【平成二十一年一月】の定例法話会・テキスト
『世界不況の原因は≪米国の金融崩≫だ』
≪アメリカ発の金融バブル崩壊は、若者言葉で言えば『メッチャ変』でしょう。≫
昨年、京都の清水寺の管主さんがお書きになった一年を表す一文字は『変』でした。
しかし、皆さんもご承知のとおり、この『変』一文字だけでは、とても昨年一年の出来事を吉凶合わせた乖離(かいり)(広辞苑・・・背き離れること。離れ離れになること)の本質を表すには程遠いくらいひどいものでした。しかも、この分離の意味をも持つ乖離(かいり)と云う言葉は『人心の乖離(かいり)とか、理想と現実の乖離(かいり)』と云う使い方もされます。
さしずめ、これらの現象は今の若者達の言葉を借りれば≪超変チョーヘン≫か≪メッチャ変≫と云うことにでもなるのでしょうか。それにしても、まったくひどい一年でした。
それは、世界中を巻き込み迷走した米国の証券バブルの崩壊が招いた、巨大な大型ハリケーンに地震と津波まで合わせて襲ってきたような猛威が、市場原理主義の名のもとに、世界中を深刻な経済不況に巻き込んだ張本人アメリカの弱肉強食の金の亡者達の自分達さえ良ければ、他はどうでもいいと云う自分勝手な利己主義的エゴから始まったものです。
これは『奢れる者は久しからず』と云う平家物語の冒頭のフレーズの中にある言葉どおり、市場原理主義的経済も、ついに自業自得で自らの足元に火が付いたのです。
それにしても、なぜ『原理主義』という名が付くと、イスラムにしても国際紛争にしても、経済戦争にしても、このような理不尽な争いや過当競争になるのでしょう。
これは、ある意味でアメリカ型経済原理の限界を示していると見れないこともないでしょう。と云うのも、かつて私がインドを訪ねたおり、動向の地元のガイドに現地の労働者達の仕事ぶりについて、次のように質問したことがあります。それは≪彼らはなぜあのように、「のんびり」と仕事をしているのか?≫すると彼は次のように答えたのです。≪それは、たとえば彼らの中で誰かが、一生懸命仕事をし過ぎると、他の働きたい人の仕事を奪うことになるからです。みんなで仕事を分かち合うため、そうしているのです。≫と云う平等と共存の他を思いやる博愛に満ちた返事が返ってきたのです。
それでも昨年の暮れには、街にはジングルベルが流れ、ベートーベンの第九交響曲のクライマックスである第四楽章の≪歓喜の歌≫の合唱がテレビから流れていました。ただし、今回の≪ジングルベル≫は、気のせいかも知れませんがアメリカの奢り高き一国主義崩壊への『レクイエム(鎮魂曲)の様に聞こえていたのは不思議な思いでした。なお、このレクイエム(鎮魂歌)と云う言葉を、広辞苑で調べてみますと≪カトリック教会で行われる死者のための鎮魂ミサ曲≫とあります。』何れにしても「ジングルベル」がこのように聞こえただけでなく、年末恒例のベートーベンの第九の合唱も、昨年は心なしか力なく弱弱しく聞こえたのは、私の気のせいだったのでしょうか・・・。もし、そうだったとすれば、私の余計な杞憂(きゆう)による取り越し苦労だったとして心も休まるのですが・・・。
それにしても、世界中を巻き込んだアメリカ発の不況の波は、依然として出口の見えない混沌の渦の中にあります。そこで少々気になる発言が、この八日、春闘を前に労使が労働条件のあり方を議論する「労使フォーラム」の基調講演で、日本経団連の御手洗富士夫会長は、労働者の労働時間短縮による雇用確保に改めて言及し、「雇用対策で労働組合と話したい」と呼びかけたのです。この日本経団連会長の、思いもかけぬ「ワークシェアリング発言」は、言うなれば、アメリカの身勝手な経済原理の崩壊による煽り(あおり)を食った日本経済の現状を露呈していると言ってよいでしょう。
このことは、先にも書いたように、すでにインドでは、はるか昔から、これと同じような仕事を独り占めせず、みんなで分かち合い、アメリカ型の互いに奪い合う行き過ぎた自由経済の市場原理主義や、反社会的な競争原理による醜い社会ではなく、仏教で云う「足るを知る」の心で、必要以上に財や物を求めず、自分の身の丈に合った精神的な豊かさを心掛け、互いに譲り合う心を起点とした共存と共棲(きょうせい)の社会を築いてきたのです。
ところが、このインド型の精神的崇高さに比べ、欧米型の経済のあり方の中でも、特にアメリカ型に特化して考えて見ますと、今回の「サブプライム・ローン」の出発点は金銭的に余裕がなく家を持てなかった黒人やヒスパニックなどの低所得層の人々にも、憧れのマイホームが持てると云う夢を持たせ、いずれ支払いが不能になると見越した上で、そこに付け込んだ無責任な業者たちが暴利をむさぼったあげく、その後始末を銀行に押し付けた結果として「サブプライム・ローン」の破綻から、ドミノ倒しのように世界不況は始まったのです。こうして「サブプライム・ローン」の債務者達の経済的破綻から回収不能になった債権を抱え込んだ銀行は、それを回収するための手段として、このもてあました不良債権を、他の複数の債権と混ぜ合わせ、中身のわかりにくい不透明な手段で、これを証券化と云う商品に仕立て上げ、利益のためなら手段を選ばずと云う証券会社や、欲の皮の突っ張った投資家達に、一見金の儲かる金融商品のようにオブラートで包んで中身をカムフラージュし、優良お買い得商品のように見せかけ売り出したのです。
しかし、買うほうは、ちょうど何の肉が入っているか分からない某国のギョウザやハンバーグのように、巧みに証券化した証券として、実体不明の証券を世界中に売りまくった結果、世界中が食中毒にかかり、不況という病気に感染し寝込んでしまったのです。
このような、身の丈を越えたマイホームの夢を持つ低所得者の弱みに付け込んだ、悪徳業者のカラクリ商法は、単にアメリカのサブプライム・ローンだけにとどまらず、世界各国の庶民が餌食になり、分不相応の泡沫(うたかた)の夢を見た人達は、ことアメリカだけに限らず、現に日本にも、そして全世界にいるでしょう。それが人間の持つ業(ごう)の弱さなのです。
そこで、一月八日に朝日新聞「天声人語」に載った面白い話をしてみましょう。
『イソップの寓話(ぐうわ)には、正体を隠して着飾ってはみたが、結局はお里の知れるのがいくつかある。たとえば「ゼウと狐(きつね)」の狐は、神であるゼウスに動物の王の位を授けられる▲しゃなりしゃなりと輿(こし)に乗る狐の目の前に、ゼウスは試しにコガネ虫を放す。すると狐は輿から飛び出し、なりふりかまわず捕まえる。ゼウスは怒って、狐を元の身分に戻してしまう。衣装で本性が変わらないことを、この話は説く。▲さて定額給付金はどうだろう。「生活支援」だの「景気刺激」だのと衣装を着せても、お里は結局「選挙目当て」だろう。不人気が高じて、もはや効果も怪しいが、いまさら引けば面子(めんつ)をつぶすと、自公政権は輿を担いで右往左往、新春の政治の、お寒い光景である。▲「生活給付金のイメージうでスタートしたが、今は消費刺激に意義がある」。首相の弁は臨機応変というよりご都合主義だ。まずバラマキありきで、それから衣装。「もらわない」から「もらう」「使う」と変節する閣僚らは、「景気刺激」という衣装の仕立屋に他ならない。矜持(きょうじ)(自分の能力を信じていだく誇り。自負。プライド・・・広辞苑より)とやらは、どこへ行った▲「さるかに合戦」の昔話を思い出す。猿はおにぎりをすぐに食べるが、カニは柿の種を育てて実らせる。2兆円の巨額である。使うなら、一時しのぎではなく、将来の安心につながる用途に、と望む「カニ派」は多い▲道に迷ったときは、元の場所に戻るのが登山の鉄則だ。無理に進めば危ないのは、あまたの遭難が教えている。迷走から引き返して地図と磁石を見直す度量が、政府与党にありやしなしや』とあります。
ところで、先に「ワークシェアリング」について少し触れましたが、これは1980年にオランダで本格的に採用されたのがこの制度の起源です。その内容は、労働者一人あたりの仕事を減らして雇用を分かち合う仕組みで、私がインドで見聞きした話と共通するところがあります。しかし、創始国のオランダや先進国で行われるワークシェアリングと、インドなどの発展途上国との違いは、前者が経済や金融に対する一部地位や名誉や金の亡者達による暴走が原因なのに対し、後者は少ない仕事を皆で分かち合うという、自発的な博愛の精神から起こったもので、金の亡者達のひしめく弱肉強食主義の欧米狩猟民族達の利己主義的企業の代表格のリーマンブラザーズや世界の自動車マーケットを長年我が物顔で蹂躙してきたGM・フォード・クライスラーのビッグ3の自業自得な経済破綻の結果行われているものとは本質的に違うのです。
こう書いているうちに、不思議なことに心の中に『♪もしもピアノが弾けたなら・・・』と云う曲が心のどこかで聞こえてきたのです。その「一番の歌詞」が妙に気になり自分でもピアノを弾いてみたいと思いましたので、一番の歌詞だけ書いてみましょう。
『♪・・もしもピアノが弾けたなら 思いのすべてを歌にして君に 伝えることだろう 雨の降る日は 雨のよに 風吹く夜には 風のように 晴れた朝には 晴れやかに だけど僕にはピアノがない 君に聞かせる 腕もない 心はいつでも 半開き 伝える言葉が残される ♪アーアアア アーアアア アーアアア 残される 』
これは、ピアノを弾けない人が、何とか相手に自分の心のうちを伝えたいと思っても、伝える術のない人の心のうちのもどかしさを表現した詩だとは思いますが・・・さてこの詩を自分の心に当てはめた時、あなたのピアノの音色はどんな曲になるのでしょう?
ところで、この詩に因(ちな)んで、一言下手なピアノに乗せて言わせていただきますと・・・
『もしも麻生さんがピアノを弾いたなら、どんな曲になったでしょう。不協和音か雑音か、それとも耳を塞ぐ擬音かな・・・。』そして、『もしも、ブッシュがピアノを弾いたなら、戦火とバブルの音色かな・・・。』その後引き継ぐオバマさん『ピアノの前で思案中・・・ブッシュが蒔いた戦争と、音符にのれぬバブルの音色、それでも期待にこたえたい・・・。』
あとは皆さんご自由に、入れ替え自由に考えて、もちろん、あなた自身も忘れずに・・・。
ところで、仏教には ≪諸悪(しょあく)莫作(まくさ)≫ と云う言葉があります。その意味は『もろもろの悪をなさず、すべての善を行い、自らの心を浄めよ。これが諸仏の教えである』と云う意味ですが、これについて「三笠書房」の境野勝悟著≪道元「禅」の言葉≫第二章37節に次のように書いてあります。
『自分の考えに固執しない(善悪の基準は時によって変わる)と、そして本文には、人は頭の中で「俺は正しい」と考えてしまうと、どこまでも、それを押し通さないと、気がすまない。世の中には、まあ、いろんな立場がある。立場が変われば、考えも違う。こんな簡単な原理がまったくわかっていないのは、さびしい限りではないか。ひどい人になると、自分の考えを一生押し通して、鉄のような「考え」のくさりで、自分も縛り、他人も縛ろうとする。「考え」の奴隷という人生だ。が、いいとか悪いとかの考えぐらい頼りにならないものはないのだ。いつでもどこでも、永遠に「正しい」というような考えは、一つもない。これは「よい」あれは「だめだ」といったところで、時間が過ぎれば、すぐ逆になってしまう。まさに道元のいう≪善悪は時なり。(諸悪莫作(しょあくまくさ)≫なのである。』と・・・。また、同じ第二楽章の38節には「道元禅師」が中国で修行中、師匠の「如浄(にょじょう)禅師」が言った有名な言葉≪身心脱落(しんしんだつらく≫について書かれています。それは『自意識を手放せば、生きるのが楽になる』という、自意識からの脱出を説いた道元の言葉です。
そして、その内容は次のようなものです。『≪君の考えは間違っている≫。こういわれると、血の気の多い人は、全身がカーッとなる。血の気の少ない人は、すごく不快になる。なぜだろうか。自分は、自分の考えだけが絶対正しいと思っているから、<中略>道元は、「自意識を捨てて、もっとおおらかな自然の心、宇宙の生命と共生して生きなさい」と忠告する。≪身心脱落≫の身心とは、自意識のことである。自分の自意識から脱出すると、そこに、自然の心と共生して生活する楽しい人生が展開する。』と言っています。
さすが道元の言葉と感心しては見るものの、これは『言うは易く行うは難(かた)し』で、口で言うだけなら誰にでも出来るが、それを実行するのはむずかしい。(広辞苑)より。
≪でも、この道元の教えをあなたには実行できますか・・・?恐らく多くの人は無理かも知れません。でも、努力なら出来るでしょう。その姿勢と努力が尊いのです。≫
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