【平成二十一年九月】の定例法話会・テキスト
『如何に生きるか』を求めた釈迦
《人生とは、正しい地図と、正しい磁石を持ち、森の中を迷わず歩むことです》
〈お釈迦さま‥・その3〉
ついに国民の審判が下った。戦後の日本列島にどっしりと根を下ろしていた巨大な山がついに動いた‥・。 と云うより、その巨大な山が激しい土石流のように崩れ去ったと言うほうが正しいかも知れません。これは、まさにオバマ米大統領の言う≪チェンジ≫が、日本でも劇的に起きたのです。 これは民主党にはオバマ流≪イエス・ウイキャン≫であり、あとは同党の掲げた、マニフェストの誠実な実行力の推移を注意深く見守る事が大切でしょう。
今回の選挙に対するマスコミ側の反応は種々さまざまですが、9月3日の読売新聞の「編集手帳」に政変の核心をつくと思われる、次のようなコラムが載っていましたので、その一部を転載してみますと『◆政権交代を後押ししたのは官僚不信の猛火であり、火元をたどれば年金の社会保険庁とともに事故米の農水省に行き当たる。業者の不正を告げる情報を握りながら大甘の検査で見過ごした無気力な仕事ぶりに、あきれた方は多かろう◆昨年9月に(事故米不正の責任を取って)引責辞任した農水省の前次官が、省所管の社団法人会長に就任した。謹慎の心はどこへやら、民主党政権が発足する前に駆け込みで天下リとは、もらい火で焼け落ちた自民党もなめられたものである◆戯(ざ)れ唄(うた)に≪小言聞くときゃ頭をお下げ 下げりや意見が通り越す≫とある。通り越したと読んだのであれば、了見違いだろう。霞ヶ関の受ける荒療治が、もっと手荒くなるだけである。』とありますが、あとは政権を取る民主党のお手並み拝見でしょう。
このように、今月の法話会テキストの冒頭から、政治の話になって恐縮ですが、私達は、今、戦後初の本格的政権交代の場に立ち会っていると思ったからです。
確かに今までも一時的にしろ自民党が野に下ったり、主導権を他党に渡したこともありましたが、おしなべて戦後政治は自民党政治一色でした。
その四十数年の長い歴史を振り返って見ますと、その中でも最も印象に残るのは、戦後処理と日本再建と云う、重要な責務を断行された吉田茂元首相以来、今日まで実質的には、本格的な政権交代は無かったと云っても過言ではないでしょう。ところが、その吉田茂元首相の孫であリ三代目にもあたる麻生太郎氏の代で政権を明け渡すことに、何か不思議な縁(えにし)を感じるからです。
と言うのも、かつて幕末の維新政治の要職にあった大久保利通からみると、元首相の吉田茂氏の奥様は孫に当たりますので、間接的ではありますが吉田茂氏は大久保利通の三代目、そのまた孫の三代目が麻生太郎氏であり、しかも、元首相吉田茂氏を支えた白洲次郎氏も実家は倒産したが三代目、その妻正子さんも同じく実家が倒産した三代目だと云うのも誠に不思議な因縁を感じるのです。
しかし、ここで考えなくてはならないのは、同じ三代目でも、その結果がそれぞれ全く違うと云うことです。これも仏教で云う「因・縁・果」が示す因果律そのもので、人生は決して諦めず与えられた事への努力と実行力が肝要なのです。
すなわち、先ほどお話ししたように、先々代からの社会的な信用と影響力をそのまま活かし、さらに社会に貢献した者もあれば、先代の時代で家業は破綻し倒産の憂き目を見ながら、たまたま訪れたチャンスと自分の持つ能力を最大限に活かし、世界を相手に活躍した白洲次郎、正子夫妻のような例もあります。
これらの成功例の傾向を見てみますと、何れも自己の主張は相手にきちんと伝え、しかも、必ずしも有利な立場にはないにもかかわらず、白洲次郎氏らしい自己流のプリンシプル(原理・原則主義)をきちんと貫き、堂々と正論を相手に伝え主張していたのです。
ちなみに日本のケネディ家とも言われる超上流階級の鳩山家は、永田町でもその莫大な遺産を引き継いだ資金力に加え毛並みの良さでも右に出るものはなく、今回首班指名を受けて総理大臣にまで登りつめた鳩山家の長男、鳩山由紀夫氏は曾祖父和夫氏からみて政界四代目になるわけで、と云うのも曾祖父の和夫氏は明治維新後に政界入りして衆議院議長を勤め、祖父の一郎氏は初代の自民党総裁で、父の威一郎氏は、福田(父)内閣で外務大臣を務め、夫人はブリジストン創案者の石橋正二郎氏の長女・安子さんと、まさに華麗なる一族と言うべきで、当分はその御曹子のお手並み拝見と云うことで、結果はどうなりますか‥・?
ところで、そろそろ本題のお釈迦さまのお話しに入りたいと思いますが、まず最初に、お釈迦さまの教えの核心を説く般若心経にある、こだわり即ち執着を捨て≪あるがものを、有るがままに見よ≫に関連する禅の教えから始めましょう。
『ある人が高名なお坊さんと一緒に街を歩いていたところウナギを焼くいい香りがしてきました。「うまそうな香りですナ」と坊さんがいいましたので、この人は「悟ったような顔をしていてもこの坊さん、大したことはない」と思ったのでしょう、しばらくして、やはり何かワケがありそうだと思い、これは聞いておいた方がよかろうと、「和尚さん」「何ですか?」「さっき和尚さんはウナギのにおいがしたときうまそうだナとおっしゃったが‥・」、みなまでいわせず坊さん、「ハハァ、あなたはまだウナギ屋の前にいるんですか?」と言ったそうです』坊さんのいわんとするところは何でしょう?(PHP文庫・洞察力より) 皆さんはどう受け止めますか?禅には他にも同じような話があります。
それは『ある時、修行中の若い雲水(うんすい)が、先輩のお坊さんに「さっき嗚った鐘の音はどこへ行ったんでしょう・・・?」とたずねました。すると、その先輩の坊さんは、「よしわかった、それじゃその鐘の音をここへつれてこい、そうしたらその鐘の音にどこへいっていたのか聞いてやろう」と言ったのです』これを禅では公案(こうあん)(素直に考える)と言いますが、先のウナギ屋の件は、時間的にはすでに過ぎ去っていますが、物理的にはまだ存在します。従って時間的には戻れないとしても、物理的にはウナギ屋の前まで戻りその「うまそうな香り」を嗅ぐことは出来ます。しかし、二番目の鐘の音は、すでに時間的にも物理的にも元へ戻すことは出来ません。これらはすべて執着と云う、物事にこだわる心の働きから生まれます。そしてその物事に対する執着する心が苦を生むのです。
お釈迦さまはこの苦をふくむ≪生・老・病・死≫の『四苦』の真理を明らかにされるために、王子としての恵まれた立場を捨て出家をされたのです。
それでは今回から、お釈迦様がこの世に、お生まれになった時のお話しです。
お釈迦様は、今から約二千五百年前の紀元前四百六十三年の四月八日に、現在のネパール国ルンビニー園で、カピラ城の城主「シュッドーダナ王」の第一王子としてお生まれになりました。
出産の日が近づいたマーヤ様(摩耶夫人)は、シュッドーダナ王(ネQ飯王)の許しを得て、釈迦国の首都のカピラ城から、里方でもある生まれ故郷のコーリヤ国へ帰る途中の四月八日早朝、アショーカの花が咲き誇る水の美しい『ルンビニー園」でお休みになっている時、急に産気づきシッダールタ(後のお釈迦様)がお生まれになりました。
お生まれになったばかりのシッダールタは、すぐに七歩 歩いて天と地を指し示し「天上天下唯我独尊」と云われました。その時、ルンビゴーの園は、一面に花ばなが咲き乱れ、全ての生き物たちは跳びはね、はしゃぎ回り、鳥は空高く舞い上がってさえずり、天の龍は王子の誕生を祝って甘い雨を降り注いだと云われています。 (これが四月八日の花祭りで誕生仏に甘茶をかける行事になったのです。)しかし、この喜びも束の間で、思いもかけない事が起こりました。
それはシッダールタが生まれて七日目にお母様のマーヤ様がこの世を去ってしまわれたのです。これはシッダールタにとって最初の悲しい出来事でした。
この事があって、やがてシッダールタは成長するにつれ、母マーヤ様がこの世を去ってしまわれたように、いづれは自分もこの世を去らねばならない定めである。と云うことを感じるようになりました。
これは誰もが逃れる事の出来ない掟であり、人がこの世に生まれ出た瞬間に、否、もっと厳密に云うと、私達が母の胎内にその生を受けた時から、既に決められていた紛れもない真実であり、全てのものは必ず移り変わると云う「諸行無常」の真理なのです。つまり、この世に生を受け生まれたものは、それが、たとえ人間であろうと、動物であろうと、或いは、小さな虫でも、野の草でも、森の木でも、やがては必ず死を迎えなければならない、と云う事実を若きシッダールタは知ったのです。
この世の無常を感じたシッダールタは悩みました。でも、やがて来る死を恐れたり、悲しんだりして悩んだのではありません。
シッダールタは、自分がこの世に生まれて来たと云う事は紛れもない事実であり、その自分が、やがてはこの世を去らねばならない。と云う事もまた明らかな真実として、母の死を通じてすでに知っていました。
若きシッダールタが悩んだのは、人間が生まれて来たのも、やがては死んで行くのも疑いのない事実であり、明らかなる真理である事は判っているが、一方、私達人間にとって最も大切な、生まれてから死ぬまでの過程の真理や教えが、今まで何一つとして、はっきりと示されず、明らかにされていないと云う事だったのです。 シッダールタにとっては、「生」と「死」の二極点が、如何に明らかであったとしても「この世に生を受けた時の点」と「やがて迎えるであろう死の点」との間を結ぶ「線」としての道程を、自分がどう生きるかと云う、最も大切な課題が明らかにされない限り、このまま恵まれた環境に甘んじていて、果して良いのだろうか。と次第に真剣に考えるようになっていったのです。
シッダールタは、このような哲学的に物事を考える事は、決して嫌いではありませんでした。それどころか、むしろ、この世の「全ての生あるものの命」の誕生のチャンスは、一生にたった一度であり、しかも、その大切な命はたった一個しかないのだ。と云う絶対に否定の出来ない真実の真理を追及したり、人はその一生をどう生きればよいのか、と云うことを真剣に考えるのが好きでした。
この世に生を受けたものは、やがて必ず死を迎えなければならない、それが、この世の生きとし生けるもの全てに対する、自然の哲理であり、野の草花が、種から芽が出て、やがて花が咲き、実を結ぶと云う自然の掟に対して、一生懸命に従っているのに、人間だけがなぜ正しい心の種から、正しい芽を出し、美しい花を咲かせ、そして社会に役立つ立派な実を結ぶと云う、自然の摂理を百も承知しているにもかかわらず、時には花どころか、芽さえも出さないうちに、慌てて一花咲かせようと先を急いだり、その反対に智恵も出さず、努力をするでもなく、只、惰性でだらだらと生きようとしているのだろうか。 と云う疑問が、日を追ってシッダールタの心の中に、深い霧のように押し寄せて来ました。
シッダールタは、このような疑問を抱え、以前にも増して益々物思いに耽り、人々の生き方を通して、次第に人間の愚かさを考えるようになっていきました。
さらにシッダールタの思考する日々が続きます。その姿を見て、父シュッドーダナ王や、新しい母マハープラジャーパティは、秘かに心を痛めていました。
シッダールタは、日毎にたった一度の人生を、「生」と「死」との間の、大切な時間を人間はどう生きるべきかを、真剣に考えるようになっていきました。
人は誰でも、一人一人別々にそれぞれの人生という道を歩いています。
ほとんどの人が、心の中では迷いながらも、必死で歩いています。
もしかしたら、この道は間違った道かも知れない、と云う不安と恐れを抱えながらも、もしかしたら正しい道かも知れないと考えながら歩いているのです。
しかし、知らないからこそ、多少の不安を感じながらも歩いて行けるのです。
しかし、自分の行く先に、一体何かあるのだろうか、本当にこの道を進んで大丈夫だろうか、誰もが、不安と期待でいっぱいの道を進んでいるのです。 まさに、人の一生は、筋書きのない「ドラマ」です。
しかし、この道は実は間違っていた、危険な道だった、と感じた時には、すでに遅いのです。
シッダールタは考えます。「たった一度の大切な人生を、このような過ごし方をして、果して良いのだろうか。」そして自分自身に問いただします。
『自分は一体何のために、この世に生まれて来たのだろうか・・・。』
『自分は何をするために、今この世に生きているのだろうか・・・。』
『自分にこの答えを教えてくれる心の師は、一体誰なのだろうか・・・。』
しかし、いくら考えても分かりません。そのシッダールタにとって、只一つ、目的も使命感もなく生き、何もせずに一生を終わることが、誤った生き方だと云うことだけは、ハッキリと分かっていました。
あるときシッダールタは、修行者の集まっている苦行林へ行き、苦行を続けている一人の修行者に、何のために苦行を続けるのかと尋ねます。
すると、その苦行者は、来世に生まれる為だと言葉少なに答えました。
シッダールタはその答えを聞いて考えました。
この苦行者の、この世を生きる目的が、ただ来世に生まれたい為だけの苦行だとすれば、今現在を、この世を生きている彼等の人生とは、一体何なのだろうか。
そして、もし万が一、その連続した苦行の結果、運良く来世に生まれる事が出来たとしても、又次の世に生まれるために、更に来世でも苦行を続けなければならないではないか。もしそうだとすれば、彼等には今の世も、次の世も、そして、その先の世も、永久に「苦行」しか存在しないと云うことになり、ほんの一時の安楽さえも有り得ない事になるではないか。
シッダールタは想います。これが果して真実真理を求める道なのだろうか、或いは彼等にとって苦行もそれが彼らの哲学であり宗教なのだろうか。もし、そうだとすれば、彼等には来世を生きる期待はあっても、今現在を、そしてこの世の生から死までの間の、この時間をどう生きるかと云う、人間として最も大切な命題が欠けているのではないのか。仮にこれが彼等の真実真理を求める道であり、宗教であり哲学であるとすれば、きっと、この苦行の指導者の、ただ来世に再び生まれる為だけに苦行を続けると云う、誤った教えによって数多くの修行者達が、出口のない、しかも終わりのない無意味な修行の道へと入り、結果として、更に新たな苦行者が次々と増えて行くに違いない。
シッダールタは、この苦行者の言葉や行為を通じて、誤った宗教や間違った指導者が人の心や社会に与える影響の恐ろしさを、身をもって知ったのです。
現代でも、このような誤った指導者に導かれ、多くの人が誤った道を歩いて行く人が大勢います。しかも、悲しむべきと云うか‥・、恐ろしいと云うべきか‥・、人々は盲目的にそれを信じ、只ひたすら迷いの道、偽りの道へと深く入り込んで行きます。 このような事は、私達の身の回りにも数多く有ります。
これらは、全て仏教で云う「無明」から起こることで、それは、無知なる者が誤った地図を持ち、しかも、それを信じ切って深山幽谷の深い山奥への道を、たった一人で入るようなものです。
ところで、最初に禅の問答の例題として借用した「洞察力」の序文から、現在、皆さんと共に法話会で勉強している般若心経の参考にもなればと、重ねてその一部を参考に引用させて頂き、次のように掲載させていただきました。
『これを書いた頃は、ちょうどお釈迦さまの哲学を解くカギをみつけて、「法華経」と取り組んでみようという気をおこしていたときです。何故そうなったかといいますと、その前に、1930年代に量子力学という極めて独創的な仮説を作った天才的物理学者、ボーアとか、ハイゼンベルクという人たちが「仏典」をよく読んでいたということがあり、これは私の推測にすぎませんが、この物理学者たちが、自分の仮説を敢然として≪正しい≫と主張した陰には、お釈迦さまの≪洞察力の原理≫があったのではないかと直感したからです。 ・・・中略・・・
お釈迦さまは国王の王子として生まれ、何不自由ない生活をしていましたが、あるときガンジス河が大洪水を起こし、たくさんの人々が家を失い、けがや病気に悩まされているのを見て、何とかこれを救いたいと思いました。もちろんできるだけのことはしたのでしょうが、いくら王子の身であってもできることには限りがある。もっと徹底的に人々をして安心立命の境地を得させるにはどうしたらいいか?と考えたのだろうと思います。
ですから、お釈迦さまは はじめは「西国」(中近東)の土木工学・医学を勉強したのだと想像できます。これは「問題解決には学問が大事だ」ということで、すでにお手本があるならば、それを習うのが早道であり、この方法をお釈迦さまは≪声聞道≫と名付け、先生の声を聞いて知識を増やすことと言いました。
ところが、それだけでは人々の抱えている種々雑多な悩みが解けないとなると、ここに「創造力」というものが必要になります。先生がいないのだから自分で考えなくてはなりません。自分のアイデアが頼りなのです。そして、そのためには、どんな小さな問題でも自分で解く練習をすることしかないのです。アイデアというものは、どうしてそのことに気が付くか自分でもわからないような性質のもので、しいていえば何かの≪縁≫で気付いたとでもいうようなものです。それでお釈迦さまはこういう練習の仕方を≪縁覚道≫と名付けたのです。
この二つの方法は現代語でいうと、問題解決は、@知識によって理詰めに考えること、A経験を役立てること、の二つになりますが、Aの方はさらに具体化しますと、自分のイメージを活用せよ、ということになるのです。これが右脳活用に他なりません。
『洞察力』は右脳活用の極致として現われる問題解決能力ですが、また、右脳というのは、「働かせよう」と意識したら働かないという厄介な性質を持つものです。そこが難しいところですので、非才を顧みず敢えて一文をものにした次第です。』と、著者の≪中山正和氏≫は書いています。
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