【平成十六年七月】の定例法話会・テキスト
『盗人にも三分の理』とは言うけれど
《その一方で『懺悔と反省と責任の取り方を知らない』役人の世界とは・・・》
七月十一(日)は、参議院議員選挙の投票日でした。久々の国政選挙とあって、各党とも激しい選挙戦を戦わせていましたが、その中で争点の中心となったのが、年金問題と自衛隊のイラク派遣問題でした。ところが、その年金問題で、またまた役人の無駄使いが発覚したのです。それは政府が去る二十九日に明らかにした内容によると《社会保険庁の年金流用無駄使い》は、新たに分かった分だけでも、何と二百二十二億円にもなると云うのですから、これでは私達の年金が、すでに巨額な赤字に達していると云うのも、無理もない事だと思います。今回、特にその赤字の元凶である役人たちの無駄使いの内容を知る事になり、多くの人々が、役人に対する不信感とやり場のない怒りで無性に腹が立った事と思います。
その明らかにされた年金流用の内容というのが、何と、経営不振の末に二束三文で投げ売りされた、悪名高き《グリーンピア》と社会保険業務センターの職員用のテニスコートや、バスケットコートの建設費に流量されていたと云うのです。しかも、この保険料の垂れ流し的流用は彼らの職員宿舎の建設資金にも使われ、しかも、その宿舎に入居した彼らが支払う家賃(使用料)の大部分が、何と一ヶ月一万円未満で、中には千円台や、無料のものまであると云うのです。その上、彼らが2004年度の事務費や人件費として支出しようとしている額が、何と、約一兆一千二十八億円になることが、去る六日の国の特別会計で明らかになったのです。これが私達の年金保険料の行方であり、巨額な赤字の元凶だったのです。
従って本来はこの無駄使いの張本人の責任こそ厳しく追及すべきであり、道義的な意味から言へば、彼らは盗人同然だと言われても仕方がないでしょう。確かに現在の社会保険庁は労働組合の発言力が強く《官僚出身のトップでは組織全体の見直しは厳しい》と言わ続けて来ましたが、にもかかわらず、今回の選挙でも、相変わらず与野党共に目先の政策論争や相手の党の誹謗中傷のみに終始し、肝心の役所の垂れ流し的無駄使い改善策には触れていなかったのです。しかし、選挙戦も終盤を迎えた六日、改革路線を旗印にする小泉内閣は、ついに官僚支配の社会保険庁に見切りをつけ?新たに民間から社会保険庁長官として、損保ジャパン副社長の村瀬清司氏を起用する・・・と発表したのです。しかも、この新長官のサポーターとして、要所要所に民間人を数十人配置し、官僚の弊害や不当な干渉から、新長官をガードしようと云うのですから、この決断には諸手を上げて賛成すると同時に、大いに期待もしながら結果を待ちたいと思います。ところで、七月七日の読売新聞の夕刊に掲載された、元東大法学部教授の末広厳太郎氏の『役人の頭』と題した一文に、次のような箇所がありました。(引)「そこには《役人はうっかり融通をきかせて叱られるよりは、形式的に法に従う方が間違いなく得だ。第一、骨が折れなくていい》」と書かれていて、これは正に役人の本質をずばり言い当てているようで、我が意を得たりと胸の溜飲が下がりました。
ところで、昔から『盗人にも三分の理』と云う言葉がありますが、劇作家《池波正太郎》の代表作《鬼平犯科帳》には、(引)「盗賊三カ条と云うのがあり、その第一条に『盗まれて難儀するものへ手に出さぬこと・・・』」とありますが、さしずめ《社会保険庁の巨額年金流用事件》は、難儀を被る(こうむる)のは、私達国民なのですから、これは、この三カ条に該当するでしょう。
とかく役人は、何か事があるたびに『その件に関しては、全く承知していなかった・・・。とか、認識していなかった・・・。と釈明し、二度とこの様な事が無いよう努力します・・・』と、判で押したような決まり文句を並べますが、必ずと言ってよい程《二度とこの様な事が起きるのです・・・》しかし、よく考えてみれば、その形ばかりの釈明会見に出席し、国民に向かって言い訳の言葉を述べていたのは、紛れもなくその組織の長か、或いはそれに準じる責任ある立場の人間だったはずです。にも係わらず《認識していなかった。とか承知していなかった。》と云うのは、言い換えれば、『自分には、部下の仕事を管理する努力が足りませんでした。』とか『自分にはその事実を認識し指導する能力がありませんでした。』と言っているのと同じだ。と言われても仕方ないでしょう・・・。
これでは、植木等がかつて歌った《♪サラリーマンは〜気楽な稼業ときたもんだ〜♪・・》の歌ではありませんが『♪役人は〜気楽な稼業ときたもんだ〜♪』ではないでしょうか。
ところで、依然として、またか!・・・と思わせる程、子供達の傷害事件が後を断ちませんが、今の学校や家庭では『人の命』の大切さについて、どのように教えているのでしょう。
そこで、昨年三月の法話会で、五才の時『神経芽細胞腫』と云う難病と診断され、小学校の四年の十一歳で亡くなった『宮越由貴奈ちゃん』の詩集《命》を取り上げましたが、この《由貴奈ちゃん》の遺作となった詩『命』をもう一度読み返して見たいと思います。
(引)「
命はとても大切だ 人間が生きるための電池みたいだ
でも電池はいつか切れる 命もいつかはなくなる
電池はすぐにとりかえられるけど、命はそう簡単にはとりかえられない
何年も何年も 月日がたってやっと 神様から与えられるものだ
命がないと人間は生きられない
でも 「命なんかいらない」と言って 命をむだにする人もいる
まだたくさん命が使えるのに そんな人を見ると悲しくなる
命は休むことなく働いているのに
だから 私は命が疲れたと言うまで せいいっぱい生きよう」
私達も、この『宮越由貴奈ちゃん』の詩の心を学び、互いの命をもっと大切にし、仏様やご先祖様に、堂々と自分達の子や孫を自慢できるような育て方を心掛けたいものです。
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