【平成十八年十月】の定例法話会・テキスト
『児童虐待といじめ』が抱える諸問題
《いじわるって、必ず先生が見ていないところで起こるから、と『小学生日記』は云う》
『子供は五歳までのかわいさで、一生分の親孝行をしてくれる』と《産経抄》は云う。(引)「そのかわいい盛りの三歳と四歳の女の子が、段ボール箱に詰められ無残な姿で発見され、殺人容疑で逮捕されたのは、札幌市内の母親(24)の内縁の夫(29)で「しつけ(躾)のために殴ったら死んだ」などと供述していると云うが、これは幼児虐待のたびに繰り返される身勝手ば言い訳です。このような児童虐待は、何と、昨年度は3万4000件を超え、統計を取り始めた平成2年度の30倍以上にもなっていると云う。しかも、今年は上半期だけで虐待による28人もの幼い命が奪われていると云うのです。」
このような事態をふまえ、児童相談所で30年間働いてきた「川崎二三彦氏」は、その体験を著書『児童虐待』(岩波新書)の中の〈26頁〉で、《しつけと虐待はどこが違うのか》の項で、次のように書いています。
(引)「『じゃあ、しつけと虐待はどこが違うのですか?』
児童虐待のことが社会的関心を呼ぶようになってから、こんな質問をよく受ける。
この点をもう少し突っ込んで考えるため、《しつけと虐待》というキーワードで地方自治体のホームページを検索してみた。と、どうであろう、自治体によって、内容が全く違っているのである。「虐待としつけは全く違う」という主張がある一方、「しつけと虐待の境界線は非常に微妙」と表明するところもあって、驚きを禁じえない。」と、・・・
さらに《産経抄》でも、虐待はもちろん、非行や不登校なども含めた三十数万件の児童相談に応じる児童福祉司の数は全国でわずか2000人足らず。しかも、ある調査では7割の職員が、親から暴力を受けていたと云う。この現状を諸外国との割合でいえば、カナダ・オンタリオ州の子供の保護に携たずさわる職員の〈20分の1〉にすぎず、他の欧米諸国に比べても、突出してお粗末な体制なんだそうだ。先日も埼玉県川口市の市道を歩いていた保育園児の列に、脇見運転のワゴン車が突っ込む、むごい事故もあった。このような子供を見殺しにする社会をほっといて、少子化対策を論じても仕方がない・・・。前出の《川崎さん》の言葉を借りれば、子供を守るために思い切って『社会的コスト』をかけるべきです。しかも、子供達に降りかかる災難はそれだけではないのです。それは、すでに社会問題化して久しい《いじめ》の問題です。この問題についても産経新聞の《産経抄》は次のように書いていますので、その一部を転載してみますと次のようになります。
(引)「『小学生の天才作文家としてデビューした華恵はなえさんは、いじめられている子と仲良くし始めたとき、急に「ハブられそうに」、つまり仲間はずれにされそうになった
◆いっしょに帰ろうとして、その子の靴がなくなり、華恵さんが「男子ベン」に入ってみつけたこともある。先生は「自分がいじめられていると思ったら、自分から話しかけたりしてみましょう」なんて言っているだけだ(『華恵著小学生日記』角川文庫)
◆いじめは教師の目を盗んで行なわれるから見つけるのが難しいのはわかる。それでも、北海道滝川市の小学6年の女児に「いじめの事実は確認できない」と言い張ってきた教育委員会の了見は理解できない。女児は昨年9月、教室で首をつって意識不明の状態で発見され、今年の1月に死亡した。
◆教室においてあった遺書を読むと胸がつまる。「5年生になって人から『キモイ』と言われて、とてもつらくなりました」「みんなは、私のことがきらいでしたか?きもちわるかったですか?」<・・中略・・>
◆遺書の内容が報道されるまで、学校も市教育委員会も口をつぐんだままだった。子供達はこの世の習い「ずるさ」を学んだことだろう。大人達が無いと決めつければ、いじめも役所の裏金も存在しなくなる、」と。
評論家の石堂淑朗さんが、近書『「おやじ」の正論』(PHP研究所)に書いている(引)「「登校拒否の勧め」に賛同する。全国のいじめられっ子諸君、こんな学校行かなくていいから、もう死ぬな。』」と、ありますが、この件について《読売新聞の十月五日の夕刊は》(引)「市教育委員会は、五日午前、会議を開き、女児が自殺した原因について「(女児が教室に残した)遺書を踏まえ、いじめと判断する、」との認識を初めて示した。女児は遺書でいじめを訴えていたのに、市教育委員会はこれまで「いじめ」に関する記述を隠し、「自殺の原因に結び付くようなことは遺書に書かれていなかった」」と発表していた。と報じている。これは、まさに役人の隠蔽体質そのものではないでしょうか。≫さらに、前出の『小学生日記』の中からこの事件を暗示している部分を補足してみますと、「受験まであと100日」の章の中の165ページを読むと、『だいたい、いじわるって、必ず先生が見ていないところで起こるから、先生もその場で注意できないし、昨日だってそうだった。○○ちゃんといっしょに帰ろうとしたら、○○ちゃんの靴が片方ゲタ箱の下に落ちていた。もう片方がない。○○ちゃんは、全然あわてるふうでもなく、ちょっと笑いながら、「またどっかに行っちゃったのかな。ちょっと待っててね」と言って、女子ベンに入っていった。わたしもいっしょに入って、探した。なんでこんなことやってんの、と思いながら。「ないね、おかしいね・・・。まさか、男子ベンにあるはずないよね」って言うので、わたしがとなりの男子ベンに入ってみた(誰もいなかったので)。そしたら、あった。片方の靴が。○○ちゃんは、一瞬びっくりした顔をしたけど、「あった、あった。じゃ、帰ろ」とニコニコして言う。わたしは固まってしまった。こういう時、何て言ったらいいんだろう・・・。〈・・中略・・〉こういうのって、すごくいやだ。学校って、なんでいじめみたいなことが起こるんだろう。塾では、ないよ、いじめなんか・・・。』《この最後の一言は、現在の教育機制度の根元的欠陥に対する子供達の悲痛な叫びとして私達の心の底に重くひびきます。》
恐らくこの子は、しつこく繰り返される『いじめ』による辛さや悲しみを、他人に見せまいと必死でこらえ涙を押さえ、無理に明るく振る舞っていたのだろうと思うと、不憫ふびんで哀れでなりません。ここまで『いじめ』を放置してきた教育関係者や私達大人の責任は重大です。
最後に《産経抄》の中にあった『「おやじ」の正論』の《登校拒否のすすめ》の中の一部を抜粋してみますと、そこには(引)「『低レベルの生徒は無理数の観念をどうしても把握できず、英語は関係代名詞が分からぬ。彼らは中一の秋から落ちこぼれて、教室内の学習熱を際限なく下げて行く。人権派教師はこの落ちこぼれに焦点を合わせるから、出来る生徒はやる気を失くす。・・・中略・・・教師に礼をしない。帽子を被ったまま教室に入る。遅刻ヘイチャラ。マナーの悪さの全ては、大学進学以前の時代の野放し教育の延長上にある。成人式の乱痴気らんちき騒ぎも同断である。自由・平等・人権の野放し教育の絶望的産物が、あの下らぬ光景なのである。本題に戻る。改めて登校拒否の美徳を数えてみたい。先ず生徒の自殺原因の大半を占める「イジメ」が消える。これが最大の功績だ。「イジメ」は集団教室の必然的産物で、絶対に消えない。序ついで嫌な教師の顔を見なくて済む。これも大きい。・・・中略・・・学力問題、これは問題ない。密度の高い塾に通えばお釣りが来る。筆者(私)は田舎にいて東京の同世代の学力が気になる余り、高一の夏休みに上京して、今もあるのかどうか、駿河台にあった某有名予備校の夏期講座に通ってみた。いや驚いたの何の、筆舌に尽くしがたい面白さ。受けたのは英語と数学だけだったが、勉強の醍醐味が初めて味わえたのが予備校だったのである。当然、秋学期の授業は白けっぱなしだった。結果、筆者(私)は登校拒否の代わりに高校は二年の夏を以もって中退してしまった。今日から学校は無しと相成った朝の開放感は、敗戦の夜、灯火管制とうかかんせいが解かれて中庭に零こぼれた電光の明るさを共に死んでも忘れぬ。かくして筆者(私)は「大検」のハシリなのである。』・・・後略・・・。《この「おやじ」の正論『登校拒否の勧め』を読んだ人達、あるいは、これから読むであろう人々の中には、これは教育に対する冒涜ぼうとくであると言う人があるかも知れません。しかも『産経抄』が「登校拒否の勧め」に賛同する。」と書いてはいますが・・・。》この問題を、教育者側だけに全ての責任を押しつける訳には行かない事は、次の《産経抄》の一文を読めば分かる筈です。『家計にゆとりがあるのに給食費を払わない親が増えているという。教員がポケットマネーで穴埋めする例が珍しくないというから、開いた口がふさがらない。教育現場の荒廃をもたらしているのは、教員の指導力の低下だけではない。親のモラルの《再生》を急ぐ必要がある』とあります。
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