【平成十八年三月】の定例法話会・テキスト
一個だからこそ価千金の金メダル
《荒川静香選手は、役員選手合わせて二百四十人分の『金メダル』を取った》
『本当にめでたい・・・』誰がなんと言っても『めでたいのです・・・。』それは、イタリアのトリノで開かれた《冬季オリンピック大会》の女子フィギュア・スケートで、荒川静香選手が獲得した、たった一つの《金メダル》のことで、この一言以外にどんな言葉があると云うのでしょう。過去に、これほどの価値のある『金メダル』を獲得した選手は、ベルリン・オリンピックの女子平泳ぎで《前畑ガンバレ!前畑ガンバレ!ガンバレ!ガンバレ!ガンバレ!・・・そして、前畑勝った!勝った!勝った!》の放送で有名な『前畑秀子選手』の金メダルに匹敵する、いや、もしかしてそれ以上に日本中が待ちに待って、心から待ち望んだ《金メダル》だったからなのです。それにしても、今回のオリンピック選手団は、冬季五輪としては、今までで最大規模の約二百四十人もの役員と選手団を送り込み、出発に際しては、国民の期待と自己へのプレッシャーに負けまいと云う自意識が働いたのか、目標はメダル5個と言って元気に出発していきました。ところが、大会の終盤になっても、『金』はおろか「銀」も「銅」もまったく取れない状態で、役員をはじめ選手達にも焦り色が見え始めたとき、日本中が固唾を呑む中で、日本時間で二月二十四日の早暁、女子フィギュアの最後のフリー競技が始まり、ついに待望のメダルを獲得したのです。
しかも、なんとその色は最高の『金』で、しかも、この荒川選手が獲得した『金メダル』は、日本はもちろんの事、東洋でも初めての『金メダル』だったのです。これは、まさに快挙と云うべき出来事で、これまで、毛皮のコートをまとった欧米人が幅を利かせ独占してきた《女子フィギュアスケート》の世界で、ついに日本の選手が頂点を極めたのです。
しかも、この競技で勝つためには、選手に「バレエ」や「ダンス」に「クラシック音楽」と云う、文化的素養が求められ、しかも、採点競技に付きものの「先入観」や「差別」とも戦わなければなかった《フィギュアスケート界》で、堂々と日本の《荒川静香選手》が、欧米諸国の長年のこの「偏見」と「差別意識」を吹き飛ばす大きな風穴を開けてくれたのです。
しかし、彼女がここまで来るには、想像を絶する心の葛藤と、両親を始め身内の全面的な協力があったからなのです。そして、この家族の愛と協力に支えられて、ついに、イタリアのトリノで行なわれた冬季オリンピックで、日本初の銀盤の女王に上り詰めていった『荒川静香選手』のこれまでのプロローグを、新聞雑誌の報道を参考にして辿たどりながら親子ともども歩んできたそれまでの辛苦の軌跡に触れてみたいと思います。
まず最初は、二月二十四日の読売新聞夕刊の竹内誠一郎氏の《聖火》と云う記事を通じて見てみますと、その内容は(引)「『昨年十一月、北京で開かれた国際大会で、荒川はスルツカヤに完敗していた。それも絶望的な20点以上の大差を付けられての敗戦だった。しかし、日本のスケート連盟のスタッフが、スルツカヤの得点内容を分析すると、以外に技術点が低く、荒川に「取りこぼし」がなければ、女王に勝つ可能性があることが分かった。照準は、女王スルツカヤに定まった。2月上旬、荒川が、直前調整のため、仏グルノーブルに入った時、日本連盟は、国際スケート連合(ISU)の技術役員の資格を持ち、新採点方式に詳しい岡崎真さんも送り込んだ。スピン、ステップのレベルをチェックし、得点を稼ぐプログラムを固めるためだった。荒川は、ニコライ・モロゾフコーチのもとで「妥協のない」練習を積んだ。例えばスパイラルは、一つの姿勢を3秒以上維持しないと、得点につながらないが「確実に3秒維持するために、好きな言葉をとなえろ」と言われた荒川は、「ワンアイスクリーム、ツーアイスクリーム、スリーアイスクリーム」とつぶやきながら、スパイラルに取り組んだ。最大の晴れ舞台で、荒川のフリーは、ステップ、スピンの6項目中で5項目が最高のレベル4だった。荒川はシナリオ通りの構成を滑り切った。標的のスルツカヤは自分で崩れてしまったが、出場選手最高の技術点をマークしたことは評価されていい。しかし《五輪で金を取れるのは静香しかいない》の考えのもと、作戦を主導してきた城田憲子監督は、『ほかの選手には悪いが、荒川の才能にかけ、勝負をかけた』と話している。《技術の日本》の勝利。だが《戦う気持ち》を前面に出し重圧に耐えた荒川の心の強さがあってこその成功だったともいえる。伊藤みどりが銀メダリストになってから14年。日本フィギュア界が総力をかけ目指してきた悲願の金メダルにようやく届いた』」と書いています。
このように、荒川選手がここまで来るには、そんな簡単な道程ではなかったのです。
次に、週間文春の3月9日号の『両親が明かすフィギュア貧乏伝説』と云う特集記事を参考にまとめて見ますと(引)「《荒川静香は、昭和五十六年十二月二十九日、父がNTT東日本勤務という、ごく普通の家庭に生まれた。ほどなく神奈川から仙台に移り住み、一人娘として愛情たっぷりに育てられた。母は「小さい頃からい自分の考えを持っている子で、あまり何かを強制できない子で、すべて自分の考えで進む、だから危なくない限りは木登りでも何でも自由にさせていました。今も私が何かを言うと〈ウン〉とは言うけど、結局自分のやりたいことをやりますね」」と言っています。しかも、このフィギュアスケートの競技で、名実ともに一流の選手に育て上げるには、誰もが知っているように、想像を超える費用がかかるわけで、そのため経済的にはサラリーマンだった荒川選手の家庭では、一足十五万もするスケート靴を年間5〜6足は必要なうえに、遠征費や普段の練習用のリンク使用料など年間二百万円以上の費用が必要で、この出費は強化選手に指定されるまでは、すべてを自腹で負担しなくてはならないのです。そのため、母はその費用を捻出するため、ゴルフ場でパートのアルバイトをし、しかも、練習のため通うリンクへの、送り迎えまでして彼女を支えたのです。ここで父・晃市さんが言う「私とかみさんの収入だけでは、もうこれ以上借金もできず、もう少しでスケートを断念せざるを得ない状況だったこともありました。そんなときに、義理の父(妻・佐知さんの父)が自分の年金から援助してくれましてね。それで何とか続けて来られたところがありました。」と感慨深く話し、さらに、母は次のように続けた「うちはサラリーマンですから、主人と私が働いたくらいじゃ全然追い付かない。父はずっとスポンサーでした。静香もおじいちゃんのことは分かっていて、すごく大切に思っていました。その父が二年前の十月、八十二才でなくなりました。そのとき静香は試合(2004年のNHK杯)があるにもかかわらず《お葬式に行く》と言ってくれましたが、父は静香のスケートをもの凄く応援してくれていたものですから(引)「《今ここで試合を放棄して帰っても、おじいちゃんは喜ばない。おじいちゃんのためにも、ちゃんと試合をして》」と説得したんです。(そして出場した荒川選手は、このNHK杯で見事に優勝を飾ったのです。)さらに母は続けて、彼女は世界選手権(2004年)で優勝して、すっかり満足してしまった。本当はあの時のいい状態でやめたかったんです。最初はスケートは二十才までの予定だったし・・・。」そして父は「続けるかやめるかは自分で決めていいよ。ただお父さんとお母さんはもう少しあなたのスケートをやっている姿を見たいと思っている」と。すると彼女は《ふ〜ん》とか言ってましたけどね・・・」。もし、この両親の言葉がなければ、あの感動的な金メダルもなかったわけですが、それから一年、荒川はモチベーションが上がらず苦しみ続けて、05年の世界選手権にはディフェンディングチャンピオンとして臨のぞんだが九位と惨敗したのです。
そこで母は「もういいよ。やめても」って思わず言ってしまったのです。すると本人は(引)「《ここで止めるわけにはいかないでしょ。ここで止めたくない。こうなったらトリノまでもう一年頑張る》」って言ったのです。こうして日本初の金メダルは生まれたのです。
それでも、中には、あれだけ大勢の選手団を送りながら《たったメダル一個》かと言う人が居るかも知れませんが、もしかしてあなた達は、近代オリンピックの生みの親である《クーベルタン男爵》が1894年に国際オリンピック委員会を組織し、96年にギリシャのアテネで、第一回の近代オリンピックを開催した際の高い理想と理念をご存知なかったのでしょうか。クーベルタン男爵の言う《近代オリンピックの競技の精神は》まず参加することに意義があるので、それも選手が参加し行うことで、役員諸氏が大名旅行のような形で参加するのではないことを、くれぐれもお忘れなく願いたいものです・・・・。
ここで荒川選手の取った『唯一の金メダル』について、仏教的立場でお話ししてみますと、仏教には、いや密教には特に『一即いっそく多た・多即たそく一いつ』と云った考えが強くあります。それは、密教には不可欠なマンダラの精神に顕著に表れていて、胎蔵・金剛の両界マンダラのように、大勢の仏様がいらしても良いし、別尊マンダラのように、仏様がお一人だけでも良いし、あるいしは数人の仏様で描かれているマンダラもあるのです。
これは要するに仏様はお一人でも、また、大勢いらしても基本的には、それぞれが全てを表わしていると云うことなのです。この考え方に習って言わせていただければ、メダルは『一個でもいいし、たくさん有ってもいい』と云うことになる訳で、いづれにしても、これは、日本が取ったメダルに変わりはないのです。と云う考え方になるのです。
ところで、先程お話しした欧米諸国の東洋を蔑視べっしした「先入観」や「差別」や「偏見」は採点競技の不透明さだけでなく、日本の選手や東洋の選手が勝ち続けたり、又続けて勝ちそうになると、競技のルールを今回のように自分達欧米選手に都合の良いように、スキーのジャンプ競技では、選手の体重とスキー板の長さに制限を加えたり、フィギュアの採点規準も今までとは違った方法に変えてくるのです。このような「姑息」で「卑劣」なやり方は今に始まったことではなく、過去にも何回もあったことで、これは、欧米諸国の《植民地政策時代》からの、根強い東洋蔑視べっしの潜在意識が存在し、自分達の優越感を満たすために、東洋には勝たせたくないと云う、深層意識が根強く尾を引いていると考えられなくもないのです。そして、その意識が根底に巣食った根強い意識の中で優越感となって現われ、結果として、今回のような片寄った身勝手なルール改定や、用具の規定規準の変更という奇手を用いたと疑われても仕方がないのです。にもかかわらず、その過酷な条件の中で、採点ルールの変更をものともせず、166センチの恵まれた肢体を、しかも得点には加算されないことを承知の上で、目いっぱい後方に反らすイナバウァーを織り込み、悠然とリンクを横断するスパイラルや、優美に激しく舞うステップで、姑息な意図に満ちた新ルールを跳ね返しての『荒川選手の金メダル』が燦然さんぜんと輝いて見えたのは当然のことでしょう。これは、ひとり荒川選手が欧米の姑息な陰謀を見事に打ち砕いたと云うだけでなく、日本のそして東洋の選手全体の勝利と云ってよいでしょう。
その一方で、手ぶらで帰ってきたにもかかわらず、勝てなかったテレを隠すためか日本を代表してトリノへ行ったという自覚のかけらもない《五輪を楽しめました》と、物見遊山の帰りのようにあっけらかんと言ってのける選手がいたのには、呆れると共に大いに違和感を感じた人も多かったでしょう。日本には時差の関係で深夜早朝にもかかわらず、テレビの前で、眠い目を擦りながら君たちを応援していた大勢のサポーターがいたのです。しかも、そのテレビの前のサポーター達は、そのまま会社へ出勤していったのです。
それに比べて、惜しくもメダルには届かなかったものの《村主すぐり章枝選手》が、大きな目に涙をためて、次ぎなるバンクーバー五輪を目標に語っていたのは印象的でした。
厄除け厄払いお祓い除霊護符呪詛返しの未勒館「密教と四柱推命」
厄除け厄払いお祓い除霊護符永代供養呪詛返しなど未勒館に!密教の加持祈祷・供養「四柱推命」
Copyright © 2008 Mirokukan All Rights Reserved.