ってしまったのでしょう。それは恐らくシッダールタが、人間がこの世に生まれてから死ぬまでの間をどう生きるかと云う「生・老・病・死」の問題を主題として、現世での生の意味の真理を中心に考えたのに対し、パガワ仙人は自分達の現世での生が終わって死んだ後、如何にして再び来世へ生まれ変わるかと云う≪生への執着とこだわり≫が主たる目的であったことが、シッダールタとの決定的な考え方の違いとしてあったのです。
これを現代風に考えるとすれば、我が子の「IQ(アイキュウ)」がいくつで、誰それちゃんの「IQ(アイキュウ)」は、どうかしらとか、お互いの成績や評価が気になり、我が子を中心に日々疑心暗鬼に心揺れる・今日この頃だとは思いますが、そのようなお悩みの方や、世界不況の中で政権交代はしてはみたものの、依然として政治不安が続く不透明な政権内部の不協和音と共に円高や為替の乱高下に一喜一憂しながら、夜もおちおち眠っていられないであろう多くの方たちの、一時の気休めにでもなればと、旧大蔵省で財務官などをつとめられた大場智満氏の書かれた≪世界ビジネス・ジョーク集(中公新書ラクレ)≫の中から、その五十五ページの『神様の代理人』の項から次のように引用して書いてみましょう。
※『為替相場について、アメリカの財務長官の一人は、次のようなジョークを述べている。≪人は神に召されて天国へ行く。天国では神様が仕事を決めてくれる。≫しかし神様は忙しいので、代理を置くことがある。
その日は、アインシュタインが神様の代理をしていた。
一人、天国にやってきた。(IQ 300)という天才である。
アインシュタインは即座に「ここで、私の相対性原理をさらに進化させてくれ」と言った。二人目がやってきた。これもまた大変な秀才で、IQが(200)あった。アインシュタインは少し考えてから「構造改革を円滑に進めるための方策を研究して欲しい」と言った。三人目の男がやってきた。人はこよなくいいが、IQは(20)にしか達しなかった。
アインシュタインはしばらくしてから「あなたには、六ケ月後の円ドルレートの予測をしてもらいたい」と言った。』とあります。
これでお分かりのように、人はその能力によって、さまざまな役割があるのだから、それぞれ「身の丈に合った』仕事をしなさいと云うことでしょうが、それにしてもアインシュタインが命じた「三人目の男」でも務まる≪円ドルレート≫の予測とは一体何なのだろう。と思う人も多いことでしょう。
ところが、この天才アインシュタインの(IQ)はいくつだったかは今となっては調べるすべもありませんが、去る12月9日の「産經抄」に次のようなコラムが載っていましたので、上の「アインシュタイン」の言葉と対比する意味でも興味があろうかと思いますので、その一部をご紹介してみましょう。
『昭和27年9月2日というから遠い昔の話である。登場人物は、鳩山由紀夫首相の祖父、鳩山一郎と犬猿の仲だった麻生太郎前首相の祖父吉田茂。衆院を抜き打ち解散したばかりの吉田(茂)が、箱根・芦ノ湖畔のホテルで静養していた政敵を訪ね、会談した▼鳩山(一郎)「新聞で、僕が君の悪口をたたいているように伝えているが‥・どうかね?」。吉田(茂)「気にしていない」。
鳩山(一郎)「ハト公のいうことなんざ相手にせんか(笑い)」。翌日の産経新聞には、狐(きつね)と狸(たぬき)の化かしあいのような一問一答が詳しく載っている。むろん、新聞記者嫌いの吉田が話の中身を洩らすわけはない▼タネを明かせば、小社の大先輩がボートに乗ってホテルの出窓下にもぐりこみ、会話をこっそり聞いていたのだ。テロ対策とやらで厳重な警備体制が敷かれている今なら、SP(警察官)にとっととたたき出されていただろうが▼今も昔も政治記者と芸能記者は「XとYが密会した」ことをスクープするのにしのぎを削っている。XとYとが意外な組み合わせであればあるほどニュース価値は高いが、意外でも何でもないのに会ったことさえ否定する御仁(ごじん)がいる▼先週の金曜夜、首相公邸を小沢一郎幹事長が秘かに訪ねた。
翌日、首相はあっさり認めたが、幹事長は記者会見で否定した。同じ党の党首と幹事長が会うのに何か不都合があるのだろうか。‥・
面妖(めんよう:奇妙なこと)な話だ▼首相は≪幻の方とお会いした≫と、とぼけたが‥・」とありますが、さすが≪宇宙人首相≫と云う人も居るかもしれません。
ところで、先のアインシュタインの話にもどりますが、私達人間は、少しでも良くなると、もっと上を、さらに豊かにと、その欲求には限りがありません。
これは仏教で云う≪足るを知る≫と云う感謝と心の制御が出来ないからです。それが欲望の暴走となり、今日の不況の引き金となったアメリカのマネー資本主義へと発展し、錯覚と思い込みによる先入観を巧みに利用した一部の金融悪魔の陰謀による、サブプライム・ローンを引き金とした、リーマン・ブラザースの破綻を招いたリーマンショックの結果、世界的な大不況へと突き進んでいったのです。このように錯覚と、思い込みと、身勝手な自我主導の先入観ほど怖いものはありません。
このように、とかく錯覚と思い込みと自我は、常に自分の都合の良いように考え思い込み、自分だけは大丈夫と考えがちだからです。この錯覚と思い込みと先入観について、先に挙げた、世界ビジネス・ジョーク集の中に、先入観と思い込みと錯覚に関する面白い話がありますので、ちょっときわどい話かも知れませんが、せっかく著者の≪掲載されているジョークは自由にお使いください。≫と云う「コメント」もありますので、遠慮なく遣わせていただきますと
『ある大学の医学部の講義で、教授が学生に質問をした。』
「人間の身体の部分で、状況によって六倍の大きさになるところは?」
誰も手を挙げないので、教授は、最前列に座っていた美人の学生に答えるよう促した。彼女は真っ赤になってうつむいてしまった。「誰か、わかる者はいないか?」すると、後ろの方の男子学生が立ち上がって、答えた。「教授、それは瞳孔(どうこう)です」そこで、教授は「よく予習をしてきたね」と彼を褒めた。
教壇に返る途中、先ほどの女子学生の前で足を止め、次のように言った。
「君に言っておきたいことが三つある。
第一に、私の授業に出るときは予習をよくしてきたまえ。
第二に、先入観を持つのはよくないことだ。
第三に、過大な期待を抱くのは、もっとよくないことだ。」
このジョークから学ぶべきことが二点ある。
まず、品の悪い言葉を一つも使っていないという点。≪気の利いたジョーク≫の使い手となるためには、これは重要なポイントである。もう一つは、ジョークを使う時も予習が大切であるという点。「三つある」と言っておいて二つしか言えなかったら、すべてが台なしだ‥。とあります。このように、私達の少ない経験だけで思い込んだ先入観ほど、すべての面で怖いものはありません。それが、せっかくの対人関係を壊し、誤解を生み、やがては決定的な決裂を生む事になるのです
厄除け厄払いお祓い除霊護符呪詛返しの未勒館「密教と四柱推命」
厄除け厄払いお祓い除霊護符永代供養呪詛返しなど未勒館に!密教の加持祈祷・供養「四柱推命」
Copyright © 2008 Mirokukan All Rights Reserved.