【平成二十一年十一月】の定例法話会・テキスト
『「シッタールダ太子」の出家の秘密』
≪それは「四門出遊」で感じた、人々の「生老病死」の苦の解決への道でした≫
〈お釈迦さま‥・その5〉
前回は、シッタールダが、その妻ヤショーダラ及び一人息子のラーフラや、その恵まれた生活の総てを捨てて、秘かに出家した所までお話しをしました。
それでは、シッタールダは、なぜその将来を約束された地位や名誉や、妻や子を捨ててまで出家をしてしまったのでしょう。
今回は、シッタールダが、その出家の決意を固めるまでの経緯を、順を追って辿りながら、シッタールダ本人の心の動きを探ってみましょう。
「本行集経(ほんぎょうじつきょう)」に依ると、シッタールダの結婚生活について、次のように書かれています。「太子、ヤショーダラ女を入れて後、十年の間、宮中にありて五欲の楽を受けぬ。」と‥・。
これでお分かりのように、シッタールダとて、私達と同じ生身の体を持った人の子です。その意味では父王や側近達が、シッタールダを結婚させることによって、出家を思い止まらせようとした作戦は、思惑通りに事は進んだ、と云う事になります。
この五欲とは、眼(げん)・耳(に)・鼻(び)・舌(ぜつ)身(しん)の五官(五根)の感覚器官によって起こる様々な欲のことで、私達が目に見えるもの、耳に聞こえるもの、鼻で嗅ぐもの、舌で味わうもの、身体に触れるものが欲しい、という五つの欲望のことをいいます。
密教以外の一般仏教では、全ての欲望を絶てと云いますが、ある意味では、人間は欲があるからこそ、努力もしているし進歩しているので、そこが他の動物との大きな違いです。もちろん一般仏教、いわゆる顕教(けんきょう)でも、根本的には、欲望の全てを全面的に否定しているのではなく、その本当の心は、我々は生きて行く上で、たしかに欲望は必要ではあるが、必要以上にその欲の虜になるな、と云っているのだと思います。
ところが密教では、この欲望を全面的に容認し、私達が生きていくための、絶対必要な精神的エネルギーの根源として、大いに活用することを勧めています。
この五欲について、もう少し分かり易く、具体的にお話しをしてみますと、自分はもっと財産が欲しい、素敵な異性が欲しい、たくさん美味しいものが食べたい、地位も名誉も欲しい、ゆっくり睡眠を取りたい、と云う欲。つまり、財欲・色欲・食欲・名誉欲・睡眠欲の、以上、五つの根本的な欲ということになります。
たしかに、この五欲に走り過ぎるのを戒め、欲望の池に溺れないように、自らの心をコントロールするのは素晴らしいことですが、言うは易く行なうは難しで、なかなか思うようにはいきません。
ことに、本山で修行をして来た専門の僧侶でさえ、俗世間に戻って来ると、五欲の誘惑に勝てない人が多いと言っても差し支えないくらいですから、まして、一般の在家の方たちには、至難の業だと言ってよいでしよう。
そうかと言って一般仏教、いわゆる顕教(けんきょう)の言うように、この五欲によって起こる全ての煩悩を絶ち切ってしまっては、私達が健全に生きていくための、一番大切な精神的生命エネルギーまで失ってしまうことになりかねません。
それでは、何のためにこの世に生を受けたのか、まったく無意味になってしまいます。その点、お大師さまが説かれた真言密教の教えは、欲望も煩悩も、本来その本質は清浄であり、元から備わっているものはそのまま認め、そして、その欲望も煩悩も持ったその身そのままで、仏になれると云う『即身成仏』の教えですから、当然、五欲の欲望の存在も、そのまま認めていますしこの世に不用なものは一つもない、と云う通称「大日経(だいにちきょう)」正式名『大毘盧遮那成仏神変加持経(だいびるしゃなじょうぶつしんぺんかじきょう)』と云う密教の根本経典の説法にも合致する訳です。
ただし、仮にその欲望が汚れた欲望としての結果を招いたとしても、それは、自分自身が汚したのであり、決して欲望そのものを否定する事ではないのです。
さて、シッタールダの五欲の全てを満たした歓楽生活の十年もの間は、来る日も来る日も、朝から夜更けまで延々と続く、歌や、踊りや、美女たちに囲まれた、楽しい日々の連続でした。
それでは、なぜ、シッタールダは、このような楽しい生活を捨ててまで、苦しい出家の道を選んだのだろうかと云う大きな疑問が残ります。
しかし、昔から「過ぎたるは及ばざるが如とし」と云う諺(ことわざ)があります。
また、仏教では「足(た)るを知(し)れ」とも言います。
私達凡夫でさえ、目の前の欲望が満たされ過ぎると、さらに新しい刺激や変化を求めたくなったり、このままで良いのだろうか、と云う不安にかられます。
人間は、全てが満たされていないから、それを求め手に入れよう、欲望を満たそうとして努力するのです。丁度、男が女を求め、女が男を求めるようにです。
楽しい欲楽の日々を続けていたシッタールダは、次第に、いつまでもこのような生活を続けていて良いのだろうか、と云う疑問を感じるようになっていきました。それと同時に、結婚前からずっと持ち続けていた、生と死の間をどう生きるかと云う大きな課題が頭を持ち上げてきました。
そうなると、日々の歓楽や、満たされていた快楽にさえ、罪悪感を覚えるようになり、今まで腕の中に抱いていた美しい女性達にも、嫌悪の情を感じるようになりました。
そして、全てを捨てて出家をしたシッタールダの心の奥底には、とても常人には計り知れない悩みの視点と今の生活に対する自己嫌悪があったのでしょう。
再び、以前のように、物想いに耽るようになったシッタールダは、ある日、人々の話し声に耳を傾け、近郊の園の林は今が花の盛りで、泉や池が美しく彩られていると聞き、思い切って外出する気になりました。
シッタールダの外出の話を聞いた、父シュッドーダナ王はとても喜びました。
宮殿の中で、日夜、五欲の快楽に身を任せながらも、時として、静かに物思いに耽る、シッタールダにとって、少しでも気分転換になればと思ったのです。
父王シュッドーダナから外出の許可を得たシッタールダは、お供の馭者を連れて出かけようとしてカピラ城の東の門に立ったその時、シッタールダの前を一人の老人がヨポヨボと横切っていきました。 ・
「あの年老いた老人も、生まれた時は元気で可愛い赤ちゃんであり、やがて成長して行くに従って逞しい青年となっただろうに、年月を経過すると共に次第に身体も弱くなり、食も進まず、気力も衰え、あのように足元も覚束ない、余命いくばくも無い老人になってしまったのだ。」
この哀れな、みすぼらしい姿を目のあたりにしたシッタールダは、人はその身分の貴賎高低を問わず、誰でもが何れは必ずあの老人のような姿になるのだと感じ、人生に対する儚(はかな)さをしみじみと感じたのです。
そして、せっかく人間に生まれたのだから、いつまでも若々しく元気で、一生楽しく、しかも、毎日が幸せに包まれて生きられるとしたら、どんなに素晴らしい人生を送ることが出来るだろうか、それなのに、人は必ずあの老人のように、誰もが、いずれは老いて行かなくてはならない、この事実は誰もが否定できないし、とても悲しくて、淋しい事だけど、誰にもどうする事も出来ないのだ。と、シッタールダは、今、自分の目の前を、足を引きずりながら、ゆっくりと通り過ぎて行く老人の姿を見て考えました。
「人間にとって、最も大切な事の一つは、この老いをどう生きるか、と云う事ではないだろうか、そしてそれ以上に大切な事は、その老人に人々が、どのように接していけば良いか、と云うことではないだろうか。」
この事を真剣に考え始めたシッタールダは、最早、外出する気力もなくなり、そのまま城の中へと引き返してしまいました。
それから何日か過ぎたある日、再びシッタールダは、父王に外出したいと申し出ました。
父王にしてみれば、前回東門から外出をして老人と会った後、しばらく物思いに耽りすっかり塞ぎ込んでいたシッタールダが、また外出した際に、それ以上に心が沈むような出来事に遭遇しては困ると、内心憂慮しながらも結局は、シッタールダの外出を許可してやりました。
今度は、シッタールダが南の門から出ると、そこには、身体はすっかり痩せ細り、顔面蒼白で苦しそうに呻き、最早一人では一歩も歩くことも出来ずに、両脇を二人の人に抱えられて行く者や、すでに病重く道端に倒れている人々に出会いました。
いつも宮殿の奥深くで、若々しく健康的な、多くの女性達に囲まれて、何一つ不自由なく、恵まれた日々を過ごしているシッタールダにとって、このような哀れな病人の姿を見るのは初めてでした。
このような光景を目のあたりにしたシッタールダは、城の外の世界が、とても恐ろしくなり、こんな所で、のんびりと遊んでいる訳にはいかないと思い、慌てて車を宮殿の方へ向け直すと、大急ぎで戻ってしまいました。
宮殿へ戻ったツッタールダは、いつの日か自分も、あのような醜い病人になって、やがては死んでしまうのかと思うと、日頃の悩みがますます深くなって、以前にも増して一人で塞ぎ込むことが多くなっていきました。
≪昔から仏教では、四大(しだい)〔地(ち)・水(すい)・火(か)・風(ふう)〕不調にして病に倒れ、やがては死に到る、と云います。私達人間の身体は、この四大のバランスが崩れると熱が出て、食欲も衰え、睡眠はあまり取れずに健康を損ない、身体も思うように動かず、次第に体力気力が無くなり、やがては病に倒れ、ついには死に到る‥・。と云うことになります。≫
五欲の快楽も忘れ、日々物想いに耽ることが多かったシッタールダは、暫くすると再び外出したいと、父王シュッドーダナに申し出ました。
このシッタールダの申し出に対して父王は、以前の二回の外出の際のシッタールダの受けたショックの大きさから、また何かあってはと、心配で本当は外出の許しを与えたくなかったのですが、シッタールダのたっての願いなので、止むを得ずカピラ城の中でも最も聡明で弁も立つ、バラモン出身のウダイを側近として付けることを条件に、三度目の外出を許可することにしました。
外出を許されたシッタールダは、今度は西の門から出かける事にしました。
門を出てしばらく行くと、目の前を、華やかに香華で飾った輿を四人がかりで担ぎ、その後ろから、大勢の人々が泣きながら続いて行くお葬式の行列に出会ってしまいました。
初めの弱々しい老人、二回目の苦しそうな病人に続いて、今度は死人に出あってしまったのです。
その行列を見たシッタールダは、人はすべて、尊い人も、卑しい人も、富める人も、貧しい人も、賢い人も、愚かな人も、誰一人として、この死を逃れることは出来ない。この事実を目の前で実感したシッタールダは、直ちに馭者を呼び、急いで城へ帰ろうとしました。しかし馭者はすぐに馬を出そうとせず、側近のウダイに「貴方も前回のことはお聞きになっているでしょう。これではこの前と同じではないですか。この前も門を出たところで、すぐに引き返しているのですよ。その時私は、シュッドーダナ王にひどく叱られてしまいました。それなのに、また同じことを繰り返せと云うのですか。」と、なじるように云いました。
そう云われたウダイは「そう云われれば、確かに馭者の云う通りだ、このまま帰れば父王に余計な心配をさせ、しかも、馭者を困らせるだけだ」と思って、ウダイは城へ帰るのを止めて、シッタールダを連れ、森の近くの花園へと馬を進めさせました。
やがて、花園へ到着すると、そこには美しく着飾った若い女性たちが待ち受け、シッタールダを喜ばせようと、歌や踊りで歓迎しました。
しかし、シッタールダは、その女性達には全く目もくれず、近くの木陰で人々を遠ざけ一人静かに物想いに耽るのでした。その姿を見ていた側近のウダイは、城へ帰った後の事が心配で気が気ではありません。
それから何日か過ぎたある日、再び父王の許しを得たシッタールダは、今度は北の門から出て園林に行き馬から下りると、お供のものを遠ざけ、たった一人で静かに座り、人間のどうしても避けられない「生・老・病・死」の「苦」について深く思いを巡らすのでした。
その時、シッタールダの目の前を、一人の行者が通り過ぎて行きました。
その行者の顔は、まさに寂静の相そのものであり、眼はじっと地面を見据え、足は大地をしっかりと踏みしめ、周囲を圧倒するかのように、近寄り難い威厳さを漂わせていました。
シッタールダは、その行者に声をかけて呼び止め、質問をします。
「貴方はどうしてそんな格好をしているのですか・‥?」
するとその行者が答えます。「私は比丘(びく)です‥・」
さらにシッタールダは質問を続けます。「比丘(びく)とはなんですか‥・?」
ふたたび行者が答えます。「比丘(びく)とは、身に正しいことを行ない、口に正しいことを云い、心にはいつも正しいことを思っている、それが比丘と云うものです。そして、心にわずかの悪も抱かず、身体もロも心も常に正しく威厳があって、常に忍辱し耐え忍び、どんなときにも腹を立てず、すべての生き物に憐れみの心を起こす。そのような者を真の比丘と云います・・・。」と。
その言葉を聞いてシッタールダは考えました。
「人はたった一度の人生を生きるというのに、人間として生まれたということが、どんなに重みを持っているかと云う事実を、実感として見つめる事もなく、すべての人が、必ず老いると云う事を、実感として受けとめるでもなく、病の人も、又その病気に振り回されている。そして、人は誰でも死という終結を必ず迎えるというのに、それを事実として認識しようともせず、ただ一度の人生を、これと云った実を結ぶ事もなく終わる人間ばかりではないか。たとえば、名もない一本の野の草でさえ、時が来れば自分から芽を出し、花を咲かせ、実を結ぶというのに、人にはなぜそれが出来ないのだろうか。
そこで、シッタールダは決心しました。
こうなれば、自分が真実真理の道を生きて、人々を救わなければならない。それは国王として人民を救うだけでなく、全ての生きとし生きるもの達を救わなくてはならない。それには、やはり自分が出家をするしかない‥・。」
そう決心したシッタールダは、父王シュッドーダナのもとへ行き、次のように願い出ます。
『唯(ただ)願(ねがわ)くは我に出家学道(しゅっけがくどう)を聴(ゆる)させたまえ。一切衆生(いっさいしゅじょう)の愛別離苦(あいべつりく)を、皆、解脱(げだつ)せしめんがために‥・。〔仏所行讃(ぶっしょぎょうさん)〕』
その意味は‥・≪どうか、私を出家させてください‥・。私は修行をして、人の生きる道を確立し一人でも多くの人々に、真実真理を解き明かし、救ってあげたいのです。・・・と。≫いよいよ「シッタールダ」の、仏への旅立ちです。
厄除け厄払いお祓い除霊護符呪詛返しの未勒館「密教と四柱推命」
厄除け厄払いお祓い除霊護符永代供養呪詛返しなど未勒館に!密教の加持祈祷・供養「四柱推命」
Copyright © 2008 Mirokukan All Rights Reserved.