やがて、東京の父の元に戻った私は、やはり新しい母とはしっくりしなかった。その後、中学から高校へ行くようになった私は、淋しさもあって、問題を起こしては周囲の注意を引くようになり、いつのまにか仏様に手を合わせることも忘れてしまった。そうこうするうちに、父も亡くなり、再び仏様のご縁が甦ったが、やはり二度目の母との間の心の中のこだわりだけは残った。この心の中にある、どうしても拭いきれない「もやもや」を引きずりながら、私は数多くの仏教書に教えを求めながら、世界の仏蹟のほとんどを巡り歩いたが、今一つ吹っ切れないものが心の片隅に残っていた。
その心の「もやもや」を完全に吹き飛ばして下さったのは、当時、高野山の管長であられた『森寛紹大僧正貎下』の一言であった。
それは、高野山の貎下のお部屋で、何度目かのお目通りを許された時のことである。暫く、私の生い立ちと母との心の葛藤の話を黙って聞いておられる貎下は、一言《そうか、君は二人もお母さんがいるのか・・羨ましいな・・・。》とお顔に穏やかな笑みを浮かべて云われた。
貎下のその一言で、私はいきなり全身を強烈な雷に打たれたようなショックを感じ、いったい今までの自分は何を考えていたのだろう。ただ、新しい母にすねていただけではないのか、そう思うと、それまでの新しい母に対する、どうしても吹っ切れなかった心のこだわりが、嘘のようにすーっと消えてしまったのである。
貎下の《そうか、君は二人もお母さんが・・・。》と云うお言葉は、今では、仏様からの一言として、私の心に生涯残る《金言》と感謝している。
合掌「未勒館々主 真章」
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