【平成十八年一月】の定例法話会・テキスト
努力は自力で、結果は他力なのです
《見返りを求める身勝手な『愛』が、〈惨ざん〉や〈壊かい〉や〈苦く〉を生み出すのです》
平成の世も十八年の歳月を迎えました。この新しい年を迎えるに当たって、一月四日の小泉内閣総理大臣の年頭の記者会見を聞いていて、今年も小泉総理は間違いなく靖国参拝をするだろうと云う印象を受けました。そして、またもや中国や韓国は鬼の首でも取ったように、反発の『のろし』を掲げることでしょう。それはそれとして、互いの国の歴史認識の違いであり、我が国の国内問題ですから、逆らわず無視すればよいわけです。
と云うのも、かつて中国共産党の毛沢東主席に次ぐNO2で、現在の党幹部のあなた達の大先輩でもある『周恩来首相』が、日本に留学していた時の日記に《靖国神社の大祭に出会い、それを見てはなはだ大きな感慨を催す》と書いていたのを、現在の党幹部であるあなた達はご存じでしたか・・・?(もっともA級戦犯の合祀は別としてですが・・・。)
ところで話は別ですが、昨年の暮れに選ばれた、一年を表す言葉が『愛』に決まったと云うのには、少なからず違和感を持たれた方も居られたのではないでしょうか。と云うのも、昨年一年の間に起きた、世界のそして日本での数々の悲惨な事故災害を思い起して見れば一目瞭然で、例えば、我が国では中越地震や、次々と上陸する大型台風によって、各地で土砂崩れや大水害による大災害に見舞われました。又、米国では巨大ハリケーンの猛威によって、ジャズ発祥の地と云われる「ニューオリンズ」を浸水による甚大な被害によって一瞬のうちに死の町に一変してしまい、さらに、インドとパキスタンの国境付近で起きた地震による災害や、加えてインドネシア沖の海底地震による津波の被害は、はるか遠方のスリランカやタイの沿岸をはじめ太平洋各地に、想像をはるかに超えた多くの死者を出し、しかも未だにその身許の確認さえ出来ない多くの遺体を抱えているのです。
この前代未聞の天の怒りとも云うべき災害や被害に、果して先程の『愛』と云う言葉がふさわしかったのでしょうか。これは言葉や理屈だけでは人は救えない事を、天が自然の力の恐ろしさを示し、我欲に満ちた我々人間に教えていると言って良いでしょう。
これは、言い換えれば、「科学」や「医学」の世界で、神の領域まで侵そうとする、奢り高き人類に下された、天の怒り、即ち『天誅てんちゅう(天が下す罰)』であり、日頃、我々が自然の恵みに対する感謝の心を忘れた慢心への、天の戒めだったと受け取るべきでしょう。
人はどのような叡智えいちを尽くし、努力をしてみても、所詮はこの《天の力》しいては《偉大なる大自然の力》には勝てないのです。従って我々の『愛』はその被害者たちに差し伸べる救済の手を持つだけであり、もし、その心の内に《してあげた》と云う意識があった場合、この《してあげた》と云う心の奢りは汚れた愛であり、母なる大地である地球上で、共に生を受けたすべての生き物や、水や空気やすべての草や木や環境を含めた、あらゆる生き物の恩恵を受けている我々人類のため《させていただいた》と云う感謝の心がなければ、根本的な心の救い、即ち『互いを生かす真実の愛』とは呼べないのです。
それは、文字や言葉の上での『愛』は、人智を越えた神仏の『真まことの慈悲心』から生まれた、見返りを求めない『絶対愛』ではないからなのです。なぜでしょう、これは文明という美名の元に、自らの利益優先を求め、自然を破壊し、公害を巻き散らしている先進諸国を中心に、我々自身の心に、かけがえのない地球に対する『感謝と愛』が足りないからなのです。言い換えれば、すべての生き物に恵みを与え続けている母なる大地《地球》と云うかけがえのない偉大な自然に対し、我が物顔で自己中心的に乱開発をし、限られたエネルギー資源を我先にと奪い合い、それは結果として《蛸が自らの足を食らうように》自然破壊と乱開発と云う愚かな行為であり、温暖化現象であり、文明に名を借りた《資源やエネルギー》の垂れ流しの結果起きた人災なのです。しかも、地球の未来に対する危機感から京都議定書で合意された《一酸化炭素》の排出制限さえも、世界一のエネルギー消費国であるアメリカは、この議定書を守ろうとしません。しかも、それだけでなく、急激な経済発展の道を突き進む中国は、世界のエネルギーをなりふり構わず買い漁り、しかも、加えて東シナ海では、我が国の経済水域にある海底資源にまで、その触手を延ばそうとしています。それにしても、先月の法話会のテキストに書いた、ある職人の含蓄のある言葉《職業に貴賎はないが、生き方には貴賎はあるよね・・・。》が胸に響きます。
この一言は、単に一個人のみに留まる言葉ではなく、国家の生き方にも通用する言葉だと思います。その意味からすれば、隣国《中国や北朝鮮》の、国としとしての生き方は、如何かなものかと思わざると得ないところが少なくありません。ここで、改めてあなた達中国共産党の幹部の皆さんに声を大にして次のことを言いたいのです、かつて我が国はあなた達の国からお釈迦様と同時代に生きておられた『孔子』と云う偉大な方の《論語》と云う教えを通じて精神的支柱を学びました。にもかかわらず、あなた方の国に対して大変迷惑な行為を行なった点は深く反省しています。しかし、あなた方の国の体制が、一党独裁の共産主義国家になったことは別として、先に述べたように、お釈迦様と同時代に生き、論語と言う教えを通じて《儒教》と云う教えを説かれた先輩をお持ちのあなた方ですから、そろそろ、過去に我が国が遣隋使や遣唐使を派遣し、快く受け入れて下さった頃の大らかなお国になって頂けませんか・・・?。そして、如何に国内の不平不満分子の党に対する求心力の低下を阻止するためとは云え、必要以上に反日教育を煽るのは遠い未来の子孫達に不要な禍根を残すことになるのではないでしょうか。私達はあなたの国の教科書も読んでいます。しかも、いつ頃からあなたの国が反日教育を通じて、国家や党に対する求心力の向上を目指して来たかも知っています。しかし、それはあなたの国の問題ですから、あえて私達はそのことを触れないできたのです。ところが、最近出版された《中国人に教えてあげたい本当の中国史『中国国定教科書』逆検定(祥伝社)》と云う、歴史推理作家の『井沢元彦氏』と、中国の瀋陽しんよう生まれで《「反日」に狂う中国「友好」とおもねる(へつらう)日本》の著者『金文学きんぶんがく』の対談を基に書かれた一冊を読み、これは黙って居る訳にはいかないと云う気になりました。そこで、その内容に少々触れてみたいと思います。それは、この本『中国国定教科書』の16頁にある伊沢氏の(引)「『中国はことあるごとに日本に対して歴史を歪曲していると言うが、実は中国のほうがいかに歴史を歪曲しているか、ということを知ることだと思います。』」と云う発言に対し、金さんは『伊沢さんがおっしゃった通り、中国は今までずっと日本に対して、歴史を歪曲したとか反省していないとかしきりに強調していますが、本当に反省すべきなのは、むしろ中国の歴史教育、あるいは歴史観なんです。まず中国の歴史教育、あるいは歴史観に絞っていいますと、非常に面白い現象があります。まず一つは、歴史教育において《中国は常に絶対的な善》だということです。その反対に日本というのは《絶対的な悪》です。日本については、一貫して「侵略」「残虐」と決め付け、それを前提として成り立っているのです。それから、中国側が主張する歴史というのは、神聖不可侵だということがあります。これは何かというと、歴史観の違いもあるものですが、明らかに言えるのは歴史という概念そのものが日本と中国では違うということです。日本では歴史は教養の一つと考えますから、ありのままに伝えることを一つの基本的な姿勢としています。しかし中国にとって歴史とは、主に中国共産党の教育のプログラムの中の一つ、洗脳の一環として利用しているのです。しかもそれが一番大事なプログラムのひとつなんです。1991年のソ連の崩壊によって共産主義が世界で終焉したということは、中国も知っています。そのため、中国では「愛国心」ということを新たに定義しました。愛国心自体はどこの国でも奨励されるものですが、中国の「愛国心」が他国のものと違うのは中国で言う《国》というのは、イコール共産党だということです。この国は新しく共産党が作ったんだから、その国を愛するということは、「愛共産党」に他ならないということですね。ですから、愛国教育のためには、まず中国共産党がいかに抗日戦争をしたかとか、いかに優れた業績をあげて今の中国を作り上げてきたか、ということが重要になってくるのです。その際に共産党の対極に置かれるのが「日本」なのです。日本を過少に位置づけ、いかに残虐で、いかに悪いことばかりやってきたかということを強調することによって、共産党のイメージをアップさせることを目的としているのです。ですからまず近代史において、日中戦争などでの日本人の侵略性や残虐性をものすごくオーバーに強調しているのですが、戦後、日本という国が大きく変わっていることについては触れていません。多分これは策略的に、わざと教えていないのだと思います。中国の教科書は、日本については戦前の歴史ばかりを書きつらね、戦後の歴史について全くと言っていいほど触れていません。戦後日本はすごく平和な国になったし、平和憲法を持ち、平和主義を唱えております。また、中国に対するODAなどの金銭的な貢献についても全く触れていません。中学の歴史教科書に書かれているのは、1972年に国交を回復したというたったの一行だけです。世界史では1ページほどの記述がありますが、これもただマルクス主義史観に基づく偏った分析を記すのみです。ですから、戦後の本当の日本を伝えていないのです。これは明らかに策略だと思います。これは人で例えれば、幼年時代や青年時代の悪いことばかり言って、その人が大人になってどう変化したかということを伝えていないというのと同じです。だから非常にアンバランスなんですね。中国の教科書で語られる日本は、1894年の日清戦争から1945の太平洋戦争の終戦までがほとんどです。逆に言えば、近現代史の記述のかなりの部分が日中関係で、それも日中戦争の記述ばかりということになります。もし中国が本当に歴史を大事にするのであれば、相手国の歴史もちゃんと伝えるはずです。でもそうなっていません。だから私は、中国人が歴史をそれほど大事にしていると思えないんです。他人に対して《歴史を鑑かがみとし、歴史を学びなさい》などと言っていながら、自分のほうは全く歴史に学ぼうなどという気はないんですよ。中国の歴史教育における「戦前の日本の悪いイメージばかりを強調して、戦後の日本人の変化については全然触れない」というアンバランスを一つの切り口として考えるべきだと私は思います。』と話していますが、これが本当だとすれば、彼ら中国が我が国に対して再三言う靖国問題も含んだ歴史認識の違いとは何なのでしょう。
さて、ここでもう一度、昨年末の言葉『愛』に戻って考えたいと思いますが、天災は仕方がないにしても、昨年はあまりにも人災の多い年でした。その意味で人々の心に足りないものは『愛』だと言うなら一応は納得しないでもありませんが、もっと大事な何かも忘れて居やしませんか・・・?。と言いたいのです。それは、如何に科学が進歩しようと人は神にはなれないのです。それを忘れた天を恐れぬ科学者や、人としての心の教育を蔑ないがしろにしている、現在の教育にも問題があるのではないでしょうか。人は互いに助け合ってこそ生きていけるので、けして砂漠の真ん中で一人では生きられないのです。
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