【平成十八年四月】の定例法話会・テキスト
金と時間をムダにして平気な役人達
《一方『弘法大師』は、国の窮状を察して給料を断わり、国に返納されたのです。》
今から六十年以上も前をことですが、当時は日本中に《欲しがりません勝つまでは》と云う『標語』が全国民の合言葉として広まっていました。もっとも当時は太平洋戦争の激戦中で、すべては戦争のため《贅沢は敵だ》として民衆は節約を強いられました。
その後、戦争が終わって私達の日本は、世界から《奇跡》と云われるほどの目覚しい経済復興を遂げ、やがて、それが消費は美徳と云う『バブル』の時代をむかえたのです。
しかし、その『バブル』がはじけて長い不況の時代になると、銀行は大量の不良債券を抱え、その結果自分達が生き残るために、中小企業に対する貸渋りや貸はがしが始まり、ますます不況は加速し、企業の倒産がうなぎ登りに増えていったのです。そこで初めて人々は《物を大切にしよう》と気づきました。そして、婦人団体や主婦を中心にリサイクル運動が起こり、町にはリサイクルの店が増え、また、広場や公園にはフリーマーケットと云う市が、雨後の竹の子のように広がっていったのです。これでやっと人々が物を大切にしよう、たとえそれが中古でも使えるものは、欲しい人がお互いに譲りあって、皆で大切に使おう。と云う機運が高まり、この運動はインターネットにも登場し、全国的に広まりつつありました。ところが、この素晴らしい立派な行動や運動に水を差したのが《PSE(電気用品安全法)》という経産省の役人が作った法律なのです。
そこで今回久々に『上司は思いつきでものを言う』と云うタイトルの本を思い出し読み返してみました。この本は、集英社新書の中の《橋本治氏》の著書で、以前にも法話会で一度お話しした事がありますが、今回はこの本の正式な《タイトル》を自分の心の中で『役人は思いつきで事を進める』と置き換えて読んでみました。すると、何と世の中にこんな面白い本が有ったのか・・・と思えるほど、我が意を得たりと、内心秘かにほくそ笑みながら一気に読みきりました。たしかに、この本に限らず書物の《タイトル》と云うのは大切ですが、あらかじめ、それによって読者の頭の中に、何がしかの先入観や期待感を植えつけてしまう部分があるのも否めない事だと思います。その意味で、今回この書物の《上司》の部分を《役人》に置き換えて再読してみて強く感じた部分ですし、恐らく著者の『橋本治氏』もご自身の心の中では『役人は・・・』と云うことをイメージしながら、この本を書かれたのではないかと思える部分が随所に見られ、今さらながら、私達人間が前もって心の中に刻み込んだり、思い込んだりする先入観が与える観念の大切さと恐ろしさを痛感させられた一冊でした。
さて、そこでこの本は、一人でも多くの人達にぜひ一読をお勧めしたい一冊ですが、その理由の一つに、今回問題になっている『電気用品安全法(PSE)』に関わると思われる役所と業者のせめぎ合いの部分があるからです。と云うのも、この法律が五年も前に成立していたにも関わらず、関係業者に対する経済産業省の役人の、周知徹底努力の不足が、ここまで問題をこじれさせてしまったからなのです。これをあえて言い換えるとすれば、すべてお上意識の強い傲慢な役人の国民への周知努力の怠慢から問題が起こったのです。
そして、その理由は、三月十二日の産経新聞の一面トップに掲載された記事を要約して見ますと、次のようになります。『四月十日に、衆議院第二議員会館で開かれた《「PSE問題を考える会」連絡協議会》で、電安法の説明に訪れた「経産省製品安全課の担当者」に、全国のリサイクル業者約六十人から、『法律はできていたのに、去年の秋口になっていきなり《中古品も対象》という、これは「経産省の役人」が、真面目に問題意識を持って対処しなかったのではないか』と、激しい言葉が投げかけられた、と云う・・。
電安法も反発する業者らの言い分は《経産省の周知の不十分だった》ということで、『私が(電安法を)知ったのは今年の二月だ・・』と話すのは、考える会代表の「小川浩一郎」さん。それも『知り合いの業者から《四月に販売が禁止されるが、お宅は大丈夫か》とたずねられ、ようやくこの問題があると知った』という。このため、業者らは(三月)いっぱいとなっている《電安法の施行猶予期間》の延長や、中古品の規制から除外を求める運動を懸命に展開し努力しているのだと云う。
これに対し、経産省の「杉山秀二事務次官」は、十日の記者会見で、過去のPR不足を認めながら《(販売禁止に備えてきた)正直者がバカを見ないことも大事》と指摘するが、何のことはない、これでは経産省から情報を得て、周到に準備してきた一部の業者だけはバカを見ないが、知らされていなかった他の業者は、バカを見ても仕方ない。と云うことになる訳で、これでは『知らされた者と、知らされなかった者』の間に公然と格差ができる訳で、これでは、何やら《官製談合や指名入札》と云う役所お得意の方式ではないか、と、一瞬、防衛庁や道路公団をはじめ、天下り天国の各公団の姿が頭をよぎりました。
にもかかわらず、経産省は四月からの販売禁止方針は変えず、ガイドライン策定などによって混乱収拾しゅうしを図ることにし《中古品についても適用の対象》と云うのですが、『同法では、販売禁止になる製品も、業者が自ら検査するなどして安全性を確認すれば、業者の手でPSEマークを表示して販売することが可能であり、また、レンタル契約による貸出や、国内法で適用されない海外への輸出は問題ないという。個人による販売も規制の対象外となり、中古品販売業者が個人売買の仲介ビジネスに転換する生き残り策も考えられる』と、施行直前になってから急に猫の目のようにその方針を変えたのです。』
何のことはない、これでは、法律を作ってから五年という時間は、一体なんだったのでしょう。ところが、これではまだ終わらないところが、いかにも役所らしいところで、その後、経産省の発表した『安全性を示す《PSEマーク》がなくても、簡単な手続きで販売できる《ビンテージ》に該当する中古電子楽器などを列挙した、経済産業省のリストに、こともあろうに《最新機種のシンセサイザー》が入っているなど、初歩的な誤りが次々と見つかったのです。経産省は『時間がなくてチェックしきれなかった。指摘を受けて確認できれば修正する。』と、釈明していますが、『4月1日の猶予期限切れを前にして、PSEを巡る方針が、このように激しく変わるドタバタぶりを、一段と印象付けた。』と書いています。が、このような悠長なことは民間ではとても考えられない事で、このように役人達の世界の俗に云う《お役所仕事》では、五年と云う期間では、私達民間人の常識をはるかに超えて、まだまだ時間が足りないのだと云うことが良く分かりました。
そこで、最初にお話しした『上司は思いつきでものを言う』にもどって第三章の137頁の『「下から上へ」がない組織』の部分を、皆さんとご一緒に読んでみたいと思います。
そして、その本文には次のように書かれています。(引)「『官僚の仕事は、法律が決めます。官僚の仕事のあり方を左右する予算も、法律が決めます。法律を決めるのは、国民が選んだ政治家−−議員です。しかし、官僚は議員の部下ではありません。議員も、官僚の上司ではありません。議員は立法府に属するもので、官僚は行政府に属するのです。官僚組織の上司に当たるのは、議員達や国民によって選ばれた行政府の長−−総理大臣や知事や、町長や村長といった人達です。
官僚は、国民によって直接的、あるいは間接的に選ばれた行政府の長に従う者で、立法府の人間に従う者ではありません。それを言うなら「従ってはいけない者」です。なぜかというと、三権分立の原則があるからです。
官僚は、議員が定め、あるいは承認した法律に従って動いて、議員が定めてもいず、承認してもいない法律に従ってはいけないものです。だから、どっかから誰かが、法律の規定にはずれたか、法律に規定されていない案件を持ち込んで、「困っているからなんとかしてくれ」と言って来ても、「それは、こちらではなんとも出来ないことです」と言って拒絶してもいいのです。つまり、現場の声に耳を貸す必要はないのです。
もちろん、官僚達には、「自分達の判断能力」があり、自分達の持てる権限内でやれることもあります。ありますが、しかし建前として、官僚は、「上から下って来た任務を果たす者」なのです。だから、「そんなことは知りません、そんなことは出来ません」と言って、現場から上がって来る声を拒むことも可能なのです。
だから、既に法律で定められている行為を実行しようとして、その前に『反対!』を叫ぶ国民が現われても、これに耳を貸す必要はないのです。つまり、現場の声に耳を傾ける必要はないのです。耳を傾ける必要はないのですから、官僚にとって、「現場からの声」はないのも同じです。それを言うなら、官僚には「現場」さえもないのかもしれません。−−《中略》−−日本の官僚には、「その場で現場からの声を拒絶する権限と任務」はあって、「現場の声を上に上げる任務と権限」はないのです。なぜそうなるのかというと、官の組織には「上から下へ」だけあって、「下から上へ」がないからです。なくてもいいのです。なぜかと言えば、官僚の下に「声を発する現場」がないからです。」−−《中略》−−
官僚というのは、「客からマニュアルにないことえを言われてオロオロしている愚かな新人やバイト達」とは違います。どうしてかと言うと、官僚には、そういう場合の「裏マニュアル」がちゃんとあるからです。それはすなわち、《上に言ってください・・》です。
要するに何事についても役人は責任を取らない方法が準備されていて、昔から言われている役人同士の合言葉《・・民は由よらしむべし、知らしむべからず・・》と云う考えが根底にあるから、役人は自分達『お上』が決めてやったことには、一般国民が口を出すべきではないし、まして自分達役人がやった事については、結果がどうあろうとも、一切責任など取る必要はないし、《お上のすることに間違いはない》と云う考えになるのです。
例えば、四月九日の読売新聞の朝刊の一面トップを飾った《勤労者福祉施設処分完了》と云うタイトルに続き、大見出しで(引)「『建設費4406億で、売却は127億円!』」そして、脇見出しが(引)「《売れ残りの92施設は、解体費だけでさらに20億円必要》」と出ています。
しかも、これに続く本文の中には、勤労者福祉施設の中の体育館を何と《1050円》で投げ売りしたあげく、それでも買い手が付かずに売れ残った(92)の施設は、新たに《20億円》もの雇用保険料を投入して取り壊すと云うのですから、これは、もう普通の人間の考えることではありません。さらにもう一言云わせてもらえば、少なくとも日々仕事を通じて真剣に働き、真面目に税金を収めている民間人の目から見れば、彼ら役人は金を稼ぐ才能はないが、常識を遥かに超えた無駄使いの能力だけは、天才的な才能があるのかもしれません。ところで、その無駄使いの天才達が集まる集団と言われても仕方がない『厚生労働省』で《共済年金と厚生年金の官民格差》に関する政府与党の中の調整が大詰めを迎えているとき、これらの公務員はこの是正を渋っているというのです。
これでは、まさに『天下りの弊害』とともに《官尊民卑》と《既得権の確保》の思い上がった思想が、いまだに役人の心の中に残っているとしか思えないのです。
そこで、この役人達に、その爪の垢でも煎じて飲んでもらいたいと、四月一日の高野山教報に教学部長がお書きになり、サブ・タイトルにも用いた『お大師さま』が、国の窮状を考え、関係の役人に申し付け『国費の給付』をご辞退されたことを書いておきます。
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