【平成十八年八月】の定例法話会・テキスト
『青い鳥』が暗示する誕生の運・不運
《生みの母に殺された『彩香ちゃん』は、本当は生まれたくなかったのでは・・・?。》
たとえ、どんなに冷たくされても、この世でたった一人の頼りにしなければならなかった母によって非業の死をとげなければならなかった『彩香ちゃん』には、ほんのチョットの未来への夢さえ見る時間もなかったに違いないと思うと、あまりにも短く、悲しいその一生が不憫で哀れでなりません。しかも、この事件に関する秋田県警の初動捜査の余りにもずさんな判断によって、あるいは失われずに済んだかも知れない、幼い『豪憲くん』の命まで奪うことになってしまったのです。この北国・秋田で起きた《彩香ちゃん事件》の詳細が、『彩香ちゃん』の母親《鈴香容疑者》の逮捕後の取り調べによって、次第に明らかになるにつれ、驚くべき事実が次々と浮かび上がり、この母《鈴香容疑者》の自供した《彩香は最初から殺すつもりだった》と云う言葉を聞くに至っては、やり場のない怒りが全身を駆け巡り、無性に腹が立ち、これが本当の母親の言葉なのだろうか、と憎しみさえこみ上げてきました。この、あまりにも理不尽で身勝手な事件を通じて、人間の一生とは、人の命とは何だろうと考えている時、ふと《メーテルリンクの青い鳥》の一節が頭の片隅に浮かんできたのです。そして、もしかすると《彩香ちゃん》は、本当はこの世に生まれたくなかったのではないか・・・?。でも、生まれてしまった以上、それがどんなに辛くても、この世にたった一人の母親に頼るしかなく、まだ、幼い子供の知恵では、その鬼のような母の機嫌を損ねてはならないと、けなげにも、幼心にどのような仕打ちにも必死で耐え、歯を食いしばって、これも運命としてあきらめ、従うしかなかったのでしょう。
ところで、先ほどお話した、一瞬、頭の中をよぎった《青い鳥》ですが、これはベルギーの詩人で劇作家の「メーテルリンク」の作で、その内容は『チルチルとミチルの兄妹が、幸福を象徴する《青い鳥》を探して、夢の中でさまざまな国を訪ね歩きますが、結局青い鳥を見つけることができず、目が覚めてから、本当は幸福の《青い鳥》は、自分の心の中や、身近にいることを知ると云う物語ですが・・・』その時、一瞬、頭の中をよぎった部分とは、この童話劇《青い鳥》の中の第五幕・第十場の《未来の王国》の中の次のセリフでした。
それでは、新潮文庫『青い鳥』の《チルチル、ミチルと「光」と「時」と「青い子供たち」その他》の会話の中から、その一部を抜粋して、彼らのやりとりを聞いてみましょう・・・。
(引)「
「チルチル」 ここはどこなの?
「光」 わたしたちは《未来の王国》の、まだ生まれない子供達の中にいるのですよ。ダイヤモンドの力で、人間には見えないこの国の姿をはっきり見ることができるのです。今度こそきっと青い鳥が見つかることでしょう。
「チルチル」 ここではなんだってこんなに青いんだから、鳥もきっと青いだろうね(自分のまわりを見回して)やあ、なにもかもきれいだなあ。
「光」 走ってくる子供達をごらん。
「チルチル」 あの子たちおこっているの?
「光」 そんなことありません。ほら、みんなにこにこしているでしょう。ただ驚いたのですよ。
「青い子供たち」 (次第にたくさん駆け寄ってきて)生きてる子供たちだ。ほら、ごらん。生きてる子供たちだよ。
「チルチル」 どうしてみんな、ぼくたちのこと《生きてる子供たち》だなんていうの?
「光」 あの子たちは自分たちがまだ生きていないからですよ。
「チルチル」 じゃあ、みんなどうしているの?
「光」 自分たちの生まれるときを待っているんですよ
。
「チルチル」 生まれるとき?
「光」 ええ、子供はだれでも、ここから地上に生まれていくのですよ。だから、それぞれその日のくるのを待っているんです。おとうさんやおかあさんが子供が欲しいと思うと、あの右手に見える扉が開いてそこから子供たちは降りていくのです。
<<<<< 中略 >>>>>
「青い子供たち」 この子行きたがらないんだ。
「時」 なんだと?行きたくないんだと?なにを考えついたんだ?このできそこないめ。そむくことはならん。ぐずぐずしている暇はないんだ。
「子供」 (押されて)いやだ。いやだ。行きたくないんだ。生まれたくなんかないんだ。ぼく、ここに残っていたいんだ。
「時」 そんなことにかまっちゃいられん。もう時間だ。時間だ。さあ、早く前へ。
「子供」 (進み出て)ねえ、ぼくをやって下さい。ぼく、代わりに行きましょう。ぼくの両親は年をとっていて、随分前からぼくを待ちこがれてるんだって。
「時」 だめだ。それぞれ出ていくときは決まっているのだ。お前たちのいうことをいちいち聞いていた日にはきりがない。ひとりは行きたいというし、ひとりは行きたくないという。一方は早すぎるし、もう一方はおそすぎるのだ。
そして『鈴香容疑者』の自供による《彩香ちゃん》事件の推移を、この『青い鳥』の童話劇に照らして見ているうちに、今度は福島県の泉崎村で、三才の幼児に食事も与えず衰弱死させたとして、両親が保護責任者遺棄致死容疑で逮捕される事件が起きたのです。
」
この両親は、まだ、三才の幼児に対し、躾しつけと称して暴力を振るったうえ、食事もろくに与えず、そのせいで三才にもなったのに生後六ヶ月の体重しかなかったというのです。
このような子供を虐待する親が必ず使う常套句じょうとうく(きまり文句)に、躾しつけのためにやった。と云う言葉があります。しかし、広辞苑によると、この躾しつけとは『礼儀作法を身に付けさせること。』とありますが、まだ、幼い三才の子に、物事の善し悪しの分別もつかぬ、この、いたいけな幼子に、躾しつけと称して暴力をふるったうえ食事も与えず、そのうえ八才の次女と六才の次男には、おなかが減ったと空腹を訴える我が子に《ドック・フードでも食べていろ!》と言い放ち、この次男と次女は空腹に耐えられず、仕方なく《ドックフード》を食べていたというのです。と云うことは、この非人間的な行為を我が子に課し、これを躾しつけと云ってはばからないような人間に、天は扉を開けて子供を授けた事になるわけで、天はうっかり子供を授ける相手を間違えて開けてしまったのでしょう。むしろ、本当に躾しつけが必要なのは、この子の父であり母ではないでしょうか。
さらに重ねて言えば、現代は天から祝福され、両親に望まれて生まれてきた子供たちなのに、無知で自分勝手な大人たちのために、その命を奪われるケースが多すぎます。その典型的な例が、埼玉県ふじみ野市の100%人災のプール吸水口死亡事故でしょう。
大人が勝手に悩むのは、自らの自己責任かも知れませんが、子供たちは違います。
そこで、この親達の独善的で身勝手な思い込みによる行為に対する警鐘として、次の東京の聖路加国際病院の理事長の日野原重明先生の著書《『十才のきみへ』・・・九十五才のわたしから・・・》(富山房インターナショナル)に書かれている次の言葉を、仕事や職業を越えた教訓として学んで欲しいと思います。それは同書の第二章の(引)「《人間はすごい、人間というのは、すごいものです。人間に生まれてきて、わたしたちはよかったですね。生まれてきたことは、それだけですばらしいことです。》そして、それに続く各章のなかにある『医師に必要なのは、病気についての知識だけではありません。』の項の中にある《一人前の医師になるまでには、おぼえなければならないことが山のようにあります。けれども、医師は病気についてのたくさんの知識をもってさえいれば、それで十分というわけにはいきません。病気になっているのは、一人ひとりちがうからだと心をもった人間です。病気を診断し治療するのに必要な知識をいくらたくさんもっていても、目の前の患者さんのつらさや落ち込んだ心をすこしも理解できない、あるいは理解しようともしない医師であってはこまります・・・。》」と書いておられますが、この言葉は会社の上司にも、幼子の親にも、そしてすべての人の心にも必要な言葉と心ではないでしょうか。
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