【平成二十一年七月】の定例法話会・テキスト
>『釈迦族』誕生の歴史とお釈迦様
≪釈迦は八十年の生涯で、人間は如何に生き、如何に死するかを示された。≫
〈お釈迦さま‥・その1〉
作家、五木寛之氏の『百寺巡礼全十巻』の、二十八番に、京都の当尾(とおの)台地にある「九体阿弥陀」で有名な≪浄瑠璃寺≫の項に、次のような部分があります。
それは『この世界が永久に続くと考えたとき、人間というものは毎日毎日の体験に感激をもてなくなる。また、自分たちが何でもできるんだ、自分たちのカで人生をつくっていけるんだというふうに考えたとき、人間というのは非常に傲慢になってゆく。人間は生まれる場所を選択できない。行き先も選択できない。その期間も選択できない。そう考えたとき人間は、与えられた人生というもののなかで、どう自分の一生を生きていこうかと非常に謙虚に考えるようになるのではないか。無力感よりはむしろそのなかでどう生きていこうかということを真剣に考えるようになるはずだ。そして、必死で生きてきた人間を、西方極楽浄土の阿弥陀如来が迎え入れてくれるというのが、仏教の偉大な物語だ。』
と書いていますが、ここに書かれているように、自らに与えられた人生を、真剣にそして必死に生きてきた人間が西方極楽浄土に迎えられるのです。そして、そのために、人間は如何に生きるべきかを示されたのがお釈迦さまなのです。
そこで、今回からお釈迦さまに関する基本的な御教えと、その一生について振り返って見たいと思います。
そこで、前回の「苦」に付いてのお話しに続いて、お釈迦様がブッダガヤーでお悟りになられた後、前正覚山で六年もの長い間、苦行を共にされた五人のお仲間に、サールナート(鹿野苑)で、初めて明らかにされた仏教の根本の教え「四諦八正道・十二因縁」の中の苦諦、いわゆる「苦の真実の真理」の教えについては、前回も簡単にふれておきましたが、しかし、お釈迦様のお説きになられた「真実の悟りの世界」への道は、「日は落ちて道なお遠し」で、私達が急いで理解しようと思っても、それはとても無理なことで、しかも、本格的な「真実の悟りの世界」への道は、人に教わったり本を読んだりしても、簡単に理解出来るものでなく、自分自身で体験し(お釈迦様や偉大な先徳の教えを追体験する)身体全体で感じ取り、ただひたすら、その教えを信じ切る事によって、初めて覚りへの道が開かれるものなのです。
しかし、この勉強会ではそこまで難しく考える必要はありません。ですから、難しいからとか、自分にはとても無理だからと言って、尻込みする必要はまったくありません。それは、仏教、とくに密教には「事相と教相」と云って、宗数的な部分と哲学的な部分があり、本格的に修行をする場合は、哲学的な部分の仏教理論と宗教的な修行を兼ねたきびしい「事理一体」の行が必要ですが、一般在家の方の場合は、そこまでは必要が無いからです。
従って、難しい哲学的な部分は、少しづつ、分かりやすくお話ししていくことにして、先ず宗教的な部分では、自分が天地自然の恵みを受け、今この世に生を受けていることへの感謝を忘れず、お蔭様でと云う素直な心で、神仏を信じきる事が大切です。しかし、仏教哲学の高度な理論はともかくとして、お釈迦様の教えの一番の基本である「四諦八正道と十二因縁」だけは、仏教のバイブルとも云われている、般若心経にも書かれているくらいですから、ぜひ学んでおかなくてはならない大切な教えです。
それでは「四諦八正道」についてお話しをしてみたいと思います。
先ず最初に、この四諦八正道の「諦(たい)」とは「明らかにする」と云う意味で、四諦とはその文字の示す通り「苦諦(くたい)、集諦(じったい)、滅諦(めったい)、道諦(どうたい)」の四つに分かれ「苦(く)、集(しゅう)、滅(めつ)、道(どう)」それぞれの真実の真理を明らかにすると云う、仏教では「十二因縁」と共に、最も根本的な教えだと云うことを知っておいて下さい。
お釈迦様は、最初のお悟りの中で「人生は苦である」と見極められ、その苦の実体を明らかにされました。それは「人間はその一生を通じ、思う通りにならない事は全て苦である」とお示しになられた真理です。
実際、あらゆることを含めて冷静に考えてみますと、本質的には、この世で自分の思うようになる事は、何一つ存在しないのと同じで、仮に、今自分の想う通りになっている事があったとしても、それは般若心経に「照見五蘊皆空」と書かれているように、最初から存在したものではなく、単なる一時的な現象として≪色(しき)・受(じゅう)想(そう)・行(ぎょう)・識(しき)≫の五蘊の集まりによって出来たもので、いずれは壊滅するか、消滅するものですから、それを持続させたい、或いは失いたくない、もっと欲しいと思う、執着する心の働きが、わざわざ「苦」の種を自らの手で造っている事と同じ、と云う事になる訳です。
この「苦」と云う心の働きの現象は、全て私達の心の「無知」から起こることで、この無知という人生の≪苦≫を形成する、心の働きの輪廻を、十二因縁で、< 無明(むみょう)、行(ぎょう)、識(しき)、名色(みょうしき)、六処(ろくしん)、触(そく)、受(じゅ)、愛(あい)、取(しゅ)、有(う)、生(しょう)、老死(ろうし)>として、お示しになられ、苦の真理を明らかにされたのです。私達凡夫はどんなに頑張ってみても、自分の一生を通じて知り得ることは極く僅かです。
まして全世界、全宇宙の真理と云う事になりますと、現代の最先端を行く科学のカをもってしても、今だ解明されていない事が数多く残されています。
しかも、お釈迦様がお悟りになり、私達にお示しになられた「真実の真理」は、深遠なる仏のお悟りの世界のことですから、私達凡夫の僅かな知識や知恵では、到底、計り知りえぬ程、奥が深く、簡単に到達できる世界ではありません。
それでは、なぜ我々凡夫には、この仏の教えである「真実の真理の世界」へ到達することが難しいのでしようか。
それは私達には、自我という厄介な心の働きがあり、とかく「私が」とか、「自分だけは分かっている」とか、自分を中心にして物事を考えさせてしまう所があるからです。
これは、昔ヨーロッパで大論争を引き起こした「天動説と地動説」の様なもので、自我が強く、何でも自分中心に物事を考える人は、自分と云う地球の周りを、宇宙と云う他の人が回っていて、少しでも自分の思うようにならない事があると、あの人の回り方が悪い、この人の進み方が気に入らない、と云って、怒ったり、喚いたり、或いは不平や不満を云って、人に逆らったりします。
しかし、これでは「ドンキホーテ」とおなじで、太陽が東から昇るのが気に入らない、夏暑くて冬寒いのは嫌だ、と言っているようなもので、これでは益々自分自身を「苦」の世界へ引きずり込んでしまいます。
このような人は、最初は一応人の話しや忠告を素直そうに聞いていても、やがて自我の心が頭をもたげて来ると「でも、自分はこう思う」と自分勝手に僅かな知識や経験をもとに、自分の考えを正当化し、しかも自分の考えは絶対聞違っていない、と云う錯覚をしてしまうからです。
お釈迦様は、如何に人より優れた学問や知識があっても、この様な心の状態の人を「声聞」や「縁覚」と云って、仏の悟りを得られそうで得られない人で、当分は菩薩への道はまだ遠いとおっしゃっていらっしゃいます。
私達にとって知ることが出来ない世界、あるいは知らない世界とは、自分にとっては存在しない世界と同じである、と云うことですから、今、お話しした「声聞」や「縁覚」のような人には、心の持ち方一つで仏の真実の悟りの世界も、仏それ自体の存在さえも無いと云う事になります。このように、自分の智の世界を広げることを妨げている、小さな自我、いわゆる仏の世界で云う「小我」は、仏への道を閉ざすばかりでなく、自分の世界をも狭めてしまうことになります。
一方「大我」と云うのは、仏の御心から出た大きな「我」ですから、自分だけでなく総ての人をと云う広い心を表していますので、自分だけ良ければとか、他人はどうなっても構わないと云うような、自分勝手な人に対しては、強い怒りを表します。それが密教の忿怒相の仏様達で、不動明王や愛染明王、降三世明王等の「五大明王」によって代表される仏様たちです。
大分お話しが難しくなってしまいましたが、それでは、お釈迦様がお悟りになられる前の、なぜ、王子様としての、恵まれた地位も、名誉もお捨てになり、わざわざ出家をされ苦行を重ねられたのか、と云う話しにさかのぼってみましょう。
先ず、お釈迦様のご出家に対する第一の疑問は、世界の数ある王子様の中で、どうしてお釈迦様だけが出家をされ、自ら求めて「前正覚山」での苦行を六年もの長い間お続けになられたのか」と云う事です。
しかし、それはお釈迦様一族の歴史をたどってみれば、やはり、私達と同じご先祖から引き継いだ宿業の為せる業であると云う事が良く分かります。
それでは、そのお話しを簡単にしてみましょう。
昔、インドのポータラ城に、オッカーカと云う王様がいらっしゃいました。
お釈迦様がお生まれになる、遥か以前のことです。
その王様の第一夫人の善賢に「長寿」と云う男の子がいました。国中で一番と云われるほどの可愛い子でしたが、身体が弱く、将来王になるのはとても無理ではないかと云われていました。
一方、第二夫人には聡明でしかも武勇に優れた「炬面」、「金色」、「象衆」、「別成」、と云う四人の男の子がいました。
しかし、何と云っても第一の王位継承者は、第一夫人の子、「長寿」です。それでも第一夫人の善賢は、自分の子「長寿」にかわって、第二夫人の四人の子の内の誰かが、次の王位に付くのではないかと不安でなりませんでした。
そこで第一夫人の善賢は、王様の愛を独り占めにして息子の「長寿」のことをお願いするしかないと考えました。ある日、王様のオッカーカが、第一夫人の善賢を尋ねて来たのを機会に、出来る限りの愛想を振りまきながら云いました。
「王様、私は貴方の第一夫人として身に余る寵愛を受け、幸せな日々を過ごさせていただいています。でもたった一つだけ望みが叶えられそうにない事があって、毎日不安で寂しい思いをしています。どうか私の願いを聞いてください。」と云いました。そこで王様が、その顔いとは一体どういう事なのか、とお聞きになりますと、第一夫人は「私の子「長寿」は、第一夫人の子ですから、当然貴方様の後を継ぐものと思っておりました。しかし「長寿」は、身体が弱く貴方の後を継げないかも知れません。それは、第二夫人の四人の子のうち、誰かが後を継ぐかもしれないからです。もしも、あの四人の子がいなければ、間違いなく私の子「長寿」が後を継げるのにと思うと、あの子が不憫で夜も眠れません。王様、何とかしてあの四人の王子達を、この城から追放していただけないでしょうか。」
そこで王様は「あの四人の子は、とても兄弟仲が良いし、それに優しい子達だから、お前の子を押し退けてまで、王位や国を奪おうなどと考えるはずがないではないか。」と答えました。この王様の言葉に対し、さらに第一夫人は続けて云います。「でも王様、私が心配しているのは私の子「長寿」の事だけではありません。あの四人の子は、とても人望があり、それだけに将来大きく成長した時には、それぞれの子に人々が別々に分かれてなびくようになり、それが元で争いが起こり、そうなれば、やがてこの国も滅びてしまいます。もうすでに、あの子達の人気と勢いを見ると、その兆候が現われ始めているではありませんか。」
この第一夫人の言葉に、すっかり乗せられてしまったオッカーカ王は、直ちに第二夫人の四人の子供達を呼び付け、国外追放を言い渡し、城から追い出してしまいました。しかし、その結果、王様にとっては、まったく計算外のことが起こったのです。それは、国外追放を言い渡された四人の王子達は、顔色一つ変えずに、素直に国外へ出る支度を始めたのですが、予定外の第二夫人やその姉妹に加え、バラモン・長者・居士・力士など、国中の有能な人達が、続々と自分達も王子と共に国を出るといい始めたのです。王様は困りました、しかし、一度命じた以上、今更取り消す訳にもいきません。行き先も定めず城を出ていく一行を、黙って見守るよりありませんでした。
やがて年月が過ぎ、オッカーカ王は、ふと自分が追い出した四人の王子たちの事が気になり、側近の大臣に彼らの消息を尋ねました。すると大臣の答えは「四人の王子達一行は、ヒマラヤの近くの舎夷林(しゃいりん)と云うところに城を築き、その土地はとても肥沃で、作物も豊富に取れ、しかも王子達の徳を慕って大勢の人が集まり、とても幸せに暮らしています。」と云う報告でした。これを聞いたオッカーカ王は、さすが我が子だ、良くやった、良くやった、良くやったと、三度も繰り返してお喜びなり、新しい、四人の王子達一族の前途を祝って、その名を「釈迦族」と名付けられました。
そして、この地が、やがてお生まれになるお釈迦さまの故郷となったのです。
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