【平成二十一年十月】の定例法話会・テキスト
苦悩の末出家を決意した若き王子
≪アシダ仙人は『幼いシッダールタの未来の姿』を予見して涙を流した≫
〈お釈迦さま‥・その4〉
今年2月にアカデミー賞の外国語映画賞を獲得した『おくりびと』の原作者≪青木新門氏≫をして『気がついたら正座して読んでいた』と言わしめた本があります。
それは、若き医師が死の直前まで綴った愛の手記『飛鳥へ、そして、まだ見ぬ子へ』と云う遺書を兼ねた感動の一冊です。その表紙裏には、≪死にたくない。生まれてくる子の顔を見たい・・・・・≫と書かれ、続いて『不治の病に冒された青年医師が、最後まで生きる勇気と優しさを失わず、わが子と妻、両親たちに向けて綴った感動の遺稿集。
初版の刊行以来二十五年の時を経ても、その真摯な思いは、いまだ変わらず読む者の胸を打つ。今回、「まだ見ぬ子」清子さんの結婚を機に、夫人による新原稿を加え、装いを新たに刊行。』とありますが、その内容は最後にお話ししたいと思います。
さて、それでは先ずお釈迦さまのお話しの続きです。前回にもすでにお話ししたように苦行者の言葉に疑問を感じたシッダールタは、日毎に、たった一度しかない人生をどう生きるべきか、と云う命題に真剣に取り組むようになっていきました。しかし、そのようなシッダールタの様子を見て、一番心配したのは、父のシュッドーダナ王でした。父王にしてみれば、自分の後継者と決めていたシッダールタが、来る日も来るも、暇さえあれば、静かに物思いに耽っているのが、気になって仕方がありませんでした。そのようなシッダールタの物悲し気な姿を見るにつけ、父王は王子シッダールタが生まれた時の、アシダ仙人の言葉を思い出したからです。
それにつき「大荘厳経」によると、当時のインドの上流階級では、子供が生まれると、必ずその子の将来を占ってもらう、と云う事が習慣になっていました。父シュッドーダナ王は、その習慣にしたがって、シッダールタが生まれると、有名なアシダ仙人を城中に招き、シッダールタの将来を占ってもらいました。
ところが、シッダールタを一目見たアシダ仙人は、突然泣き出してしまったのです。驚いたのは、父王を始めその場に居合わせた側近達です。
子供の将来を占うことでは有名な、アシダ仙人が、シッダールタの顔を一目見るなり、いきなり、涙を流して泣き出してしまったのですから、もしかしたらシッダールタも、母マーヤ様と同じように、間もなく死んでしまうのではないだろうか、或いは、想いも寄らぬ不吉なことが起こるのではないだろうか、と、とても心配になりました。父王シュッドーダナや、その場に居合わせた人々が、固唾を呑んで見守っていると、やがて気を取り直したアシダ仙人は、涙を拭い静かに話はじめました。
『突然涙を流したりして、ご心配をおかけいたしました。王様をはじめ皆様は、さぞ驚かれた事でしょう。でも、ご安心ください。決してシッダールタ王子様の将来に、不吉なことを予見したり、不安を感じたりして、涙を流したのではありません。
むしろ、その逆で、このシッダールタ王子様は、一目で将来、素晴らしい大王になられるか、歴史に名を残す偉大な宗教家になられる。と云う最高の相をしておられるのです。その相とは、昔から三十二相と云う大人(たいじん)の相で、それに加えて、さらに八十種の好相までも備えていらっしゃいます。シュッドーダナ王様、私もこのような、三十二相と八十種を働えた方に、実際にお目にかかるのは初めてですが、私の見たところ、この王子様は、将来≪大王≫になられるよりも、出家をされて、人々から「偉大な仏」として崇められるようになられる方だと思います。
そう思うと、あと三十年もすれば、二度と現われないかも知れない「偉大な仏」にお目にかかれると云うのに、私は、余りにも歳を取り過ぎてしまいました。
もう少し長生きできれば、このアシダ仙人も、立派な仏にお目にかかれると云うのに、悲しいかな、それは、とても不可能なことです。その事を考えると、悲しくて、情けなくて、思わず涙をこぼしてしまったのです。』
そう云って涙を拭うと、アシダ仙人は、シュッドーダナ王をはじめ、その場に居合わせた人々に、やがてシッダールタがなるであろう「仏」について静かに語り始めました。≪シュッドーダナ王をはじめ、お集まりの皆さん。我々人間は、その一生を迷いや苦しみにさいなまれながら、過ごさなければなりません。しかしこの「仏」は、そう云う我々に、迷いや苦しみを乗り越えて生きる道を示して下さるのです。とかく我々人間は、すぐに欲望の虜になって、それに溺れ、しがみつき、その魔力から離れがたく、常に醜い姿をさらけ出していますが、「仏」は、その愚かな我々の心を縛り付けている縄を、優しくほどいて下さいます。
我々の心には、迷いの毒が塗り込められた箭(や)が突き刺さっています。その我々につき剌さっている毒箭(や)を「仏」は抜き取ってくださるのです。
その「仏」がこの世に出現されるのは、丁度、優曇華(うどんげ)が三千年に一度花を咲かせるようなもので、このような事は、滅多に起こることではありません。
それなのに、その時が間もなく来るというのに、私、アシダ仙人は、その「仏」の有り難い説法を聞くことも、その「仏」に出会うことさえも出来ないのです。≫
この時のアシダ仙人の言葉を思い出したシュッドーダナ王は、その時のアシダ仙人の予言が、現実にその通りになりつつあるのを感じていました。
王子シッダールタの、日々「沈思黙項」するその姿には、やがてアシダ仙人の予言どおり、城を捨て、世を捨て、出家の道を選び、やがて一歩一歩「仏」へと近づいて行くに違いない、としか思えない程の真剣さが漂っていました。
シュッドーダナ王にしてみれば、自分の後継者として期待していた、息子シッダールタが、手の内からどんどん遠ざかって行くようで、気が気ではありません。
シッダールタが十二才になった時のことです。父シュッドーダナ王は、シッダールタの気分転換になればと、王子と釈迦一族の子供達を引き連れ、田畑で働く農村の人達の、労働作業を見学に行きました。そこで働いていた人達は、王子達一行と異なり、暑い日中ギラギラ照りつける太陽の下で、汗と泥にまみれ一生懸命に働いています。また使役に使われている牛達は、少しでもノロノロすると激しくムチ打たれ、一瞬たりとも休むことが許されません。
そして、農夫と牛達によって耕された土の中から、やっと顔を出した虫達も、その農夫と牛達が居なくなった途端に、空から舞い降リてきた鳥に、ついばまれてしまいます。
シッダールタにとってこの情景はショックでした。この有様を、じーっと見ていたシッダールタは考えます。
≪人も牛も虫達も、このように苦しんでいるのに、来る日も来る日も、毎日じーっと耐えるだけで、どうして、自らこの苦しみの淵から逃れ出ようとしないのか。≫
シッダールタの心に、また新しく≪生・老・病・死≫の重い命題がのしかかって来ました。・・・人は、なぜ、生まれて来たのだろうか・・・。
いったい何をする為に、この世に生まれて来たのだろうか・・・。
人は皆、せっかく生まれて来たのに、なぜ、このように苦しみ、病気になり、やがて全ての人が死ななければならないのだろうか・・・。
シッダールタの考える日々が続きます。
やがてシッダールタは、十九才になりました。
そこで、父シュッドーダナ王は、少しでもシッダールタの心が休まればと、三時殿と呼ばれる別宮を建ててやりました。一つは冬用の「温暖の宮殿」で、もう一つは夏用の「清涼の宮殿」で、三つ目が春と秋の季節に使う「不寒不熟の宮殿」でした。三つの宮殿の広い園には、それぞれ池や沼があり、種々の美しい花ばなが咲き乱れ、この上ない快適な暮らしをさせれば、少しは気も紛れて、昔アシダ仙人が予言をしたような、出家をすることも無くなるかも知れない、と考えたのです。
さらに、シュッドーダナ王は、念のため大臣や親族を集め、シッダールタの引き止め工作の会議を開きます。その結果、シュッドーダナ王はシッダールタに嫁を迎えさせる決心をし、シッダールタに、どんな女性が良いかをたずねました。
最初からまったく結婚する意思がなく、返事を渋っていたシッダールタは、周囲のあまりの熱心な勧めに、やっと七日目に次の条件を付けて結婚を承諾しました。
その時の選妃の条件は「大荘厳経」に「凡女を以て妃と為すべからず・・・・・。」と
して書き出されていますが、その内容は次の様なものでした。
≪年齢はうら若く、身だしなみにも厳(おご)そかさを備え、美人だからと云って「ツン」とせず、人に対して労を惜しむことなく、ねたむことなく、さらに、へつらうことも、あざけったりすることもない女性であること。健康で実直で、心やさしく、人々を憐れむこと自分の子供に対するようで、必要とあれば、惜しげもなく人に与えることを好み、人間的に過失もなく、僧侶・バラモンにも進んで供養の出来る女性であること。心に、少しも邪心がなく、常に心静かで、決して出しゃばったりせず、食事や遊技に対してもガツガツすることなく、常識をわきまえ恥を知り、物を損なうことのない女性であること。
また、外道に走ることなく、常に真実で正しい教えに耳を傾け心をよせて、それを実際に行動に移し、言葉に現すことの出来る女性でなければならない。
さらに、心に想うことはいつも清浄で、周囲に気配リを怠らず、やること為すことが常に正しく、人々に善行を行なえる女性でなければならない。
そして、義父母には実の父母のように仕え、周囲の人々に対しては、自分自身を愛し慈しむように接し、夫より先に眠ることなく、夫より先に起き、すべての義理を理解し、決して欠かすことのない女性こそが、私の妃の条件である。≫
シッダールタは大変な条件を出したものです。このシッダールタの出した、選妃の条件を聞いた係の大臣は、早速父王シュッドーダナの所へ報告に行きます。
シュッドーダナ王は、この選妃の条件を城内に布告し、バラモン・クシャトリヤ・バイシャ・シュードラなど各階級の中から広く妃候補を探し求めました。
この話を聞いた五百人の娘の親達は、シッダールタ王子の出した条件を見て、こんな娘などこの世にいるはずがない、これではうちの娘などは、とてもシッダールタ王子の妃になどなれるはずかない、と、内心秘かに期待していた人々も口々に諦め顔で云いました。これではシッダールタの妃はなかなか決まりません。
一方≪本行集経(ほんぎょうじつきょう)≫によりますと、この様な状態を心配をしたシュッドーダナ王は、一計を案じ、重ねて次のような布告を出しました。
『今より七日後に、わが子シッダールタ太子が、シャカ族の女達一人一人に、直接すてきな品物をプレゼントをすることになった。さあ、城中の女達よ、一人残らず七日後にわが宮殿の門の前に集まりなさい。』と。
やがて七日目になりました。シッダールタは、王宮の門の前に出て、女達を迎えます。
しかし、執杖(しゅうじょう)と云う大臣の娘「ヤショーダラ」だけは、出席しようとはしませんでした。父に促されてようやく宮殿まで足を運んだ「ヤショーダラ」は、シッダールタに対し、まるで旧知の間柄であるような、なれなれし過ぎる程の不孫な態度で接します。この様に「ヤショーダラ」は、シッダールタが出した妃の条件には、程遠い女性でした。しかし、結局シッダールタは、この女性と結婚しますが、のちに出家をする際、置き去りにされ、一人息子のラ一フラと共に、やむなく別れることになります。
結婚から十年目に、妻であるヤショーダラや、一人息子のラーフラとも別れ、意を決して出家した原因の中の一つに、覚りの真理を求める為だけでなく、自分の意に沿わなかった妻ヤショーダラとの、性格の不一致もあったのではないか、と考えられています。
こうして見てくると、若き日のお釈迦様も、私達と同じように数々の問題を抱え、悩み苦しんだ、と云うことが良くわかってきます。
それだからこそ、私達凡夫の心がわかり、すべての人々を導く、数々の有り難い教えを残して下さることか出来たのでしょう。私達も一人一人、この貴重な御教えを、心して大切にしたいものです。
では初めにお約束した『飛鳥へ、そして、まだ見ぬ子へ』のお話しに入りたいと思いますが、まず最初に、今回なぜこの本を選んだのかをお話ししておきたいと思います。
と、言うのは、若くして片足を肉腫のため失った医師の妻と子と、そしてやがて生まれてくる自分の子に会いたいけど会えない自らの命の期限の非情さに涙するこの本の主人公と、生まれたばかりの釈迦の姿を見て涙したアシダ仙人の姿が重なって見えたからで、まだ見ぬ我が子のために書き残した遺稿を元に出版された本だったからです。
そして最初にも書きましたが、この『若き医師が、死の直前まで綴った愛の手記』を読んだ≪納棺夫日記≫の「青木新門氏」をして、読み進むうちに、涙で目がくもり読めなくなった・・・。と、読後の感想を述べられた『飛鳥へそしてまだ見ぬ子へ』の著者の≪はじめに≫から読んでみましょう。『まもなく私は死んでゆかねばならない運命にあるのだ、と知ってから、ずっと考えていたことがありました。それは、私が三十年余り、ここに生きたという証であり、私のために泣いてくれた人々への私の心からのお礼の言葉であり、そして何も知らない幼いふたりの私の子供ヘ与えうる唯一の父親からの贈り物で、私の心の形見になると思ったからです。‥・』と書かれています。
それにしても巻末に記された、奥さん≪井村倫子さん≫の『祈りをこめて』を読むとひとしお胸にひびくものがあります。では、その中の一部を書き抜いて見ましょう。
≪祈りをこめて≫より・・・『亡くなった主人は「あと十年もたてば、この病気だって、たいした病気ではないんだが…」と、右足切断の際、申しておりました。勝ち目のない戦、それでも愚痴一つこぼさず、悔やみごとも言わず、周りの人達に最後まで気をくばり、いつも目には微笑みをたたえ、しかも歯をくいしばって、生命尽きる日まで頑張って生き抜いた主人。(・・・中略・・・)しかし普段とは違う陽気に振る舞う主人の態度に≪再発、再発したのだわ・・・・・≫と病気の再発を疑った時、訪ねてきた彼の末弟「和博氏」は、しばらくためらったあと、黙って主人からの一通の手紙を差し出しました。それを読み進むうちに私の頭の中は空白になり、≪再発、三、四ヶ月の命、再発、あと三、四ケ月の命…≫それだけをうわ言のように繰り返し、最後まで読みとおすことはできませんでした。というのも、右足を切断して間もなくのころ、≪これで再発したら三、四ケ月の命だなあ≫と、彼がつぶやいていたからです。
(注:彼は医者でしたから・・・・・)
私は勤務先の院長先生に手紙を書きました。主人が再発したこと、ぜひともお力になっていただきたいこと、そして、このことは夫には内緒にしてほしい…。という趣旨の手紙です。けれどもいざポストの前に立ちましたがついに出さずじまいでした。
それからというものは、仕事に出かける彼を見送ったあと、泣いて暮らす毎日でした。
娘の飛鳥が起きてきて「マンマ、マンマ」とむずかる姿が哀れに思え、いっそう涙にくれるのです。夫が帰ってまいりますと、残されたわずかな時間を少しでも多く「父娘」で過ごさせようと、叱ってでも「パパのところへ行きなさい」と言ったものです。
亡くなる一週間前でした。胸水がたまりはじめると「写真を撮ってちょうだい」と、私にたびたび頼むようになりました。お葬式に飾る写真だというのです。あまりにも落ち着きはらった彼の態度に、私はさびしさで彼の目を見つめるのが精ー杯でした。
時の流れは、はやいものです。
写真を指さして、「パパ、パパ」とはしゃいでおりました長女飛鳥も、主人の遺志によって私家出版させていただいた『ありがとうみなさん』が上梓(じょうし)される昭和五十四年の初夏のころになると、「パパ、いない‥・」と、片言を話すようになっておりました。また、彼が待ち望んだ“祈りの子”清子(せいこ)も生まれ、小さな両手両足を力いっぱいふるわせて、生命の証しをみせておりました。
それにつけても思い出すのは、私が二人めの子どもを身籠ったことを知ったときの主人は、まるで勇者のようでした。目は輝き、何事にも恐れない武者そのものでした。
私はお腹の子に向かい、『あなたが生まれてくるころには、もうパパはいないね』と、涙をこらえることはできませんでした。
主人が残された数ヶ月の命を立派に生き抜いたことは、私たちの二人の子どもに、いえ、生ある者への一つの贈り物だと思います。二人のこどもに言いましょう。
『あなたたちのお父様は、病気に負けたのではありませんよ。医学のカが及ばなかったのです。最後まで負けなかったのですよ』と。
そこで最後に、この父が書き残した『ふたりの子供たちへ』を読んでみましょう。
『心の優しい、思いやりのある子に育ちますように。
悲しいことに、私はおまえたちが大きくなるまで侍っていられない。私の右膝(ひざ)に発症した肉腫(にくしゅ)は、私が自分の片足を切断する手術を希望し、その手術が無事に済んだにもかかわらず、今度は肺へ転移した。肺の中で増殖しはじめたその肉腫は、懸命な治療に対してそれを嗤(わら)うかのように広がりつづけ、胸を圧迫し呼吸を苦しめる。もうあとどれだけも、私はおまえたちの傍(そば)にいてやれない。こんな小さなおまえたちを残していかねばならぬのかと思うと胸が砕けそうだ。
いいかい。心の優しい、思いやりのある子に育ちなさい。そして、お母さんを大切にしてあげなさい。お母さんはどんな苦労も厭(いと)わなかった。そして私にも、心を尽くして親切にしてくれた。(・・・中略・・・)サン=テグジュベリ(注:星の王子様の著者)が書いている。大切なものは、いつだって、目には見えない。人はとかく、目に見えるものだけで判断しようとするけれど、目に見えているものは、いずれは消えてなくなる。
いつまでも残るものは、目には見えないものなのだよ。人間は、死ねばそれで全てが無に帰する訳ではない。目には見えないが、私はいつまでも生きている。おまえたちと一緒に生きている。だから、私に逢いたくなる日がきたら、手を合わせなさい。そして、心で私を見つめてごらん。(・・・中略・・・)思いやりのある子とは、まわりの人が悲しんでいれば共に悲しみ、よろこんでいる大がいれば、その人のために一緒によろこべる人のことだ。思いやりのある子は、まわりの人を幸せにする。まわりの人を幸せにする人は、まわりの人々によって、もっともっと幸せにされる、世界で一番幸せな人だ。だから、心の優しい、思いやりのある子に育って欲しい。それが私の祈りだ。
---≪さようなら。≫---
私はもう、いくらもおまえたちの傍(そば)にいてやれない。おまえたちが倒れても、手を貸してやることもできない。だから、倒れても倒れても自分のカで起き上がりなさい。
---≪さようなら。≫---
おまえたちがいつまでも、いつまでも幸せでありますように・・・。》
≪雪の降る夜に・・・≫---父より---
≪この感動の書は、大人も子供も、ぜひ全文を読んで欲しい一冊だと思います≫
最後に、この本の著者『井村和清先生』のご冥福と、ご家族の御多幸を祈ります
厄除け厄払いお祓い除霊護符呪詛返しの未勒館「密教と四柱推命」
厄除け厄払いお祓い除霊護符永代供養呪詛返しなど未勒館に!密教の加持祈祷・供養「四柱推命」
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